【2023年9月23日にてんかん発作で救急搬送され、その後グレード4の神経膠腫「膠芽腫」と診断された母。余命の中央値1年程度と言われるこの病気、手術はせず、放射線治療と抗がん剤治療を行うという選択をし、老人ホームに入居して2週間毎に病院の外来診察を受ける生活を送っていました。】

 

前回投稿で記載した通り、好調だった前々回投稿から約2か月半程度で母は残念ながら永眠いたしました。前々回投稿で記載した2024年3月5日(火)の造影MRIの後から永眠までの経緯概要は以下の通りです。病気に関連したイベントは太字・アンダーラインにしています。

 

2024年3月10日(日) 母と外出  亀戸天神

2024年3月17日(日) 母と外出  東京都庭園美術館

2024年3月24日(日) 母と外出 六本木東京ミッドタウン

2024年3月31日(日) 母と外出 DIC川村記念美術館

2024年4月2日(火) 病院外来 造影MRI

2024年4月14日(日) 母と外出 六本木東京ミッドタウン

2024年4月21日(日) 母と外出 六本木東京ミッドタウン

2024年4月28日(日) 母と外出 六本木東京ミッドタウン

2024年4月30日(火) 病院外来 造影MRI

2024年5月3日(金・祝) 母と外出 浜離宮恩賜庭園

2024年5月7日(火) 病院外来 アバスチン

2024年5月28日(火) 病院外来 造影MRI

2024年6月8日(土) 湿疹があるとのことで皮膚科外来受診。帯状疱疹の診断。

2024年6月10日(月) 早朝4時頃老人ホームで転倒。脳神経外科に入院。

2024年6月20日(木) 放射線治療

2024年6月21日(木) 放射線治療

2024年6月23日(日) 永眠

 

好調だった病状の大きな転換点は2024年4月30日(火)。同日の造影MRIで、4月2日までは縮小が確認できていた腫瘍が急に昨年の病気発症時に近い状態に逆戻りしていることが発覚する。

 

主治医は投与していた抗がん剤テモダールが効いていないと判断し、ここでアバスチンへの方針切り替えを決定し、急遽5月7日(火)に外来にてアバスチン投与を行った。次の5月28日(火)の病院外来での造影MRIの結果、また腫瘍の拡大がおさまっているとの診断。しかしここで気になったのが、「脳のむくみ」があるとの主治医の言葉。さらにこの時点で、母は歩くのが億劫な様子で、歩行にかなり時間がかかるようになっていた。

 

そして湿疹があるとの老人ホームからの知らせで皮膚科を受診したのがその約1週間後の6月8日(土)。この時は歩行の困難に加えて、さらに元気がなかった。後から考えると母と普通に会話ができたのはこの日が最後だったと思う。

 

そして、2日後の10日(月)。早朝7時頃の老人ホームからの電話で、母が同日午前4時頃転倒して肩を強打したとの知らせを受ける。「整形外科を受診させてください」との老人ホームの看護師からの電話だったので、肩だけの問題かと思い整形外科の翌日の予約が取れたことを知らせると、何やら様子がおかしい。とにかく「受診、受診」と電話口の向こうで捲し立てているが、肝心の母の様子は全く伝わってこない。そのうち老人ホームの事務職員までメールを送ってきて、とにかく受診だという。どうにもこうにも話が通じない。こちらも仕事があるし、整形外科からは当日は手術日で外来は無理と聞いていたので、その旨伝えた上で、緊急なら救急車を呼んでほしいと伝えた。

 

すると少し経ってから同じ事務職員から電話があり、看護師が急遽病院に連れて行ったという。しかも整形外科ではなく脳神経外科に。主治医位は火曜日の担当なので月曜日の当日は不在だったが、別の医師が診てくれて、とんでもない事実が発覚した。

 

なんと4月30日(火)の外来の造影MRIで、主治医が脳幹部に広がっていた新たな腫瘍を見落としていたというのだ。元々腫瘍があった側頭葉から、脳幹部のこの新たな病巣まで、脳の奥で腫瘍が繋がっている可能性が高いという。画像をもれなく、上から下まで見ていれば発見できたはずの大きさの脳幹部の腫瘍だったが、主治医はそれすら見落とした、つまり、脳の画像全体を見ていなかったということらしい。

 

この時点でこれが分かっていれば、放射線治療など別の方針も立てることができただろうが、ファクトを見落としていたわけだから対策もできようはずがない。というわけで全てが後手に回り、6月10日(月)の入院後の20日(木)から放射線治療が始まったわけだが、3日後の23日(火)に母は旅立った。