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「勝利の経典御書に学ぶ16」池田大作
 
「勝利の経典『御書』に学ぶ16
池田大作
聖教新聞社
定価619円
125ページ
2015年519日 初版発行
 
2015年 平成27年 7月2日 読了
 
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【目次】
治病大小権実違目(御書全集995ページ~)
九郎太郎殿御返事(題目仏種御書)(御書全集1553ページ~)
上野殿母御前御返事(御書全集1568ページ~)
 
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「大白蓮華」に連載された、池田名誉会長講義「勝利の経典『御書』に学ぶ」が単行本化。全人類の幸福のために説き残された日蓮仏法の真髄に迫りつつ、人生と社会の勝者となりゆく御書根本の生き方を綴っている。
第16巻は治病大小権実違目、九郎太郎殿御返事(題目仏種御書)、上野殿母御前御返事を収録。
名誉会長は、御書を拝しゆく信心の大道をこう語っている。
「立ちはだかる人生と社会の難問。それを解決するカギは、御書の中にある」
「御書には、海のごとき慈悲がある。限りない智慧があり、確信があり、戦う心が燃えている。宇宙と生命を貫く根本の法則が、御書に明快に示されている」――。
(出版社の案内より)
  
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「大白蓮華」に連載された、池田名誉会長講義の「勝利の経典『御書』に学ぶ」の単行本化です。
 
20013年6月号~8月号の講義が収録されています。
 
以下、ポイントメモです。
 
いかなる逆境にあっても、そこから自身の偉大な人間革命をすることができ、価値創造をすることができる。
これが仏法の真髄である。
日蓮大聖人の仏法は、どこまでも現実を力強く変革する「希望の宗教」
です。
戦後の悲惨な社会の中で、あるいは人間が置き去りにされた社会の中で、苦悩に打ち沈んでいた人々が信心で立ち上がり、妙法の偉大な変革の力を証明してきたのが、創価の民衆運不動にほかなりません(P8)
 
「心の病」とは、今日でいうところの精神的な病とは異なります。「生命の濁り」「時代・社会の歪み」といってもよいでしょう。それは「時代・社会の歪み」にも広がります。
その原因・正体は、一言で言えば「煩悩」です。
煩悩は、貧瞋癡の三毒をもとに八万四千ともいわれるほど多岐にわたります。 これらは「身の病」と異なり「無明」という、生命の根底の闇から起こるため、生命を深く洞察した仏法によって解決するしかありません(P14)
 
いつの時代にあっても、社会の盛衰は、いかなる哲学を根本とするかで決まります。
この最高の哲学を弘めるために、私たちは生まれてきたのだとも、戸田先生は断言されていました
その使命のままに、社会の変革に立ち上がる私たちの大確信の闘争を、戸田先生はどれほど、喜んでおられるでしょうか(P17)
 
正邪が顚倒する社会、価値観が混乱し、生命尊厳の思想や人間の可能性を開花させる哲学が見失われていく社会。
こうした歪んだ社会の底流を根本的に変えるために立ち上がるのが法華経の行者の存在です。人々が不幸になり、迷い苦しむ社会だからこそ、大聖人はどこまでも正義の闘争を続けていくことを門下に教えられているのです(P22)
 
ここで、念のために確認しておきたいことは、たとえ不慮の事故や病気などで亡くなったとしても、信心を貫いた人の成仏は絶対であるということです。
生前に妙法に縁し、健気に生き抜くならば、あるいは家族や同志の懸命な追善の題目に包まれていくならば、必ず、三世永遠の幸福の軌道へと入っていけるのです。
大聖人は、遺された家族の心情に、どこまでも寄り添われ、故人の境涯について「いきてをはしき時は生の仏・今は死の仏・生死ともに仏なり(P1504)」と語り掛けられました。広宣流布の題目に包まれた死は、「永遠の勝利」への出発です。必ず再び広宣流布の陣列に、清新なで生命で戻ってこられるのです(P25)
 
大聖人は「無明と法性とは一心の異名なり(P564)また「悟りは即ち法性なり迷は即ち無明なり(P510)と仰せです。
生命の奥底で「元品の無明」という迷いの闇を晴らせないゆえに、妙法に反発し、悪行をなすのも人間であり、妙法の信と行で「元品の法性」を煌々と発し、善の連帯を広げるのも同じ人間です。
外なる悪との戦いは、自身の内なる悪に打ち勝って、内なる善を開き顕す戦いと一体なのです。
無明・煩悩の薪を燃やして、法性・智慧の光を灯し、自他共の幸福の道を照らし出していく。これが宿命転換・人間革命です。
“もうだめかもしれない”と思うような厚い苦難のカベにぶつかった時にこそ、題目によって生命の本然の底力を涌き上がらせていけるのです。「強敵を伏して始て力士をしる強敵を伏して始て力士をしる(P957)」のです。
そのための御本尊です。信心です。「元品の無明を対治する利剣は信の一字なり(P751)」と仰せの通りです。
したがって、私たちの信心の修行、広宣流布の挑戦に“もう十分である、終わりである”という終着点はありません。
どこまでも革新!どこまでも蘇生!どこまでも成長!。無明に支配された人生から法性が輝く人生へと転じゆく偉大な「価値創造」のドラマを、永遠に楽しく、力強く演じながら、前進していくのです(P29)
 
●大聖人の仏法は、見思惑などを次第次第に克服していこうとするのではなく、直ちに一番おおもとの迷い「元品の無明」の闇を打ち破っていくのです。
それは、暗闇に慣れきった人間が急に強い日差しの下に出るようなものかもしれません。まぶしくて目も開けられない。
次元は違いますが、誰もが成仏はありえないと信じきっている中で、即身成仏の法門は最も難信難解なのです。だから反発もある。日本中の衆生の「元品の無明」が大聖人への大瞋恚となって顕れたのです(P35)
 
牧口先生の御書には、「結句は勝負を決せざらん外は此の災難止み難かるべし」との一節に線が引かれています。
「勝負を決する」とは、現実社会に正義を確立することです。
それは、言論の戦いです。勇気で勝つことです。現証で勝つことです。
そこに初めて「元品の法性」が発動し、災難を乗り越えていくことができるのです(P36)
 
あえて私たちの実践に引き寄せて言えば、「理の一念三千」は「個人の変革」の可能性を理論上、確立したものであり、「事の一念三千」は、事実の上で「人間革命」し、そして、自他共に「幸福の軌道へ入り」、さらに「社会の変革」へと大きく展開していくものです。
つまり、広宣流布という「仏の大事業に」に参画することであり、具体的には「広宣流布の指導者」に続いて行動していくことなのです(P40)
 
昭和32年(195773
私は全く無実の選挙違反の容疑で不当逮捕されました。いわゆる「大阪事件」です
取り調べのため、最初は警察署の留置所に囚われ、つづいて大阪拘置所に勾留されました。約2週間、外界から隔離され、たった一人の獄中闘争でした。
しかし、その中で深く感謝したことは、必死に戦っているのは、決して私一人ではないという事実でした。
私の安否を我が事のように心配し、真剣に無事を祈ってくださった何千何万の同志がいました。毎日のように心づくしの差し入れをされた婦人もいました。じっとしていられず警察署や拘置所まで行き、権力の横暴に悔し涙で怒りをぶつけた方々もいました。
何よりも恩師・戸田城聖先生は、投獄される直前、羽田空港でお会いした時、「絶対に死ぬな、死んではならんぞ」と強く言われ、「もしも、お前が死ぬようなことになったら、私もすぐに駆けつけて、お前の上にうつぶして一緒に死ぬからな」とまで万感の心を語ってくださいました。この師匠をお守りするためなら、どんな理不尽な仕打ちにも絶える覚悟でした(P48)
 
当時、学会は「貧乏人と病人の集まり」と誹謗嘲笑されていました。
しかし、いったい誰が、その貧乏人と病人に手を差し伸べたのか。いったい誰が、苦悩と必死に戦っている庶民の中に飛び込み、一人一人と対話しながら、いかなる宿命も使命に転じて、必ず幸福と勝利の道を開いていけると励まし続けたのか。
この最も困難な戦いを、日蓮大聖人の御心のままに、真っ直ぐに実践し続けてきたのが創価学会です。一言でいえば、「人間を大事にする」「一人を大切にする」という戦いに徹してきたのです。
権力は人間を手段や道具にし、思うがままに動かし利用します。そこに「第六天の魔王」の本質もあります。
日蓮仏法は、べクルトが正反対です。
どこまでも一人の人間の「心」を包み「生命」を照らします。そこに何ものにも壊されない、「仏性」という無限の善の可能性を見るのです。
その心と心を結び、人と人とを結びながら、互いに信じあえる一対一の絆を土台として築き上げてきた人間生命の大連帯が、創価学会です。
一人一人が、どれほど大切な存在か、尊い生命の方々であるか。
御書を繙くと、大聖人が常に慈眼を注がれているのも、一人一人の心であり生命であることが拝されます。広宣流布という大偉業は、どこまでも一人を慈しみ、心と心を結合していく行動を離れてはありません(P50)
 
大聖人門下には、南条時光や四条金吾、富木常忍など、多数の御消息を賜っている有力な在家の弟子たちがいました。しかし、他にも詳細が分からなくとも、生命の金の糸でつながっている縁もたくさんありました。大聖人を求め、誠実一路に黙々と頑張っている多くの弟子がいたのです。
“この人の尊い大闘争を見逃してなるものか”大聖人は、そうした方々を徹して大事にされ、徹して激励されました。真心には真心で応える。この振る舞いの中にこそ、私たちが受け継ぐべき仏法の「人間主義の魂」があります(P58)
 
大聖人は「星は多くても大海は照らせない。草は多くても宮中の柱とはならない」という譬えを通して、誤った教えでは、どんなに多くの人が信じていても、人々の苦悩の闇を晴らしゆく大光にも、人々を支える安心の柱にもならないと断言されています。
だからこそ社会の指導者が、民主主義の現代でいえば、主権者たる個々の民衆自身が、いかなる思想・哲学を根本の規範として持つかが大事なのです。
では、どんなに時代が移り変わろうとも、見失ってはならない源流たる仏の根本の願いとは、何でしょうか。
それは、法華経に説かれる「万人成仏」を実現しようとする精神です。人々の己心に具わる仏性を開いて自他共の幸福を自在に満喫していける仏の境界を勝ち得ることです。
この本意に背いて、「仏に成る道」や「浄土へまひる種」など決してないのです(P67)
 
昭和32年(1957)の717日、大阪拘置所から出獄した私は、その晩、中之島中央公会堂で行われた大阪大会の壇上で、こう宣言しました。
「最後は、信心しきったものが、大御本尊様を受持しきったものが、また、正しい仏法が、必ず勝つという信念でやろうではありませんか!」
それは、私自身の誓いであり、確信でありました。そして、その場に駆けつけてくださった一人一人の魂の叫びであったに違いありません。
たとえ世間で無名であろうが、貧しき身であろうが、いかなる苦難や困難を抱えていようが、人間は誰でも絶対に幸福になる権利がある。、自他共の幸福を堂々と開いていく本源的な仏の力があるのです。権力者などに断じて壊されることはありません。この一人一人が輝く時代を築くために、私たちは嵐に向かって立ち上がったのです(P81)
 
思えば、人はなぜ死を恐れるのか。
一つの観点から見れば、死は、あらゆるつながりを断絶するように感じられるからではないでしょうか。
けれども、死によっても決して断ち切ることができないものがあります。それが、三世に崩れぬ「生命の絆」であり、「心の財」です。妙法で結ばれた「生命の絆」は永遠不滅なのです(P89)
 
大聖人が最も心配なされたのは、母親の上野尼です。
年若い子供を亡くした悲しみはいかばかりか。しかも、七郎五郎は、夫の南条兵衛七郎に先立たれた時に、おなかにいた子供でした。その夫の後を追って死にたいとまで思ったのを踏みとどまらせた、忘れ形見の愛児でした。手塩にかけて育てた宝の子でした。容姿もさわやかで、心根もしっかりした好青年で、自慢の子でした。その子を失った嘆きの母に、大聖人はどこまでも寄り添われ、同苦されていったのです(P94)
 
妙法の因果は、死の苦しみ、別離の苦しみをも超えて、三世永遠の生命の絆で同心の者を結ぶのです。
この絆は、何ものも断ち切ることはできません。また、何ものも引き離すことはできない。何ものも邪魔することは絶対にできないのです(P104)
 
戦時中に入会した、ある草創の友は、幼い我が子を亡くすなどの悲嘆の中で、「神も仏もあるものか」と絶望に打ちひしがれていました。
その時、信心とする原点となったのが、先師・牧口先生の大確信の励ましでした。
「人生、あきらめないでよいことが、ここに、たった一つだけあるのです」と。 それが「信心」です
変転やまない無常の世の中です。自他共に「生老病死」の苦悩が怒濤のように押し寄せる人生です。しかし、いかなる人生の嵐にぶつかろうが、生死の荒波を乗り越え、勝ち越えていける、確かな「常楽我浄」の船があるのです。大聖人は「生死の大海を渡らんことは妙法蓮華経の船にあらずんば・かなふべからず(P1448)」と教えてくださいました。
妙法とともに生き抜く生命は、断じて、断じて絶望の淵に沈みゆくことではありません(P117)
 
「いかなる人生観を持つか」が、その人の人生に決定的な影響を与えます。
であるがゆえに、「生命は永遠なり」という生死観を多くの人々が共有していくならば、人間の文明はどれほど、その姿を変えることでしおうか(P121)