戦争のような非常時は思わぬ交点を生み出すもので、赤木春恵の自伝に敗戦後の満州で赤木と若き藤山寛美が互いの苦境を助け合っていたことが書かれています。戦前松竹の女優だった赤木は兄を頼って、いまから思えば敗戦間際の満州に渡ります。しかしその頃では本土は連日連夜の空襲に極度の物不足、しかるに着いた満州では敵機ひとつ飛ぶではなく食べるものにも困らないまさに別天地、戦争がいきなりどこか遠くに行ってしまったようなそんなへなへなとへたり込みそうになる陽気です。それもソ連参戦によって一気に暗転、負け戦の現実が満州にもやってきます。まずはやさぐれた国民党軍が雪崩れ込み、危なくておちおち買い物にも出られません。しかしここは機転を利かせて得意の老け役のメイクで若い女に血目眼になっている兵士たちの目をごまかします。危険や不安は勿論ありますが、のちのちを思えばまだ占領も牧歌的です。藤山寛美は一座で満州に慰問に来ながらいまでは芝居どころではなくなってハルビンに留まっているまだ16歳の少年です。赤木の窮状にどこから都合をつけるのか品物を用意してやる、そんな機敏さと顔の広さを持ち合わせてのちに日本随一の喜劇役者になるその片鱗が伺えるのですが、藤山にしても赤木にしても満州時代の苦難について多くは語りません。そういう短い思い出話のなかにふっと浮かんだふたりの交友です。

満州絡みでもうひとつ。のちに井上ひさしがお芝居にしましたからはるかに有名な志ん生と圓生の満州行きも、あちらでは酒に不自由しないという甘い目論見でやってきて、それこそふたりとも揉みくちゃにされながら辛くも日本に帰り着くわけですが、まだまだご陽気な気分だった着いて間がない満州の夜。宴会の席をひとりの青年が取り仕切り巧みな話術と芸で場を盛り上げてふたりとも感心頻り。聞けば満州のNHKアナウンサーだとか、そんな勿体ない、あんたなら十分あっちでやっていける。名人と謳われる落語家ふたりが舌を巻く座持ちのよさ、まさにこの青年の面目躍如というところでしょう、まあ『森繁自伝』では幾分シニカルな口吻でしたが。

(森繁久彌の座持ちということで思い出すのは、批評する眼光の鋭さからそうそうひとを褒めない宍戸錠が森繁については絶賛で、まだ駆け出しの(、うらなりのひょろっと痩せた二枚目だった)頃、久松静児監督『警察日記』(日活 1955年)の舞台挨拶をしたときのことです。緊張で気の利いたことも言えない新人を察して森繁がとにかく聞かれたら「はい」と答えろ、右手をこうしたら「いいえ」と言えと仕切り、舞台に上がると森繁に聞かれるままに「はい」と答えると笑いが起こり、また聞かれて「はい」で爆笑、最後に右手を動かしたので「いいえ」と言うと場内割れんばかりの声援でそのなかを自分の紹介をしてくれたと森繁の懐深さに脱帽しています。)

さて最後の交点は私の愛する笠置シヅ子と長谷川一夫です。確か旗一兵『花の春秋』(文陽社 1957年)に出ていた話です。戦争が苦境になるにつれままならない映画製作に見切りをつけて多くの映画俳優が実演で地方を巡業しましたが、長谷川一夫も一座を組んで廻っていました。途中で笠置シヅ子の一座と道連れになりますが、長谷川のファンだった笠置の感激ぶりたるや。長谷川と別れて一足先に北海道に渡った笠置が宿で長谷川一行の到着を待っていると、長谷川の乗った青函連絡船が敵潜水艦の攻撃で沈没したとラジオが報じます。確認を取ると確かに長谷川の連絡船でした。それからの笠置の号泣、あの顔、あの気性でしょ、涙で北海道が浮いてしまうほど泣いたことでしょう。その涙の先に何と長谷川が立っています、港に行くのに手間取ってやむなく次の船にしたために難を逃れた、まさに九死に一生です。まあこれだけのことなのですが、笠置シヅ子と長谷川一夫が手に手を取って泣き交わすというのも戦争という状況下でなければ或いはあり得なかった光景だったかもしれません。

・久松静児監督『警察日記』日活 1955年

警察日記 [DVD] 警察日記 [DVD]
3,283円
Amazon

 

・宍戸錠『シシド』角川書店 2012年