ひとがついつい<古きよき日本の食卓の風景>と言ってしまう小津安二郎の映画に案外食卓を囲む場面が出てこず、ましてや家庭であれ小料理屋の座敷であれ卓上の料理を見せることも稀とあっては小津もなかなか喰えませんが(まああのローアングルに標準レンズ、食卓に林立するビールに遠近が出るのを嫌って大瓶に小瓶を混ぜていたというんですから、食卓場面に求めるものがそもそも違ってますわね)、そんなことで今回は映画のなかの料理をふたつ、三つ。

成瀬巳喜男監督『女の歴史』(東宝 1963年)は応召された夫が戦死、取り残された戦後を姑と小さな息子を抱えてひとり働く女性の物語です。女の苦しみと虚しさ、それでも働くことで立ち上がってくる体の生きる強さが如何にも成瀬の映画でこの戦争未亡人は高峰秀子ですが、さて姑というのが賀原夏子。戦前は夫の母としてさぞや厳しく上座にあったでしょうが、いまはそんなご時世ではない(どころか息子もなくいまやただ嫁の義理堅さにぶらさかって生きているだけの身の上である)ことは十分承知してそれなりに小さくなってはいますが、覚えた口は折々寂しく戦前のよかった頃の話になって口につくのがグラタンです。嫁に来て新妻の、まだまだ爪先歩きのような幸福にあった頃、腕によりをかけて作ったのがグラタンで、姑にそう言われてもデコちゃんにすればそのときには夫もあり自分も自分の若さに無自覚だった遠い、本当に手の届かない遠い話でしかなく、そういうちぐはぐさのなかをグラタンの輝かしさがくつくつと浮いているようでセリフだけのこの料理が(まあ戦前にグラタン! という意外さもあって)印象に残ります。

淡島千景は二六時中飛び回っているような実業家で、裕福でハイカラな生活ですが忙しさに明け暮れていてそんな不在の家庭に娘の若尾文子が留学から帰国してきます。豊田四郎監督『夕凪』(宝塚映画 1957年)です。わかっていたこととは言え娘の帰国にも仕事を優先する母の生き方に若尾はどこか毛羽立った気持ちを抑えることができません。この家にはすれ違いがちな淡島と若尾の心情を取り持ちながら、言わば若尾の満たされない家庭の落ち着きを引き受けているお手伝いさんがあって、それがたどたどしくも標準語を話す浪花千栄子です。帰国を祝って何やらハイカラな料理を準備中で、琺瑯引きのボールでマヨネーズを作っています。ボールに泡立て器でマヨネーズを作るのは(昔よく言われた分離しやすいため油は一滴一滴足していくという作り方からしても)なかなか骨が折れますが、そのマヨネーズに野菜を放り込んでサラダを作る浪花千栄子というのが(出来立てのマヨネーズ以上に)新鮮で(だって同じ年の『蜘蛛巣城』では髪振り乱した物の怪の老婆でしょ)、これもまた忘れられません。

映画のなかでご飯を食べる場面を数え切れないほど見てきましたが、一番胸に迫ったひとつが高倉健の丼飯です。山下耕作監督『山口組 三代目』(東映 1973年)。母とは生さぬ仲で家に居場所もなく、やくざ者のためか周りはお国のために出征が続くなか応召もなく日がなぶらぶらと身を持て余して(というか社会から鼻つまみにされて)、そんななか港の荷役を取り仕切る丹波哲郎の男気に魅せられて仲仕の仕事につきます。犬っころのように腹を空かせて体を抱いているこの新入りを見かねて田中邦衛が高倉を連れ出します。荒くれ者たちが体を資本に過酷な荷役をやり切る飯場には白い飯がふんだんにあり、火の落ちた食堂で田中が丼に飯を山盛りにして高倉に出してやります。目の前に丼飯、でも高倉はなかなか手を出しません。出せないんです。これまでひとにこんなに親切にされたことがないと咽び泣いています。田中に促されて飯を掻き込んでも涙がぼたぼたと飯に落ちます、その飯をまた掻き込みます。ひとから食べ物を分けて貰って体の底から感謝するなんて私たちがもう随分忘れていることで、この白い山盛りのご飯は私たちにこそ突きつけられているのかも知れません。

・山下耕作監督『山口組 三代目』(東映 1973年)

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