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「輝きの明日へ26」池田大作
 
「輝きの明日へ26」
池田名誉会長のスピーチから
池田大作
小冊子
聖教新聞社
定価100円
102ページ
1998年730日 初版発行
 
1998年 平成10 10月14 読了
 
  
 
収録期間 平成10年(1998年)5月3日~5月20日
 
【目次】
 
社会で勝つための信心(5.3記念協議会)H10.5.5
 大聖人の旅路
 まず最高を学べ
 戸田先生“何とかなる”は謗法
 御聖訓「天晴れぬれば地明かなり」
 信仰は観念の遊戯ではない
 励ましの旅を
 日目上人の若き日の勝利 悪を完膚なきまでに破折
 青年が躍り出て
 見事に破折せよ!! 青年ならば
 末代まで名を残す広布の闘士に
 師弟に生きてこそ、真金の人
 日顕宗は大聖人に師敵対
 嫉妬ゆえに転落
 師に違背すれば血脈は流れない
 御聖訓「大悪魔は貴き僧となり」
 城者、城を破る
 信心は「いよいよ」の心で!!
 妙法には“不老”の生命力が
 この一生を勝ち「永遠の勝利」を
 
青年よ叫べ!! 民衆の先頭で(全国青年部幹部会)H10.5.8
 独立の魂の曲
 「行動」の中に劇が音楽が
 語れ! 語れ! 「民衆の声」こそ最強!! ホール・ケイン「不正との戦い」は「人間の義務」
 民衆の先頭で、道を切り開く
 1300万の平和の声
 怒濤を楽しめ! 獅子ユゴーの如く
 ユゴーの絵
 戸田先生「投獄されようが追放されようが。そこで戦う本物の一人がいれば広布は進む」
 「本物の一人」を育てたい!
 悪を責めてこそ「善」、沈黙は「悪への同調」
 ちっぽけな男・ナポレオン三世
 試練に苦しむ人々の味方に
 乱世にこそ「民衆の連帯」は輝く
 凱旋のユゴーは叫んだ 友よ! 「完全なる勝利」まで更に戦おう!!
 19年の亡命生活を終えて
 大闘争こそ「青春の宝」を磨く
 若いということは無限の財宝
 いよいよ、声を大にして責めよ
 「人間として偉大」な指導者に育て
 自分で苦労せよ
 21世紀の大舞台は君たちのために
 
永遠に崩れない「韓日友好」の大橋を!!(関西代表者協議会)H10.5.20
 独立運動の父・安昌浩(アンチャンホ)先生の言葉 “信ずる同志がいる。これ以上の幸福がどこにありますか”
 つねに勇気の人が勝つ! 広宣流布も人生も
 勇気で人を救え
 代表の名前を永遠に顕彰
 慶熙大学・創立者夫妻の金字塔「建設には命をかけました」
 「精魂こめた塔が崩れるものか」
 水深くして魚集まる
 世界は全部友人!! 平和と幸福を願う心で
 賞は学会婦人部の勝利の象徴
 不幸な人々を救っているのだ
 また新しい戦いを開始します!
 真実ありのままを語ればいい
 
長編詩
偉大なる母を讃うH10.5.3
 
<メッセージ>
さあ民衆戦線の最前線へ!!(拡大方面長会議)H10.5.9
 ここがロドスだ ここで跳べ!
 民衆を救った!
 21世紀へ「勝利の跳躍」を
 行き詰まりは、人材の欠乏から
 実践の場から人材は生まれる 牧口先生「水泳を覚えるには水の中へ!!」
 達人の指導者
 新時代へ!! 回転の力は「大情熱」
 中国・胡副主席の現場主義「自分の目で見て、自分で考えなければ、皆の気持ちはわからない」
 若きリーダーは行動また行動
 青年の「熱」と「力」を今こそ!!
 「少しもこりず」戦い抜いて仏に
 誰もが戦士、誰もが英雄
 
青年部の時代へ 「すべて青年が!!」だから勝てた 現代中国の勝利の原点「5.4運動」の教訓(全国青年部)H10.5.15
 青年時代の悩み
 遠慮はいらない
 「だれも頼らない」この決心で歴史を!!
 「だれかがやってくれる」を捨てた
 付け焼刃でなく“本物”を鍛えた
 改革は自己から
 民衆を“踏み台”にするエリート主義が悲劇を
 民衆を愛する精神闘争を
 民衆の声を代弁せよ! 拡声せよ!!
 魯迅「声を出さない人は死人です」
 勇気を出せば、社会は変わる
 今こそ底力を
 「やれることは全てした」のが英雄
 
  
 
池田先生のスピーチ集「輝きの明日へ」の第26巻です。
 
平成10年(1998年)5月3日~5月20日までのスピーチ、長編詩、メッセージ等を収録しています。
 
以下、ポイントメモです。
 
●特に青年は、率先して信心の体験を、つかんでいただきたい。
体験は力である。深い信心の体験をもつ人は、何があっても動じない。その確信によって、どんな困難も、労苦も、福徳と喜びに変えていけるのである(P12)
 
●弟子の心、弟子の本質を知り抜いているのが師匠である。師匠の心を知って、それに応えるのが弟子である(P16)
 
●青年は、悪と戦う力と理論を身につけるべきである。「破邪顕正」である。邪義を破ってこそ、正義は宣揚される。悪と戦えない教学では、広布の役に立たない。牧口先生は「悪人の敵となりうる勇者でなければ、善人の友とはなりえぬ」と教えられた。青年部は、悪と戦う、実力ある師子になっていただきたい(P18)
 
●過去にどれほど強盛な信心をしてきたとしても、現代の一念が惰性になったり、信心が弱くなれば、過去に積んだ福運も次第に消えていってしまう。諸天の加護も弱くなる。大聖人は、御書の各所で「いよいよの信心を」「いっそう強盛な信心を」と、つねに励まされている。
「今まで」ではない。「今」がどうかである(P25)
 
●私は、青春時代、不当な迫害が少しでもあれば、どこであろうと一人乗り込んで、叫んできた。戦ってきた。そして今、私は諸君を信じて、一人で戦っている。諸君があとに続いてくれると確信している(P33)
 
●ユゴーは、独裁者ナポレオン三世と真っ向から対決し、亡命中であった。
彼の亡命闘争は、1851年から1870年まで、じつに19年にわたった。権力の波浪は、彼に猛然と襲いかかった。
二人の息子も投獄。ユゴーの首には賞金がかけられ、何度も暗殺されかけた。これが「本当の闘争」である。
それに比べれば、悪口や、中傷など、些細なことである。帰る家があり、食べるものがあり、自分の気分次第で、たまに“さぼる”こともできる――真の革命闘争とは、そんな悠長なものではない。
広宣流布の「本当の闘争」をしなければ、仏にはなれない(P34)
 
●「本物の一人」を、どう育てるか。ここに一切の焦点がある。ゆえに今、私は、あらゆる機会を捉えて、「本物の一人」を育てるために語りに語っている。その「一人」を相手に語りかけているのである。
“必ず、あとに続く人間がいる。本物の一人が、いればよい。それで、すべては開けるのだ!”――こういう気持ちである(P36)
 
●若さほど偉大なものはない。青年であることは、それだけで、いかなる権力者にも勝る無限の財宝をもっていることなのである。いわんや諸君には「妙法」という“永遠の財宝”がある。唯一無上の法とともに生きる人生は菩薩であり仏である。
この大切な「青春」という宝を、最高に生かさなければ、あまりにも、むなしい。燦然と輝かせていくべきである。そのための信心である。そのための仏道修行であり、学会活動である。修行がなければ、せっかくの宝を持った自分自身が腐ってしまう。錆びてしまう。心が死んでしまう。
諸君は「創価の青春の帝王」である。
どうか、その誇りをもって、自分自身のために、勇気ある前進、勇気ある闘争で、わが身を飾っていただきたい(P45)
 
●大聖人は、いかなる権力者の弾圧にも退かれることはなかった。学会精神も同じである。
困難を恐れ、臆病になり、退転すれば、永遠に“何かに怯えながら”生きていかざるをえない生命となっていく。
勇気を失えば、最後は不幸である。難を避け、広宣流布の戦いから去れば去るほど、みじめで、哀れな姿となっていく。それに対し、皆さまは、広宣流布のあらゆる艱難を勇気で乗り越えてこられた。その福運、功徳は無量であり、永遠である。まさに長者の方々である。
仏法は「心」である。「心」がどうかで決まる。
心が広宣流布へ向かっているか否か。その厳しき因果の法が仏法なのである(P52)
 
●シェークスピアの戯曲の一節を紹介したい。
「真実を語れば嘘つき悪魔は恥じ入るってわけだ」「せいぜい真実を語って悪魔を恥じ入らせることだな」と。
「真実ありのまま」を語る。これ以上の武器はない。まったく、その通りである(P62)
 
●情熱は行動を生む。情熱は人間を大きくする。情熱は人間を生き生きと光らせる。情熱は人間の魂である(P83)
 
●バカにされようと、いじめられようと、少しもこりることなく、執念をもって、一心不乱に戦う――。この人が「仏の大境涯」を得るのである。
苦労せずして、戦わずして、難を乗り越えずして、仏になれるわけがない。わがままに、やりたい放題やって、行動も気分しだい―――そういうのは、おとぎの国の話である(P87)
 
●私は、入信間もない青年部のころ、悩みがありました。それは、周囲に立派な先輩が少ないということでした。終戦間もないころでありました。
誠実さも慈愛もなく、ただ威張っているような壮年が多かったのであります。堕落した幹部もいた。陰で戸田先生を裏切っている幹部もいました。青年として、私は許せなかった。権威的で、真剣にやらない上に、後輩を大切にしない先輩が嫌いでありました。
ある日、戸田先生は私の心を見抜かれて、「創価学会が嫌いなのか」と聞かれた。私が「その通りです」と実情を申し上げると、先生は一言、「それならば、大作、お前が本当に好きになれる創価学会をつくればいいではないか」と言われたのであります。
“良い人がいないというならば、君自身が偉くなればよいではないか。君自身が模範になればよいではないか”“鯉が竜に成長するにも、上から落ちて来る滝の圧力に逆らって、登り切ってこそ、竜になれるのだ。やりにくいところで、うんと苦労してこそ、人間も偉大な人になれるのだ”“先輩など、あてにするな。全部、青年が青年の責任で、理想の創価学会を建設していけ。それを私は期待しているのだ”そういう先生の心でありました。この明快な指針の通りに、私は戦いました。広宣流布の一切の責任を担って、猛然と一人、立ち上がったのであります。
「革命は死なり」の決心で、50年間、走り抜きました。そして今、全世界から顕彰される創価学会になりました。牧口先生、戸田先生が「世界の偉人」と認められる「証明のドラマ」を綴りました。
私は今、青年部の皆さんに、この戸田先生の言葉を、そのまま贈りたいのであります。 そして、わが池田門下の君たちが、こぞって猛然と立っていただきたい。
 
広宣流布に遠慮はいりません。よき先輩は尊敬しながら、悪い先輩は叱りつけて進めばよいのです。そして婦人部を大切にしながら、傲慢な仏敵は一人も残さず、屈服するまで責め抜いて、広宣流布の新しいうねりを無限に広げていただきたい(P90)
 
●英雄とは、「自分にできることを、すべてやった人間」であります。凡人とは、自分にできないことを夢見ながら、自分にできることをやろうとしない人間であります。
文句を言いながら、また、ゆったりと遊びながらの行動では、広宣流布の勝利はない。自分自身の人間革命もありません。かえって転落してしまう。
すなわち英雄とは、至高の目標を見つめながら、自分らしく戦いきった人のことであります。「自分自身に生きよ」とは戸田先生の遺言でありました。ゆえに学会っ子は、いかなる時代になろうとも、前途に何があろうとも、自分らしく堂々と、勇敢に、朗らかに生きることです(P101)