イメージ 1
「創価のルネサンス97」池田大作
 
「創価のルネサンス97
池田名誉会長のスピーチから
池田大作
小冊子
聖教新聞社
定価100円
95ページ
1996年8月24日 初版発行
 
1997年 平成9年 8月 読了
 
★ ★ ★
 
※収録期間 平成8年(1996年)6月5日~6月15日
 
【目次】
 
「地球市民」教育への一考察(コロンビア大学ティーチャーズ・カレッジでの講演)H8.6.13
 教育こそ人道主義の原動力
 ヂューイ博士と牧口会長――国家を越えた人間教育を志向
 戦争への怒りが教育への決意に
 「人間は、学ぶことによって人間になる」ヂューイ博士
 知識のみの延長は大量殺戮兵器
 “いつでも価値創造できる人間を育成”牧口会長
子どもの幸福が、教育の目的
菩薩こそ、地球市民のモデル
1. 生命の平等を知る「智慧の人」
2. 差異を尊重できる「勇気の人」
3. 人々と同苦できる「慈悲の人」
 相互依存の世界
 善性を信じて
 勝鬘(しょうまん)夫人の誓願
 小我の分断の病理を超えて
 連帯は善=大我、分断は悪=小我
 郷土を通して世界を認識せよ
 地域に根ざして
 教師こそ学校の実質 人間は人間から学ぶ
 教育は技術であり芸術
 “教師は自ら王座に座すのでなく人を王座に導け”牧口会長
 教師・牧口の慈愛
 師弟こそ真髄
 国連を基軸に地球倫理を、地球市民を
 地球的課題を自覚させる教育を
 「世界教育者サミット」を提唱
 四権分立が必要 教区権を国家の権力から分離
 国家を超えた教育者の連帯を
 
社会の進歩は母の力(ロサンゼルス最高会議)H8.6.5
 人権弾圧に、トルストイが怒りの抗議
 ロシアの「ユダヤ人虐殺事件」
 民衆よ立て! 高潔さを武器に
 権力者と聖職者が陰謀・デマで、ユダヤ人を迫害
 功徳の意義は
 “平和学の創始者”は、創価学会の民衆運動に期待
 他人の不幸の上に幸福を築かぬ
 冷戦崩壊に貢献
 同苦できる人こそ「平和の労働者」
 おめでとう! 6.10婦人部の日
 「人間の問題は、女性が解決」イプセン
 修養と訓練で人間は進歩
 着実で堅実な信心即生活を
 
「楽観主義」で人生を広々と(ロッキー・マウンテン桜総会)H8.6.9
 ついに来たりて君と握手を
 皆が仲良く 皆が幸福に
 はるかな「黄金の西部」の贈り物
 人生を勝利するための仏法
 力強く師子吼の唱題を
 罪は滅し福は来る
 太陽と月の式典
 ガウンと帽子が象徴するもの
 デンバー大学リッチー総長の人間主義 何かに捧げよ、我が情熱を
 「人間を変えるのは人間」だから交流を、だから師弟が
 恩師の思い出
 
ロッキーのごとく堂々と(ロッキー・マウンテン最高会議)H8.6.10
 御書を拝読“御金言の通りに”人生を
 人を尊敬すれば尊敬される
 皆を救った一女性の叫び 「私がいる限り大丈夫!」と
 タイタニック号沈没のその時
 
右手に勇気のたいまつを!! 左手に正義の哲学を!!(ニューヨーク文化会館の集い)H8.6.15
 信仰は素晴らしき人生のため
 乗り越え・生き抜き・楽しむ生命力が
 高次元の生き方
 黄金の秋の如く
 御聖訓「四人の大菩薩・前後左右に立そひて」
 四菩薩が離れず
 悠々と自在の生死を 全員が幸福に、全員が裕福に
 法性の大空を大白牛車で遊戯
 妙法の軌道を忍耐強く前へ!!
 所願満足の身に
 冥益が育つ
 自由の女神の顔
 その時、乙女が!
 太陽の仏法が生老病死の闇を破る
 世界を変える
 
「自由人」とは「成長し続ける人」(ニューヨーク文化会館の集い)H8.6.15
 文化の息吹あふれる民衆の家
 先師宣揚の旅
 日興上人の御確信が今、現実に
 「多様の調和」が法華経の世界
 “人材を見つけよ。人材は砂の中の金”牧口先生
 “一人一人が無限 一人一人が神聖”ホイットマン
 真実の同志を一人でもつくる
 祈れば希望の旭日が昇る 「煩悩即菩提」のくり返しに成仏の軌道が
 仏法は現当二世「現在の努力で」「未来を勝ち取れ」
 仏縁を広げて
 「人間は変わる。だからこそ自由」デューイ博士
 
<授章>
創価教育で「理想に生きる未来世代」を排出(デンバー大学の「名誉教育博士」学位記授与式)H8.6.8
 皆さまが全世界に羽ばたくことを念願――池田SGI会長の謝辞
 
★ ★ ★
 
池田先生のスピーチ集創価のルネサンス」の第97巻です。
 
平成8年(1996年)6月5日~6月15日までのスピーチ・祝辞等が収録されています。
 
以下、ポイントメモです。
 
●仏法で説く“慈悲”とは、好きとか、嫌いという人間の自然な感情を、無理矢理に抑えつけようとすることでは決してありません。
そうではなく、たとえ嫌いな人であったとしても、自身の人生にとっての価値を秘めており、自己の人間性を深めてくれる人となり得る。こうした可能性に目を開きゆくことを、仏法は呼びかけているのであります。
また、「その人のために何ができるか」と真剣に思いやる“慈悲”の心から、“智慧”は限りなくわいてくるというのであります(P15)
 
●他者と関わることは、“勇気”を必要とします。
“勇気”がなければ、“慈悲”といっても、行動に結実せず、単なる観念で終わってしまう場合が、あまりにも多いからであります(P16)
 
●四権分立の主張(P27)
 
●「民衆よ、暴力ではなく非暴力で、高潔なる生き方を武器として権力に立ち向かえ!」とトルストイ(P32)
 
●正法破壊の悪と戦う。その戦いが自分自身の生命を浄化して、功徳が出る。悪と戦わないで正義や幸福を考えるのは、幻である。そういう戦いがないのが幸福だと思うのは錯覚にすぎない。
極悪と戦ってこそ極善の人生となる。何があろうと、悠々と乗り越えていける自分自身となる(P33)
 
●祈りが根本である。とともに、どんなに祈っても、努力がなければ叶わない。仏法は道理である。仕事もしないで祈っているだけで成功するはずもないし、勉強しないで成績が上がるはずもない。生活に根ざして、着実な努力、堅実な努力。その信心即生活の軌道でこそ、祈りは厳然と叶っていく。必ず所願満足となっていく。努力なくして祈りが叶えば、人間は皆、怠け者になってしまう。苦労も悩みもなく祈りが叶えば、人の苦しみもわからず、慈愛がなくなる(P39)
 
●信心強き人は何ものも恐れない。必ず、一切を克服できる。信心で乗り越えられない苦難などない。ゆえに、何があろうとも、根底は「歓喜の中の大歓喜」の人生となる(P56)
 
●人を尊敬する人は、人からも尊敬される。人に慈愛を注ぐ人は、自分も人から守られる。
環境とは、根本的には「自分の姿が映った」結果なのである(P57)
 
●大事なことは、「まず祈る」ことである。祈った瞬間から回転が始まる。闇が深ければ深いほど、暁は近い。祈りきった瞬間から、胸中に太陽が昇る。
「ホープ(希望)!」。祈りこそが、希望の太陽である。悩みを感じるごとに、祈り、打開し、境涯を開いていく。これが、日蓮仏法の煩悩即菩提の軌道である。いわんや、リーダーとして、友のために悩む、広布のあめに悩む、人を救うために悩む――それ自体が、偉大な責任感の表れであり、菩薩の振る舞いである。
地涌の菩薩に打ち勝てない苦難など、あるわけがない。ゆえに、何があろうと、高らかに妙法を唱えながら、一歩、また一歩と勝ち抜いていただきたい(P86)