シリーズ全11作の『日本侠客伝』には主役の高倉健と絡む多彩な助演者が出てきますが、もっとも異色なのは『日本侠客伝 白刃の盃』(東映1967年)の伴淳三郎でしょう。だいたいこの映画、朝の薄闇を掻き分けるようにロングで引いた2台のトラックが絡まりながら爆走してくるオープニングからして『日本侠客伝』らしからぬ雰囲気で、トラックを沿道の砂利敷きに乗りつけると運転手たちが馴染みの飯屋になだれ込み、居合わせた仲間と丁々発止の掛け合いをするなんて、まるで『トラック野郎』です。まあそれもそのはず、脚本が中島貞夫と鈴木則文。

その飯屋で子供のような男たちを手懐けているのが主の伴です。ただ伴淳、芝居のフットワークが完全に喜劇のときのバネです。気を取られながら汁を味見して熱さに仰天するみたいな得意の小芝居を随所に挿し込んできます。言わば東映任侠映画のなかに『駅前』シリーズが紛れ込んでいるわけで、高倉健は勿論、長門裕之を以ってしても芝居がかっちり噛み合いません。

この役、役としては『日本侠客伝』にオーソドックスなものです。元は組の叔父貴格で組の解散に合わせて飯屋の親父をやりながら同じく転業した若い者たちを陰になり日向になって見守っているなんて島田正吾でもやりそうな役どころでしょ。さっきの、羹の小芝居にしても島田ならば、あの浅田飴を大事にしゃぶっているみたいなセリフ回しで「あっ、ちっ、ちっ、でへぇ、いっけ、ねぇ」と全体の芝居のなかに溶け込ませるでしょう。

そうだけに逆に見えてくるのが、喜劇役者たちの、相手の芝居を受け(流し)ながらそれを踏み越えて自分の芝居を被せてくる爪先だったバネの強さで、『駅前』シリーズにしても『社長』シリーズにしてもそういう百戦錬磨たちが芝居の、見えざるセンター取りを瞬間の間合いで駆け引きしているわけで、伴淳にしてもああやって脇でゆったりと構えながら芝居の流れを自分を起点に仕切り直しているわけです。

役者伴淳三郎の話になると必ず出てくる『飢餓海峡』(東映 1965年)はこの2年前の映画です。そこでの内田吐夢による情け容赦ないしごきが伴の役者開眼になったとはよく言われる話ですが、しごきによる自信喪失が田舎刑事のよれよれとした風情を引き出したというような直接的なことよりも、内田監督が殺したかったのは伴の、このバネの強さであって、このバネを芝居の流れのなかに撓めたまま徹底した受けの位置に立ってみさせることだったように思います。
 
マキノ雅弘監督『日本侠客伝 白刃の盃』東映 1967年
内田吐夢監督『飢餓海峡』東映 1965年
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