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「輝きの明日へ13」池田大作
 
「輝きの明日へ13」
池田名誉会長のスピーチから
池田大作
小冊子
聖教新聞社
定価100円
102ページ
1997年1118日 初版発行
 
1997年 平成9 12月 読了
 
  
 
収録期間 平成9(1997年)7月9日95
 
【目次】
 
21世紀へ「人材革命の波」を(第13回本部幹部会)H9.7.9
 未来へ未来へ――立ち止まらぬ人は衰えない
 5年間で75年分の仕事をする!
 前進! 前進! 広宣流布は永遠に前進!!
 ゲーテ「私は過去を忘れてしまう」
 一生で 楽しい日は一月もなかった
 「今生人界の思出」を幾重にも
 生きること自体が楽しい境涯を
 人を救い 自分も成長 人生最高の楽しみは学会活動
 老苦・死苦に苦しまない功徳
 組織の中で自分を磨け!!
 境涯を広げるには、人間関係を広げる
 民衆からの勲章
 幹部が境涯を広げよ そのために「人と会え」「人の面倒を見よ」
 人は孤立すると自分を見失う
 だれと会っても大丈夫な自分を
 戦わなければ正義は敗れる
 牧口先生は 日本の国家主義と対決
 「学会は広宣流布をする」と初宣言
 国家を大善に導け!! 学会員は「選ばれた大善人」
 敵前上陸ゆえに迫害は覚悟の上
 宗門は「利己主義」、大聖人に背く
 弾圧下、牧口先生は240回の座談会
 一番大変な時に大変な所へ!!
 師子王の心!!
 「利用だけして後は切る」のが宗門
 ぼくは弟子だ、先生にお供する
 リーダーが伸びれば皆が伸びる
 21世紀へ「人材革命の波」を 人材を見つけよ、育てよ ――その人が人材
 人間で決まる! 人間をつくれ!
 
痛快なる勝利で人生を飾れ!!(第14回本部幹部会、第15回中部総会)H9.8.27
 自分が苦労を 自分が先陣を
 宗教を弘める唯一の方法
 宗教の魂は殉教、自分中心を捨てよ
 命をかけた心が、心に感応
 人にやらせるのは官僚主義
 どうして学会は大発展したか
 わがままな修行などない
 会員を幸福にするために幹部がいる
 心を師とせず、心の師となれ
 自分中心は「妙法の軌道」を外れる
 広布の同志に尽くせば 自分が諸天に守られる
 諸天善神とは
 新しき出発! 自分が先頭に!
 誰よりも祈る
 誰よりも苦しむ
 誰よりも動く
 素晴らしき組織をつくれ 人をつくれ、芸術家のごとく
 理想の地域への革命を!!
 障害にあうごとに、いよいよ前進
 限りなき闘争、限りなき戦闘
 中部は勝った
 その場で不滅の歴史を!! 美事に果たせ、今世の使命を
 同じ一生ならば痛快なドラマを
 
名を残せ!! 広布の戦に(代表幹部研修会)H9.9.5
 火星探査車の名前は「元奴隷」の庶民の女性
 彼女の武器は恐れなき「声」
 私は本は読めません。でも人の心は読めます
 「私は語り抜いた 走り抜いた!」と 永遠の誉れの一生を!!
 妙法の戦士の名は全宇宙にまで
 差別されてきた人を大統領に
 我、「旃陀羅が子なり」と誇り高く
 見栄を捨てよ! 気取りを捨てよ! 不借身命の人こそ王者
 石を金にする妙法
 人々を救う高貴な人生 感涙と感謝を忘れるな
 こんな自分が何とありがたい
 御聖訓「命限り有り 惜む可からず」
 我らの合言葉は「限りなき前進
 
和歌
世界の同志に(8.24「池田SGI会長入信50周年」記念の和歌)H9.8.24
 
後継の青年に(8.24「池田SGI会長入信50周年」記念の和歌)H9.8.24
 
<長編詩>
世界に輝け 人材の要塞(不滅の団結 山梨の友に贈る)H9.7.6
 
<授章>
国王陛下は、池田会長に感謝 SGIはネパールの誠実な友人(ネパール王国・ビレンドラ国王「御即位25周年記念コイン」授与式)H9.7.14
 民衆のための25年を尊敬――池田SGI会長の謝辞
  釈尊生誕の国に燦然たる歴史が
 
<創立者のメッセージ>
学園生の勝利こそ、我が栄光(第3回7.17「栄光の日」記念の祭典)H9.7.17
 観念だけでは何も生まれない 行動、挑戦の中で学べ!
 
  
 
池田先生のスピーチ集「輝きの明日へ」の第13巻です。
 
平成9年(1997年)7月9日~9月5日までのスピーチ・和歌・長編詩・メッセージ等が収録されています。
 
第14回本部幹部会、第15回中部総会のスピーチは、学会の幹部・リーダーとして、心得なければならない重要なことが種々語られており、襟を正さずにはおれません。
 
以下、ポイントメモです。
 
●ゲーテについて(P7)
 
●組織を大切にせず、組織につかない人間は、心の底で学会をバカにしていることになる(P13)
 
●「境涯を広げる」には、どうすればいいか。それには「人間関係を広げる」ことである。
ゆえに、幹部一人一人は「人間と結合する」ことである。会員とつながり、人間とつながってこそ本当の幹部である。一人で、威張っている。一人で号令をかけている。そんな格好が幹部なのではい(P14)
 
●孤立すると自分を見失う――組織から離れ、学会を出て行った人間が学会を攻撃するのも、自分で自分がわからなくなるのである。わびしさ、ヤキモチから狂っていく。
広い人間関係の中にこそ「より大きな自分」を見つけられる(P16)
 
●人と接しない人は、自分に閉じこもり、わがままになり、小さな考えになり、自己中心になりがちである。要するに、組織を嫌う人は薄情なのである。そこに慈悲はない。切磋琢磨もない(P17)
 
●ゲーテは言う。
「他人(ひと)を自分に同調させようなどと望むのは、そもそも馬鹿げた話だよ」「性に合わない人たちとつきあってこそ、うまくやって行くために自制しなければならないし、それを通して、われわれの心の中にあるいろいろちがった側面が刺激されて発展し完成するのであって、やがて、誰とぶつかってもびくともしないようになるわけだ」
自分に同調させ、言うことを聞かせようという幹部は、愚かである。
自分の言うことを聞かない人、自分と反対のことを考える人を避けてはいけない。そういう人と調和し、納得させていってこそ修行である。
それでこそ、全体が前進できるし、自分が成長する。そんな人物と差し向かいで会っても、びくともしない自分になれる(P17)
 
●一人でも多くの人と語った人が勝利者である。人の面倒を見てあげた分だけ、勝利である。いろんな人々と、がっちりギアをかみ合わせて、広宣流布へと向かわせてあげた分だけ、自分が勝つ(P18)
 
●一番、「大変な時」に、「大変な所」から始める。ここに偉大な歴史が開かれる。本当の歴史が始まる(P25)
 
●戦争当時、宗門は御書の発刊を禁止し、「日蓮大聖人は一閻浮提第一の聖人なり(P974)」の御文をはじめ、大切な14個所の御聖訓を削り取った。
だれが、こんな非道を許せようか。私どもは許さない。大聖人も許されるわけがない。しかも宗門は、いまだ大聖人にも信徒にも謝罪さえしていない。
さらに宗門は、大石寺に「神札」をまつり、牧口先生にも「神札を受けよ」と迫った。何という大謗法か。しかも牧口先生が「絶対に受けません」と断ると、陰で学会の弾圧に味方したのである(P28)
 
●大将が陣頭指揮を執らなければ、戦は勝てない。自分が動かず、臣下にだけやらせていたのでは、皆、やる気をなくしてしまう。ゆえに私も今日まで、どんなに疲れていようと、一歩も退かなかった。陣頭指揮でやってきた(P32)
 
●フランス革命のころの名士、タレイランについて(P36)
 
●命を捨てなければ、宗教は弘まらない。人々の心はとらえられない。命をかけた尊い心に、人の心が感応するのである(P39)
 
●私は揺るがない。いかなる嵐があろうとも。
普通であれば、病気になるか、死ぬか、気が狂うか、自殺するか――それほどの大難また大難であった。しかし、私は生きて生き抜いた。これが「創価の精神」である。「師子の魂」である。
しかも私は、だれも犠牲にせず、自分が一身に難を受けようという一年で戦ってきた。この心を知っていただきたい(P41)
 
●殉教といっても、何も悲壮になることではない。具体的には「わがまま」を捨てることである。例えば、すぐに組織がどうの、あの人がどうのと、文句を言う。
しかし、わがままな仏道修行などない。本当は、たとえ牢獄に行っても、文句はいえない。自分のための信仰であり、苦労した分だけ、自分が仏に近づくのだから。わがままは、自分で自分の功徳を消してしまう。流してしまう。
また「自分は偉い」「自分は特別だ」「自分は、いい学校を出た」「自分は立場がある」「そんなに一生懸命、学会活動しなくても、自分だけ拝んでいればいいんだ」。すべて「自分中心」のわがままである。
自分が中心ではない。法が中心、南無妙法蓮華経が中心である。広宣流布が中心である。尊い同志の創価学会員が中心である。自分は、そのために尽くし抜いていく立場である。この大誠実こそが、殉教に通ずる(P42)
 
●威張ったり、要領を使ったり――誠実でない幹部はインチキである。
会員を部下のように思ったら、大変な間違いである。仏法に親分・子分のような関係はない。会員には、仕えるべきである。「会員のために、幹部がいる」のである。幹部になって、自分が偉いと錯覚し、ほかの人のことを考えない。
また、自分の人気や保身しか考えない。自分が動かないで、すぐに「人を集める」。そんな傲慢な人間を、勝手気ままにさせるための創価学会の組織ではない。といんでもないことだ。
「会員のための組織」である。「不幸な人を幸福にするための組織」である。「広宣流布をするための組織」である。自分中心の組織利用、仏法利用、師匠利用。今まで偉くなり、退転した者は皆、これであった。
また社会的にも、日本の国は、「民衆に尽くすために指導者がいる」ということが、まったくわかっていない。その反対を、やってきた(P43)
 
●広宣流布のために「誰よりも苦しむ」ことだ。
苦しんだ分だけ、永遠の福徳を積む。人に苦労をさせて、自分は“いい子”になって、身を守ることだけを考える――そんな官僚主義は仏法ではない。
大聖人は「秘とはきびしきなり三千羅列な(P814)」と仰せになった。
(三千とは、一念の三千の当体であり、この厳しき生命の法則から、だれ人も、のがれられないことを示している――との仰せである)
“おまけ”もないし“割り引き”もない。仏法の厳しき因果律の前では、幹部も会員もない。幹部だから許されるなどということは絶対にない。
いな、立場が上になればなるほど責任も大きくなり、(責任を果たした)功徳も、(責任を果たさなかった)罰も大きくなる(P48)
 
●「わが地域を素晴らしい理想の地域に革命していこう。自分のいるところから変えていこう」こう立ち上がっていただきたい。
「いい組織をつくる」ことである。「自分」でつくることである。芸術家が、魂を込めて作品をつくるように。
「人をつくる」ことである。法といっても、人で決まる。よき人材を、必死になって見つけ、集め、育て、広げていかねば勝利はない。
ただ自分に“おべっか”を使ってくれる、自分のほうが優位に立てる――そんな人間ばかり集めても、何にもならない。どんどん敗北の坂を転げ落ちるだけである。強い人間、また建設的な反対意見を言える人間を、そばに置けるようになれば、偉大な指導者である。
「組織をつくる」「人をつくる」。それが、自分の幸福をつくることになる。
今世で、自分は、どれだけの歴史を残せるか。すべて「一念」と「行動」で決まる。「自分は地涌の菩薩である! 広宣流布のために生まれてきた」「ゆえに自分が一切を担って立とう! 自分が、すべての勝利の原動力になっていこう!」。
この強き信心に立つのが学会精神である。この強さこそ、学会の強さである。
この一念で戦いきってこそ、自分自身の本当の「使命」がわかる。自分自身の「本地」がわかってくる(P50)
 
●黒人差別と女性差別に挑んだ、ソジャーナ・トゥルースについて(P56)