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「地涌からの通信30」不破 
 
「地涌からの通信30
日蓮正宗中枢の傲慢と戦う
不破 
はまの出版
定価1000円
230ページ
1994年8月26 初版発行
 
2004年 平成16年 10月4日 読了
 
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【目次】
 
(763)「山崎の腎臓病、原島の糖尿病、藤原の心臓病、石田の癌死」。縷々話した内藤も自分の頭の手術についてはなぜか語らぬ
 
(764)段勲はアイペックという詐欺集団の粉飾に利用されていた。どんなに正義面をしても組んでいるのはいつも悪党たちだ
 
(765)「椅子に座って参加する者がいると丑寅勤行が乱れる」。何を血迷ったか、上野村の日顕が時代錯誤の無慈悲な暴言
 
(766)日顕狂って曰く「供養する信徒は僧を堕落させる悪い奴」。自分の堕落した罪を信徒になすりつけるこの幼児性を見よ
 
(767)「あー、私は若い時にチャントあそこへ遊びにいきましたよ」。こう開き直れと“指南”する“法主”も馬鹿なら聞くも馬鹿
 
(768)六万登山の余波で信者を盗られた正信会が宗門に宣戦布告。大義なき坊主らの“仁義なき戦い”は両者の邪を顕然とする
 
(769)寺族のみならず『地涌』編集部も読まない『慧妙』を、末寺に購読強制する日顕の言葉に宗内不信と焦りが見える
 
(770)かつて日顕と相思相愛の仲になった人妻がわが娘について、「この子の父親は日顕猊下」と語っていた事実は大変に重い
 
(771)日顕は吉原遊郭にいて「父」日開の死に目に会えなかった。この不名誉に反論する日顕の「証言」には重大な矛盾がある
 
(772)「夢の国」「新世紀」「ワールド」「宮城野」「祝」「千子」キャバレー、クラブ、お茶屋・・・日顕はとんでもない道楽坊主
 
(773)日顕の祖母は「きちんとした後妻」ではなく正真正銘の「妾」。なぜなら本人は生涯入籍されず認知されない子供もいた
 
(774)六万登山は大失敗し無謀な計画ゆえに社会問題化する。ならば存分にやらせ日顕の責任であることを明確にしよう
 
(775)出家の動機には“恨”“厭”があるが本義は慈悲であるべき。慈悲であれば世間(社会)を差別せず民衆救済を願業とする
 
(776)日開の出家の動機は弟に新妻を寝盗られた“恨”に起因する。この男が民衆を支配する僧社会で差別の階段を登っていく
 
(777)「血」によって裏切られた日顕の母・スマの出家の動機は、出家社会に「血」によって結合した「家」を作ることだった
 
(778)偽書「出家功徳御書」を在家を差別する論拠とすることなく、僧たるもの民衆救済の本義に目覚め日顕一族の支配を断て
 
(779)新作ビデオ『日顕の戯言』は坊主の生態観察に見逃せない。ゴルフ、カラオケ、パチンコ、オンナに興ずる彼らが“出家”!?
 
(780)「自分の命令は末法の御本仏日蓮大聖人の御命令である」。遂に日顕が全国教師指導会で驚天動地の一大宣言をなした
 
(781)炎暑に不満タラタラの“烏合の衆”を集めて増長の極み。己が謀略を“御仏智”己が命を“御仏意”と説教する日顕
 
おわりに
 
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末法の御本仏日蓮大聖人は、一切衆生の成仏を願って慈悲を硯に流され、魂魄を筆先にとどめられ、数々の御書を著された。日蓮大聖人御入滅後七百年を経た今日、日蓮大聖人を御本仏と慕う数多の仏弟子らが御書を拝することにより、時の隔たりを超え、日蓮大聖人の生命に触れ、迷いを離れ、苦しみを解き、欣喜雀躍する。
  第二祖日興上人は「富士一跡門徒存知の事」にも明らかなように、御書をないがしろにする五老僧の所行を破し、「後代の亀鏡」として御書を残されたのである。宗祖日蓮大聖人、日興上人に連なる末弟は、御書をもって信仰の「亀鏡」と拝し、修行すべきであることは、いまさら断るまでもない。
  ところが、日顕宗では“宗開両祖を崇め奉り御書を心肝に染める”と口にはするけれども、おこなっているところは、その正反対である。日顕宗では、「(御書は)大聖人の御法門、御指南が一切網羅されたものではありません。言葉を換えれば、大聖人の御法門の部分とも言えましょう」(平成三年八月二十五日、本説寺での大阪布教区副宗務支院長・高野法雄の発言)といった邪まな主張がまかり通っているのである。
  いまや日顕ごときも、自身のおこなった謀略を「御仏智」と称し、みずから下す命令を「下種本仏・日蓮大聖人の厳たる御命令」と言いつのるまでに増長している。日顕ら一党は、御書以外に「血脈」があり、“法主”から“法主”にその「相承」がなされているとして、日蓮大聖人の法門を日顕一人の心中に帰し、果ては、その権威をもって「僧」が民衆より上に立つことを正当化しようとしている。
  この日顕ら一党の論は、邪義である。この邪義と戦ったが故に、混沌の中に埋もれていた正義が画然と姿を現すこととなった。御書の中にしか、後世に相承すべき信仰の核心がないことが明確となってきたのである。
  日蓮大聖人が虚空会で釈尊から相承した、すなわち文底から見れば日蓮大聖人固有の重要法門は、ことごとく御書に納められている。日蓮大聖人は法門を後世に残すため、主要な弟子に重要な御書を託されたのである。日蓮大聖人は託す弟子に対し、「宿縁のをふところ予が弟子となり給う」と仰せになっている。ならば、時を隔てているにもかかわらず、重要法門の認められた御書を間近に拝する弟子の在ることは、なぜだろうか。日蓮大聖人を上首上行と仰ぐ「地涌の菩薩の眷属」であるが故である。
  思えば、その弟子たちの勇気と実践によってのみ、日蓮大聖人が生命を削り、後世に残された御書は、実語となる。御書を実語とする者は仏弟子、御書よりほかに「血脈」を求め、御書を虚言とし、仏法を破壊する者は天魔である。
  日蓮大聖人は、最蓮房に与えられた「諸法実相抄」の末尾に、こう書かれている。
  「日蓮が相承の法門等・前前かき進らせ候き、ことに此の文には大事の事どもしるしてまいらせ候ぞ不思議なる契約なるか、六万恒沙の上首・上行等の四菩薩の変化か、さだめてゆへあらん、総じて日蓮が身に当ての法門わたしまいらせ候ぞ、日蓮もしや六万恒沙の地涌の菩薩の眷属にもやあるらん、南無妙法蓮華経と唱へて日本国の男女を・みちびかんとおもへばなり、経に云く一名上行乃至唱導之師とは説かれ候はぬか、まことに宿縁のをふところ予が弟子となり給う」(諸法実相抄)
  仏弟子たる創価学会の師弟は、御書を実語とするために今生に生を受けたと知るべきであろう。これもまた、宿縁深厚なるが故である。
  1994年8月
(おわりにより)
 
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FAX通信「地涌」をまとめた本、第30弾です。
 
1994年5月14日より7月27日までの期間に発行された、第763から第781号までが収録されています。
 
地涌766号で報じられた日顕の
彼らは、ジーッと御供養して信仰やって、坊さんが堕落するのを待ってたんです! これは、そう言えるんです。そうして、最後に堕落しきったところで、我々が宗門全部を利用して適当に料理しよう。うん。いこう。これが、いままでの彼らの本心ですよ
という言葉は、抱腹絶倒のお笑い発言でした。
 
僧侶が堕落したのは、創価学会がご供養したせいだとは・・・・
 
本当に日顕は、この程度の人間です。
 
以下ポイントメモです。
 
「だから、私がみなさん方に申し上げたいのは、暴露だとか脅し記事なんかに恐れなさんな! そんなものに、いま、私がチョット昔、チョット、まっ、ある若い頃、まー、うー、なんだ、まー、人間だからね、まっ、いろいろ多少はあるよ。若いうちは、とくに。いーじゃないか、人は! なにも、それを暴露されたことが、堂々と、『あー、私は若いときにチャントあそこへ遊びにいきましたよ』と。(笑い)堂々と言い切るくらいの覚悟をもちなさい!
  また学会のね、誹謗なんてね、ウソもあれば本当もあるだろう。少しは本当も。(笑い)大勢の中には。けれどね、どれひとつ取り上げたからったってね、じゃ、それでもって我々が手を、警察でもって、あの、手に手錠をかけられるというようなことありますか? まったくありゃしない!」
  ワッパが手に嵌まらなければなにをしてもいいというのが、日顕宗の宗旨のようである。このようなバカげたことを“法主”の地位にある者が、感情的になって吠えるようにまくしたてる(P30)
 
「彼らは、ジーッと御供養して信仰やって、坊さんが堕落するのを待ってたんです! これは、そう言えるんです。そうして、最後に堕落しきったところで、我々が宗門全部を利用して適当に料理しよう。うん。いこう。これが、いままでの彼らの本心ですよ」と、日顕(P31)
 
運蔵(日開)の出家の契機は、弟に新妻を寝盗られたことである。そのために故郷を捨て、家督すらも弟に渡すこととなった。
十五歳の運蔵は、耐えがたい苦汁を身内、村社会から舐めさせられた。運蔵は、そのため剃髪し僧となったのだが、運蔵の場合、家を出るという行為があったあとに髪を剃ったもので、厳密に言うならば本来の出家とは大きく意味を異にする。
すなわち、運蔵は仏門を志した故に出家したのではなく、家出をした結果として行き着いたところが寺であったのだ。この「出家」と「家出」の差異は重大である。
運蔵が寺に入った動機は何かといえば失意であり、その失意には世俗社会への恨みが潜む。新妻を寝盗った弟を許容する身内、盗られた男を笑う故郷の人々、それらの世間総体に対する恨みが運蔵の出家の動機となったと思われる(P119)