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「創価のルネサンス100池田大作
 
「創価のルネサンス100」
池田名誉会長のスピーチから
池田大作
小冊子
聖教新聞社
定価100円
88ページ
1997年1月2日 初版発行
 
1997年 平成9年 9月 読了
 
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※収録期間 平成8年(1996年)9月14日~11月2日
 
【目次】
 
人間を救う「薬王菩薩」と立て(9.15「ドクター部の日」記念勤行会)H8.9.15
 民衆を守る大闘争を 名医・耆婆のごとく、四条金吾のごとく
 戦う正義の獅子たれ 悪と策謀はドクター部が打ち破れ
 慈悲の健康革命を 学会員を大切に 我が同志を尊敬
 社会の信頼の灯台に 皆の信頼に応えよ 皆に希望を、喜びを
 
万年の勝利へつづれ 人間王者の歴史を!!(第3回本部幹部会)H8.9.26
 大王の嘆き これほど苦しんで死ぬのに王の栄光など何になろう!
 「私はやり切った!!」と黄金の生死を
 猿回しの猿の如く翻弄される
 殉教が宗教の魂
 我に正義あり ゆえに何ものも恐れず
 おびえているのは、お前たちだ!
 生きてきたようにしか死ねない
 罪をでっちあげるのが悪の手口
 彼らこそ勝利者
 冤罪の死刑囚「信念を貫けて幸福だ」「もう一度生きても同じ人生を!」
 わが生命を黄金に変える信仰を
 一生は夢のごとし 信仰のみが永遠
 死の審判の前には 地位も富も無力
 強き信心、まじめな信心が大切
 広宣流布の人生こそ荘厳
 おびえた人間は使えない
 達人の秘伝
 濁り、狂った世
 難と戦う無名の門下に誉れ 聖人・賢人と大聖人が御称賛
 在家の門下に
 「まことの時」に戦う人が賢人・聖人
 「まことの時」に立つ賢人たれ
 人間の尊貴は「心で決まる」「行動で決まる」
 私が矢面に
 万年に輝く民主の宮殿を建設!!
 三人の男の違い
 
我らの前進は「万年の長征」(第4回本部幹部会)H8.10.25
 青年よ強くなれ 戦って強くなれ 自分を鍛え抜け獅子になれ!
 障害や闘争があった方がいい
 強いことが幸福。強いことが勝利 自分を彫刻せよ、岩山のごとく!
 強き信心が仏界
 人に頼るな。自分が進め 朗らかに! 「私がいれば安心!」と立て
 進まざるは退転
 未来の果は現在の因に。ゆえに今を勝て!
 現実と格闘してこそ向上する
 前へ! ただ前へ!
 味方を作りつつ
 簡単なことなど、ひとつもない!
 前進!! 前進!! 広布の長征は始まったばかりだ!!
 洋々たる舞台が
 必死の一人がいればよい
 周総理は嵐の中で「私がいる! 心配はいらない!」と
 魂の炎燃やして
 いかなる時も前へ! その強き心こそ勝利の旗に包まれる
 民衆の幸福の砦をさらに強く
 新世紀へ前進の年は、新世紀へ人材をつくる年
 実践で成長する
 朗らかに進め!
 
<メッセージ>
堂々と「創価の太陽」と昇りゆけ(東京社会部・創価同窓の集い)H8.9.14
 朗らかに愉快に「使命の人生」を
 
「私は勝った!」と言える大満足の人生を(第1回岩手県総会)H8.9.16
 目先にとらわれず、信心を貫き通し
 
勝とうと挑戦する人は、すでに勝利している!(少年部結成31周年記念首都圏総会)H8.9.23
 
<創立者のスピーチ>
大学よ 人権闘争の電源地たれ(第9回創価栄光の集い)H8.11.2
 価値創造の精神が共鳴
 沈黙は敗北 正義は叫べ!
 ドイツの言葉「歴史とは強者に対する知者の戦い」
 師弟一体の叫びが権力の“魔女狩り”を破った 「卑怯者め! うそをつくな!!」
 憤怒の炎燃やし
 ポーリング家から友情の証
 
<授章>
教育で世界を結んだ偉業 対話で平和を作った人生(ロシア・極東大学の名誉博士号授与式)H8.11.2
 「まれにみる傑出した人物」「多分野の貢献」世界が池田会長を称賛する――クリロフ学長の授章の辞
 
創価のルネサンス総目次
 
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池田先生のスピーチ集創価のルネサンス」の第100巻です。
 
平成8年(1996年)9月14日~11月2日までのスピーチ・メッセージ等が収録されています。
 
「創価のルネサンス」シリーズはこれが最終巻で、巻末に総目録が収録。
 
以下、ポイントメモです。
 
●釈尊の直弟子、名医・耆婆について(P6)
 
●位や名声など虚像である。幻である。追いかけても何もならない。それよりも無名であっても、人のため、法のために生きる人生が、どれだけ尊いか。
私は、やり切った! と言える信念の人生のほうが、どれだけ幸福か。
皆、同じ人間である。違うのは境涯である。
境涯の違いだけは、死をも超えて永遠に続く。ゆえに「心こそ大切(P1192)」なのである(P15)
 
●イタリアのジョルダーノ・ブルーノについて(P16)
 
●悪に対して「おとなしい」のは卑怯である。学会は「おとなしく」なってはならない。吼えていかねばならない(P17)
 
●多くの死を看取ってきた、ある看護婦さんが語っていた。
「結局、人間というものは、生きてきたようにしか死ねないものですね」
だからこそ、「幸福に死ぬ」ということは、大変難しい。一生の総決算である。本当の自分が、そこに出る。
幸福に生き、幸福に死ぬ――そのために信仰である。信心を持った人に、不幸な死に方はない(P18)
 
●「日蓮をたすけんと志す人人・少少ありといへども或は心ざしうすし・或は心ざしは・あつけれども身がうごせず(P1149)
――日蓮を助けようと志す人は少々いるけれども、あるいは志がうすい。あるいは志が厚くても、身がそれに伴わない――
決意が弱い人間。気持ちだけで行動がない人間。こうした人々もまた人生の最終章で苦しむことになってしまう。それを哀れむがゆえに、真剣に信心に励みなさい、と大聖人は大慈大悲で教えてくださっているのである(P25)
 
●志は、「まことの時」にこそ表れる。逆境の時の行動によって、その人の「真価」がわかる。そのことを大聖人は、きちっと見極めておられた。
「聖人」等の名前を贈られたのも、その門下が順調な時ではない。逆行の時にこそ差し上げられている。本当に、すごい仏様であられる(P31)
 
●レンガを運ぶ三人の心の違い(P34)
 
●青年の財産は何か。それは闘争である。苦労である。戦わなければ強くなれない。青年時代に戦っていれば、人生の総仕上げの時に、何も恐れるものはない。厳然たる岩山のごとき大境涯である(P40)
 
●戦うべき時に戦わず、前進するべき時に前進せず、愚痴と臆病と無責任と批判ばかり――そういう人は、一見、楽しそうに、また安穏無事にみえても、「心の敗北者」である。卑しく、みじめな道を歩んでいることが自分自身ではわからない。
形式ではない。格好ではない。見栄ではない。できあがった組織のなかを泳ぐものでもない。
自分自身が本当に戦ったのか。前進したのか――それで人生の勝負は来まる(P43)
 
●人材は実践の中でしか、現実の戦いの中でしか育たない。模擬練習だけでは絶対に育たない。観念や組織上の形で、出来上がるのではない。口先だけ、形式だけ、気取った格好だけ――そんなうわべだけのものではない(P52)
 
●「途中」ではない。「最後」がどうか。人生の闘争は、すべて、この一点で決まります(P59)
 
●キリスト教などでは、“人間は、神によって裁かれる”と説く。これに対し、仏教では、“自分自身の因果の理法の上から裁かれる”と説きます(P60)