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「池田SGI会長指導選集 幸福と平和を創る智慧 第一部[下]」指導選集編集委員会 編 vol.1
 
「池田SGI会長指導選集 幸福と平和を創る智慧 第一部[下]」
指導選集編集委員会 編
聖教新聞社
定価463円
165ページ
2015年3月16日 初版発行
 
2015年 平成27年 5月13日 読了
 
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【目次】
<はじめに>
 
[第一部 幸福への指針]
第四章 「苦悩を突き抜け歓喜へ」
1 人生の勝利劇の主人公は自分自身
2 煩悩の「薪」で幸福の「炎」を
3 どんな苦悩も変毒為薬できる
4 未来を開く「本因妙」の仏法
5 何があっても喜んでいける人生
6 苦も楽も共にあるのが人生の実相
7 苦難を安楽に転ずる一念の力
8 困難を通じて生命を磨け
9 冬は必ず春となる
10 仏法を実践する偉大な功徳
 
第五章 自他共に幸福に
1 「喜とは自他共に喜ぶ事なり」1
2 利他と自利が共鳴する菩薩道
3 互いに尊敬し、共に向上の道を
4 今を大切に!目の前の人を大切に! 
5 利他の行動が自らを豊かにする
6 万人を敬う菩薩道の実践
7 自他共に「心の財」を積みゆく人生を
8 妙法を教えることが最高の利他の道
 
第六章 生死と向き合う
1 絶対的幸福への軌道
2 人生を高める契機に
3 死苦を乗り越える仏法の生命観
4 生と死は不二である
5 生も歓喜、死も歓喜
 【参考】ハーバード大学記念講演
  二十一世紀文明と大乗仏教(抜粋)
6 自分自身の成仏の境涯を固める
7 身近な人の死と向き合う
8 自分自身の成仏が故人の成仏に
9 妙法の縁は永遠
10 不慮の死をどう受け止めるか
11 成仏の証は明確に現れる
12 「病によりて道心はをこり候なり」
13 「老い」への価値観を変える
 【参考】第三十八回「SGIの日」記念提言
  二〇三〇年へ平和と共生の大潮流(抜粋)
14 生死の苦悩を転ずるために
 
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指導選集は、第一部「幸福への指針」、第二部「人間革命の実践」、第三部「広宣流布と世界平和」という三つの柱で構成されています。
 第一部「幸福への指針」では、相対的幸福・絶対的幸福という二つの幸福観、生命変革の原理としての十界論、生命変革の実践としての勤行・唱題の意味、「生も歓喜、死も歓喜」という仏法の生死観を示していきます。
 続く第二部「人間革命の実践」は、最も人間らしく勇気と智慧と慈悲を輝かせていく仏法者の生き方が中心となります。さらに第三部「広宣流布と世界平和」は、世界広布の理念と運動、人間主義の組織の在り方、牧口初代会長・戸田第二代会長・池田第三代会長という創価の三代に貫かれた師弟不二の精神、そして世界平和と生命尊厳の思想へとテーマが展開していきます。
(はじめにより抜粋)
 
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大白蓮華の連載企画「池田SGI会長指導選集 幸福と平和を創る智慧」の2014年7月号~12月号を単行本にしたものです。
 
「池田大作全集」を中心に、珠玉の言葉を抜粋し、各テーマに分類してまとめられています。
 
以下ポイントメモです。
 
仏法が教えるのは、人生劇の「脚本《シナリオ》」を書くのも、「演じる」のも、自分自身だということである。
他の何ものかが、脚本《シナリオ》を書くのではない。自分が書いて、自分が名優として演ずる。これが「一念三千」の法理にこめられた、きわめて積極的な人生哲学である。
自分が作家で、自分が主人公である。大切なことは、すばらしい劇《ドラマ》を演じるためには、まざまざと鮮やかに目に浮かぶまで、〝脚本〟を頭にたたきこまねばならないということである。心の中でリハーサル(練習)も必要かもしれない。「勝利劇」の目標(受験や、会社の成績など)を、紙に書いて、何度も何度も心にしみつくまで繰り返すことが効果的な場合もあろう(P12)
 
イギリスの大小説家ウォルター・スコットは言っている。
「臆病な人間にとっては一切は不可能である。なぜなら、彼には一切が不可能に見えるからだ」
「不可能だ」「ダメだ」という一念が、本当に何もかもを「不可能」にするのである。親から、いつも「ダメな子だ」と言われていると、自分もそう思い込んでしまい、本当に「ダメな子」になってしまうかもしれない(P13)
 
「心の外に別の法無し(P564)」──心の外《ほか》に別の法はない(すべての現象は心の産物である)──。
大聖人の御手紙を拝するとき、つねに相手に応じた〝たとえ〟を引かれ、〝文証〟を引かれて、何とか「心」を変えよう、「一念」を強めよう、「確信」と「自信」をあたえようとされている。
つねに「希望」と「励まし」を太陽のように送っておられる。「心」が変われば「一切」が変わることを熟知されていたからであろう(P14)
 
信心していたとしても、決して悩みが消えてなくなるわけではない。十界互具が生命の実相であり、仏界にも苦悩の九界が具わる。また九界の現実に即してしか、仏界の顕現もない。
大切なことは、苦難あるときに、絶対にひるまぬことである。仏の慈悲と確信して、いよいよの強盛な信心で進むことである。
「信仰しているのに、なぜ……」などと弱々しく疑ったとしたら、その弱き一念が、一念三千の法理にのっとり、三千次元に回転して、ますます苦しみの境涯をつくっていく。これでは、強信とはいえない(P27)
 
「喜べ!」──これがトルストイの一つの結論であった。何があっても喜んでいける人生。そこには人間としての大境涯があり、強さがあり、幸福がある。
 反対に、何があっても、文句ばかり、批判ばかりの人生。それでは、たとえ外見は立派そうに見えても不幸である。
ルストイは、1901年、教会から破門された。72歳という晩年のことである。海外からも尊敬を受けている偉人を、こうすれば困るだろうと「破門」──。
しかし、その権威の画策を、彼は、歯牙にもかけない。悠然と見おろしていた。
「喜べ! 喜べ!」。その信条は変わらなかった。彼には、燃え上がる〝闘争の一念〟があった(P29)
 
〝喜べない人生〟は不幸である。「またか」「たいへんだな」(笑い)などと、いつも下を向き、苦しい顔をして、文句や批判ばかり。これでは御書に反してしまう。
すべてに「喜び」を見いだしていける人。すべてを「喜び」に変えていける人。その人こそ「人生の達人」である(P31)
 
「自受法楽」の「自受」とは、「自ら受ける」ということである。人ではない。自分自身で決まる。人に何かをしてもらったり、他から与えられるものではない。自分が自分で幸福をつくり、自分で幸福を味わっていく。どんな苦楽の道も、悠然と楽しんでいける強く大きな自分になっていく。それが「自受法楽」である。また、必ずそうなっていくのが、南無妙法蓮華経の力なのである。
ゆえに私たちは、人と比べる必要などない。御本尊への信仰を根本に、自分らしくいけばいいのである。そして、健康で、目標を持って、周りの人と仲良く、調和をとりながら進んでいくことだ。その振る舞いのなかに、「あの人はいいな」「すばらしい人格だな」「話をしてみたいな」と慕われるような魅力がおのずと輝いていく。自分自身を最高に発揮できるのが妙法なのである(P35)
 
「難」がなければ、真の「仏道修行」ではない。「戦い」がなければ、真の「幸福」もない。それでは、本当の人生とはいえない。成仏もない。こう定めた信心に行き詰まりはない。
「境涯」の力は不思議である。「一念」の力は無限である。同じ環境、同じ状況にあっても、わが「境涯」と「一念」しだいで、百八十度、違う結果となり、人生となろう(P37)
 
皆さま方は〝金剛不壊の人生〟と輝いていただきたい。ダイヤモンドのごとき、心美しく輝く〝幸福〟の結晶の自身となっていただきたい。そのためには難を恐れてはならない。悪口等に負けてはならない。むしろ、それらはすべて、わが生命を磨いてくれるありがたい存在であるからだ。
難があればあるほど、信心の大確信を強盛に発揮して、喜々として仏道修行していく人の人生こそ、金剛石のごとき王者の人生である。
この大切な一生を、〝美しい信心〟と〝美しい同志愛〟で立派に飾っていただきたい。そして金剛の〝美しき生命〟の光を幾重にも広げ、正法正義を証明しきって、生涯を全うしていただきたい(P41)
 
大難に次ぐ大難。もったいないことであるが、普通ならば、病に倒れるか、神経をむしばまれるか、殺されるか、自殺するか、仏の力なくしては、とうてい乗り越えられるものではない。
しかし大聖人は、一切に勝たれた。生きて、生きぬかれた。全人類のため、三人秘法の大仏法を末法万年尽未来際(未来際を尽くす=未来永遠)に伝え、残していかれるために。この大慈大悲を、私どもは深く拝さねばならない(P49)
 
もとより次元は異なるが、私どもも、長年ともに戦ってきた同志のためにも、自分自身が〝幸福の春〟を勝ち取らねばならない。後輩の人が、その姿を見て、ああよかった、信心を続けた人はあんなに立派になり、幸福になるのだと、喜んでいかれるだけの歴史を示してあげねばならない(P49)
 
さて〝春〟には、いっせいに花が開く。しかしその前に、花たちはいったん、冬の寒さに十分さらされなくてはならない。──もし〝冬〟を知らないと、どうなるか。
春に咲く植物は、秋になると〝休眠〟の準備に入る。春に向けてエネルギーを蓄え始めるのである。もしも冬の休眠の途中で気温が上がり、眠りからさめると、春の到来を待っていた芽が未熟のまま開き始める。そこにふたたび寒さがもどれば、芽は枯れてしまい、死となる。
そうならないために、植物は十二分に〝冬〟を経験したあとでなければ、咲かないようにできている。これが、春の開花にそなえる、植物の〝知恵〟である。
人生も仏道修行も、その原理は同じといってよい。〝冬〟は、すばらしい〝春〟のための充電と鍛えの時である。その時にこそ、永遠に崩れぬ「成仏」へのエネルギーは蓄えられ、宇宙大の広がりを秘めた生命活動の力が培われていく。
しかも、そのエネルギーは、難にあえばあうほど大きさを増す。そして、正しき法にのっとった人〝冬〟のたいへんな時に、信心の向上のための世界から逃げたり、疑ったりして、十分に力と福運を蓄えておかなければ、すべてが中途半端となってしまう。ましてや「満足」の人生を、送ることはできない。
〝冬〟の間にこそ、どう戦い、どれほど充実した時を過ごすか。必ず来る〝春〟を確信し、どう深く生きるかである。時いたれば、自然界には花咲く春が間違いなく訪れる。それが生命と宇宙のリズムである。しかし、現実の社会にあっては、〝冬〟のままで人生を終える人があまりに多い。そうならないために、〝春〟を呼ぶ宇宙のリズムに生命が合致しなければならない。そのための妙法の仏道修行なのである。
その意味で、正しき信仰とは〝永遠の幸福の翼〟である。苦難を乗り越えるたびに福運を積み、境涯を高めていける。今世において一生成仏すれば、三世永遠に「所願満足」の生命の〝大空〟を悠々と羽ばたいていくことができる。これが仏法の法理であり、生命のリズムなのである(P50)
 
「人のために火をともせば・我がまへあき《明》らかなる」(御書1598㌻)とは、日蓮大聖人の御聖訓の一節です。他者の幸福のために尽くしていくことが、自らの幸福をも輝かせていくことを示しています。
本章は、この日蓮仏法の目的ともいうべき「自他共の幸福」を目指す生き方に光を当てます。
仏法では、わが生命と自らが縁する全ての環境は、密接に関連していると見ます。
池田SGI会長は常々、「他人の不幸の上に自分の幸福を築かない」「〝自分だけの幸福〟もなければ〝他人だけの不幸〟もない」と訴えています。他者を顧みず、自分だけの幸福を追求するエゴイズムでは、崩れざる真の幸福は得られません。とともに、他者の幸福のために自分を犠牲にする生き方も真の幸福とはいえないでしょう(P59)
 
※vol.2へ続きます。