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「勝利の経典御書に学ぶ17」池田大作
 
「勝利の経典『御書』に学ぶ17
池田大作
聖教新聞社
定価619円
109ページ
2015年630日 初版発行
 
2015年 平成27年 7月4日 読了
 
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【目次】
窪尼御前御返事(虚御教書事)
 (御書全集1478ページ~)
四条金吾殿御返事(八風抄)
 (御書全集1150ページ~)
諸法実相抄
 平和の人間世紀へ! 地涌の使命と創価の大行進
 
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「大白蓮華」に連載された、池田名誉会長講義「勝利の経典『御書』に学ぶ」が単行本化。
全人類の幸福のために説き残された日蓮仏法の真髄に迫りつつ、人生と社会の勝者となりゆく御書根本の生き方を綴っている。
第17巻は窪尼御前御返事(虚御教書事)、四条金吾殿御返事(八風抄)、諸法実相抄を収録。
名誉会長は、御書を拝しゆく信心の大道をこう語っている。
「立ちはだかる人生と社会の難問。それを解決するカギは、御書の中にある」
「御書には、海のごとき慈悲がある。限りない智慧があり、確信があり、戦う心が燃えている。宇宙と生命を貫く根本の法則が、御書に明快に示されている」――。
(出版社の案内より)
  
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「大白蓮華」に連載された、池田名誉会長講義の「勝利の経典『御書』に学ぶ」の単行本化です。
 
20013年9月号~11月号の講義が収録されています。
 
以下、ポイントメモです。
 
創価学会が進める「人間革命」運動は、人の心に巣くう生命軽視・人間蔑視の魔性を打ち破り、草の根の対話で、「生命の尊厳」「人権の尊重」「平和の文化」が輝く社会を築く挑戦です。
政治や経済など、あらゆる営みの根底にある「人間の心」の変革は、人類の命運を決する最重要の革命であり、永遠の闘争なのです(P7)
 
仏法は、民衆一人一人の可能性を開く大法です。一方で、権力の魔性は、民衆勢力の目覚めを恐れます。民衆に尽くすことを忘れ、民衆を利用し、保身のために権力を用いる人のためにとって、魔性の本質に気づいて悪と戦う民衆ほど邪魔な存在はない。ゆえに、徹して迫害を加えてきます(P8)
 
仏法の世界では、実直な「求道の人」が必ず勝ちます。真面目に地道な信心を貫き、堅実な生活を築き上げた人が、最後は勝利するのです(P10)
 
戸田先生は語られていました。
「今は、日本の国始まって以来の乱世といってよい。心して、強盛な信心に立て!時代の波に、絶対に足をすくわれるな!」 
信心は、乱世を勝ち抜く力です。同時に、あらゆる物事の本質を鋭く見抜く、透徹した智慧の眼を培います。
乱世に、あっては、魔軍も手強い。悪は結託し、狡猾に裏で動き回ります。そうした悪人に誑かされては絶待にならない。魔の本質を痛烈に見破らなければならない(P13)
 
熱原の法難は、民衆史から見ても、大きな意義があったと思えてならない。それを一言で表すなら、「どのような権力・権威にも屈することのない自立した個人の出現」といえるでしょう。
日本に仏教が伝来して以来、鎌倉時代まで、仏教の信仰は民衆の中に深く浸透していました。しかし、その基調は当面の利益を求めるか、そうでなければ、現実から逃避して死後の救済を求めるものでしかなかったのです。
ところが、熱原の法難では、当時、名字もない農民たちが、宗教的信念を貫き、権力者の横暴に対して断固として屈しなかった。まさに13世紀の封建時代に日本に起きた、永遠に響きわたる先駆の人権闘争であったと言えます(P17)
 
「内面の自由」「信教の自由」こそ、永遠に崩してはならない人権の根幹です。どんな絶大な権力も精神までは縛れません。自由の叫びを抑えることはできない。そのことを、大聖人の弟子が厳然と証明したのが、熱原の法難だったのです。
また、別の角度からみれば、生命に及ぶ幾多の迫害を乗り越えて、妙法弘通の大闘争を続けてきた大聖人の御精神が、民衆次元にまで定着したことを意味しています。そのことは、立宗宣言以来の確かな結実を示していると言えましょう(P18)
 
竜の口の処刑が失敗した後、大聖人の身柄は一時、依智の本間六郎左衛門尉重連の館に留め置かれました。大聖人の処遇をめぐって議論が紛糾する中、良観はさまざまな謀略を巡らします。鎌倉での放火・殺人を大聖人門下のしわざであると捏造します。
その結果、大聖人の佐渡流罪が決定し、鎌倉の門下たちは、大弾圧を受けることになります(P25)
 
「師弟不二」こそ、仏法の極意であり、根幹です。
弟子が師匠に心を合わせ、広宣流布へ心を合わせ、真剣に祈り、勇敢にうその祈り厳然と叶わないはずがない。そう確信して進むのです。
師弟の心を合わせる、呼吸を合わせるとは、「広宣流布の誓願」を同じくすることです。
「異体同心の祈り」を同じくすることです。
「一人を徹底して励ます行動」を同じくすることです。
師匠ならば、どう祈り、どう考え、どう行動するのか。
その一点を心の中心に置き、師の指導を胸に実践していく中に、師弟の呼吸は通い合うのです(P64)
 
徹底して一人を励まし抜く。これこそが、大聖人の御振る舞いに直結し、今、創価学会に貫かれる永遠不滅の魂です(P70)
 
「われわれの生命は永遠である。無始無終である。われわれは末法に七文字の法華経を流布すべき大任をおびて、出現したことを自覚いたしました。この境地にまかせて、われわれの位を判ずるならば、われわれは地涌の菩薩であります。
これが194573日、殉教された先師の心を受け継いで出獄された戸田先生の確信でありました(P91)
 
地涌の菩薩が活躍する本舞台は、娑婆世界と決まっています。苦悩を堪え忍ばねばならないばねばならない堪忍世界とも呼ばれます。
この苦悩に満ちた現実に生きる一切衆生を救済するためにこそ法華経が説かれたのです。
ところが、舎利弗など釈尊在世中の直弟子たちは、法華経迹門で成仏の記別を与えられた大恩があるにもかかわらず、いざ仏滅後の弘教を誓う段になると、娑婆世界を嫌って、他の国土で法華経を弘めると言います。
 そして、これらの在世の弟子たちと異なり、虚空会に集った菩薩たちは、悪世の娑婆世界の広宣流布を誓うが、最終的には、釈尊に退けられてします。言い換えれば、それほど末法の娑婆世界で法華経を説くことは難事なのです。経文に明白な通り、三類の強敵など、ありとあらゆる大難が必定であるからです。
この大難の嵐に負けず、広宣流布の戦いを続けられるのは、久遠の仏と一体不二で修行してきた地涌の菩薩しかないのです。
大聖人は、地涌の菩薩の偉大な使命に触れられ「(この菩薩は)能く能く心をきたはせ給うにや(P1186)」と門下に言われています(P94)
 
「時」をいえば悪世末法、その「国土」をいえば娑婆世界が、地涌の菩薩の使命の舞台です。
一番大変な条件を選んで、一番苦しんでいる民衆のために“今ここで戦う”と立ち上がったのです。
仏法は「願兼於業」を説きます。
人々を救うために自ら願って困難なところに生まれたのであると、受動的な人生から自発能動の人生に転換するのです。
自らの誓願で「宿業を変える」のです。
久遠の使命の自覚によって、新たな自分に生まれ変わる。自身の発迹顕本をして、本当の自分の力を解き放つのです。
地涌の生命に目覚めた人に、何も恐れはありません。多くの人を救う使命に立てば、勇気も湧くし、力も出る
なんと不思議な宿縁でしょうか。
なんと偉大な誓願でしょうか(P95)
 
地涌の使命は、あまりにも大きい。あまりにも崇高です。
民族や人類、国籍や性別など一切の差異を超え、生命の大地の奥深くに広がる大いなる創造的生命、人類共通のルーツに基づく使命といってもよい。
それに気づくことを「地涌」というのです。
いかなる人も尊極の生命の当体です。
互いに励まし合い、尊敬し合いながら、今この地上に生きる仲間として、自他共の無間の可能性を開き、幸福と平和という価値を創造する底力がある。
偉大な使命があるのです。
その使命に生きることを誓って現実社会に躍り出たのが、私たちなのです(P97)
 
地涌の菩薩は、赫々たる勇気の大光です。
孤独で不安な夜を歩む友の前を、温かく照らすのです。
絶望の涙を拭い、その眼前に希望の光を送るのです。
無明の闇を破り、慈悲と智慧の光明で生命を照らすのです。
ここで「衆生の闇」といっても、それは、抽象的な話ではありません。今、現実の目の前の「一人」の闇を照らすかどうかです。
この一人と向き合い、その一人に生きる希望と勇気を与え、自らの人生の幸福を開く原動力となる宗教かどうか--眼前の一人を蘇生させることが、世界宗教の根本条件です(P101)
 
ここで私は、あらためて学会の使命を確認しておきたいと思います。
一、創価学会は永遠に、日蓮大聖人直結の地涌の菩薩の教団として、広宣流布の大願に生き、世界の平和と人類の幸福に尽くす。
一、創価学会は永遠に、「師弟不二」と「異体同心」の信心で、人間勝利の道を開く。
一、創価学科は永遠に、「一人立つ精神」と「一人を大切にする心」をもって、人生と社会に勇気と希望の光を送る。
一、創価学会は、永遠に、民衆の側に立ち、民衆のために戦い、民衆と共に進む。
一、創価学会は永遠に、一切の差別や偏見の壁を超え、人間平等の連帯を広げる(P104)
 
我らが進む「人間主義の大道」は目の前に広々とあります。いつ、どこで歩き始めても、そこに道はあるのです。何も迷うことも、恐れることもあいません(P105)
 
人類は皆、本来、地涌の使命を持っています。その地涌の使命は、目覚めた地涌の生命に触れて必ず触発されるのです(P106)