こんにちは、こーじつまんです。

本日も軽いお話を一席(^^)

 

「この木なからましかばと覚えしか」ってフレーズ、聞き覚えがないですか?
ほとんどの方が、中学か高校の国語の古文の授業で必ず受けていると思います。
吉田兼好の徒然草第11段の中に書かれているフレーズです。
ちなみにこの第11段は『徒然草』全243段中、もっとも有名な段の一つです。
 

神無月の頃、栗栖野といふ所を過ぎて、ある山里にたづね入ること侍りしに、遥なる苔の細道を踏みわけて、心細く住みなしたる庵あり。木の葉にうづもるる筧のしづくならでは、つゆおとなふ物なし。閼伽棚に菊・紅葉など折り散したる、さすがにすむ人のあればなるべし。かくてもあられけるよと、あはれに見るほどに、かなたの庭に、大きなる柑子の木の、枝もたわわになりたるが、

まはりをきびしくかこひたりしこそ、すこしことさめて、この木なからましかばと覚えしか

 

山里にひっそりと静かに(寂しく)暮らしている人がいるんだなぁと、うっかり共感しかけていたら、たわわに実るミカン(のような実)がなっている木が、なんと人に盗られないように厳重にバリケード(囲い)がしてあるのを見ちゃったので、(なんだか)

がっかりした(^^;

「この木が無かったら良かったのになぁ」と思った。

 

ざっくりと、こんな感じですかね。

中高生の頃は、書いてあるコトは理解できても、

「さて、コレのどこが面白いのか?」

ちっとも分からなかったのですが、人生経験を経て、今ならちゃんと分かります(^^)

 

人里離れて世捨て人のように暮らしている人が、防犯などという世俗の習慣から抜け出せないのを見てガッカリというのもわかりますが、それは兼好の勝手な思いこみで、住んでいた人にとっては「大きなお世話」かもしれませんけど...(笑)

 

人との会話の中でも似たようなことがありますよね。あー、その一言なくても良かったんじゃないの...と。

そんな時に浮かんでくるのが、

この木なからましかばと覚えしか」なのです。

 

鎌倉時代の人ともちゃんと共感できます(^^)

でも、これも勝手な自分の思い込みでしょうか...?