この度はブログまでお越しいただきありがとうございます。劇団個人主義第145回公演『小説家の檻』にて、演出を務めさせていただいている古部優生です。
1年ぶりにブログを書くので書き方を忘れてしまいました。これだけは毎回冒頭に書いていた記憶がありますが、古部のブログは無駄に長いので読まない方がいいです。いい加減読んだ方がいい文章を書けという話なんですが、私にはなかなか難しい注文です。忙しい人は本当にやることをやった方がいい。
本題に入ります。私は「させていただく」の使い方に目くじらを立ててしまう側の人間なんですが、今回の演出に関しては本当に「させていただく」が適切と言えます。 今回の台本は私がほぼ独断で決めました。正確には、「この台本じゃなきゃ演出できない」とかいう甘ったれたことを言って信任投票をしてもらった形になります。いやそのね(?)、冬じゃなかったらこんなこと言わないんですよ。1ヶ月で劇を仕上げるなんて、そんなS先輩やS先輩、C同期のような芸当は私には到底無理で。
それは置いておいて、今回の座組の皆さんは私のワガママにとことん付き合ってくれた訳です。演出としてはまあ最悪の部類だったと思います。スタ専希望の人達に無理を言って役者をやってもらいました。大祭役者たちに大祭期間中に台詞を覚えさせました。スタッフワークにほとんど妄想のような理想を押し付けました。肝心の稽古もスタ専ありきの進行でした。まあどころではなく最悪です。皆さん本当によく耐えてくれたと思います。俺だったら手が出ている。
そういう訳で全ての責任は私にあります。観に来てくださった皆様が少しでも退屈だとか、時間を無駄にしたとか思われたらそれは全面的に私のせいです。どれだけ石を投げられても受け入れます。 ですが、まあまず石は飛んでこないだろうと思っています。各部署で尽力してくれた人達、稽古場で私の拙い演出をブラッシュアップしまくってくれたスタ専の方々、そして多大なる熱量をもって台本に向き合ってくれた役者達のおかげで、この劇は本当に良いものになりました。
中でも役者について、私としてはもう見て‼️‼️としか言えません。チープな語彙しかありませんが全員天才です。全員が大きく進化しています。10人中誰か1人でも欠けていたらこれだけのものはきっと作れませんでした。素晴らしい役者達と『小説家の檻』の世界を作ることができて、これ以上ないくらい幸せに思っています。
昨日はゲネがありました。夢に見た世界がそこに出来上がっていました。こんな大掛かりなワガママを叶えてくれて、本当にありがとうございました。もしもこれを読んでいる中に奇跡的に本日時間のある方がいらっしゃったら、今からでもぜひご予約・ご来場ください。必ず楽しんでいただけますから。
ここまでお読みいただきありがとうございました。間もなく開演です。どうぞよろしくお願いいたします。
以下、公演情報です。
劇団個人主義第145回公演 『小説家の檻』
日時:2025年12月21日 (日)
10:30~ /15:00~
会場:両国BEAR
料金:無料(フリーカンパ制)
来場予約フォーム↓
https://docs.google.com/forms/d/1zMJZ9or-1oiw3kLsqB_BWOvmlrx0ku06PAlP2I6SueE/preview
配信予約に関しては、用意が整い次第公式X、Instagram、HPにてご案内いたします。
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読んでいただきたい文章は以上で終わりですが、個人的に好きな物の話をしたいと思ったので、ここからそれを書き連ねていきます。公演に関係あったりなかったりします。忙しい人は本当にやることをやってください。
動物のぬいぐるみが好きです。もちろんオタクなので人間のぬいぐるみも好きですが。可愛いぬいぐるみを見ると反射で購入してしまうため、ベッド上の就寝可能スペースがどんどん狭まっています。
「ぬいぐるみを作る」という行為、特に子供向けではなく大人もターゲットにしたその営みには、人間のいじらしさというか愛らしさが表れているなとよく思います。糸と毛皮と小さなボタンの集まりを動物に見立てるところや、愛玩動物をさらにデフォルメして可愛がるというところに、人間の想像力と愛情を感じて、とても暖かい気持ちになります。クマなんか特に。危険で恐ろしい動物をフレンドリーな形にして手元に置いておくというのは、なんと言うか泣きそうになるくらい健気で愛らしい行為だと思います。私はぬいぐるみを作る心を持った人間という生き物が好きです。まあ「人間という生き物」みたいな見下した語り口は大嫌いなんですけど。他に良い言い方がなかったので。
好きな季節は夏と冬です。もちろん猛暑も虫も嫌だし、寒すぎるのも懲り懲りですが、どちらも何となく死に近いような気がするので好きです。何故なんでしょうね。夏のじめじめとした夕方の中に立っていると、何だか自分が生きているのか死んでいるのか分からなくなりませんか?真っ暗で冷たい冬の夜にも同様のことが言えます。春の午後なんかも割と近い気はしますね。秋には不思議とそういう感覚は覚えません。いずれの季節にも違った死の感覚があって、それがとても好きです。
‼️布教タイム突入‼️
もし冬の死が好きな同志がいたら、是非
・あだぽしゃ/いよわ
・そして君は月になった/きくお
・クーネル・エンゲイザー/電キ鯨
を聴いてください。どの曲も凍てつくような寒さが肌で感じられるような音作りで、その上圧倒的で容赦ない死と風前の灯のようなささやかな愛が歌われていて最高です。また、個人的に後追いを描いた創作物が三度の飯より好きなのですが、これらは全部そうです。これらの曲を食べて古部は生きています。(ちなみにジャンル:後追いで言うと「サニーサイドへようこそ」という曲は至高だと思っています。この曲の良さについては一晩中語り明かせる自信があります)
あとこれはもう冬関係ないですが、「Alice in 冷凍庫」も聴きましょう。こちらは氷のように冷たいのに熱を放っていて、まさに冷凍庫のような曲で凄いです。
好きという感情と嫉妬という感情の区別がつかない時がかなりよくあります。尊いもの、素晴らしいものを見ると、好きだと思う前に自分が「それ」でないことへの強い不満というか憤りに駆られがちです。対象が人や物語ならすぐに模倣し始めるし、物品なら何としてでも手元に置いておきたいと思ってしまいます。所有欲が強いのかもしれません。最近流行っていた自認〇〇を笑うことは私には一切できません。
これらは「憧れ」というラベルを貼れば綺麗ですが、その実すごく自己中心的で手前勝手な思考回路だよなと思います。20歳も過ぎてこんな考え方はそろそろやめた方がいい。素敵なものは素敵なものとして、大人しく鑑賞者に徹するべきです。
でも難しいんですよね。いくら才能がなくてもなりたいもの、手に入れたいものはあって。とか何とか言って、結局私は命に関わるまで諦められずにいるのだと思います。
これは自分の話では全くないのですが、実力の伴わない憧れが、人生と引き換えに本物に届く瞬間が本当に好きです。そもそも夢見がちな人というのが好きです。身の丈に合わない夢を持つ人が、現実を見られない人が好きです。そんな人が残りの人生全部使い切って、たった一瞬の輝きを見せたり、一矢報いたりする物語は本当に美しいと思います。
そんなハッピーエンドもいいですが、それが届かなかった人の物語も負けず劣らず美しいと思います。本物に近づけたところで階段を踏み外して墜落してしまうような悲劇が好きです。これに共感していただける方には、私がこの前観た『Pearl』という映画をおすすめします。
知っている方も多いと思いますが、私は廃墟文藝部という劇団の作品が大好きです。今回の『小説家の檻』や、後述する2つの作品に加え、私の心を掴んで離さない作品が幾つもあります。非常にありがたいことに公式YouTubeがあり、多くの公演映像が無料で公開されています。これを読んだ皆様はぜひアクセスしましょう。
劇団個人主義では、廃墟文藝部様の作品を2本上演させていただいたことがあります。
一昨年の冬、上演台本の収集で先輩が上げてくださったある台本を読んだ時のことを、今も鮮明に覚えています。頭を殴られたような衝撃を受けました。あれは多分私の人生で最大のカタルシスでした。読む前と読んだ後では世界の見え方が違いました。それから1週間ほどは誇張抜きでその台本のことしか考えられず、何なら今も常に頭の片隅にはあの台本があります。
その台本というのは、第140回公演で上演させていただいた『サカシマ』のことです。上演できると決まった日も、やりたかった役ができると決まった日も、本当に嬉しかった。あの頃から、私はあの物語について、多分今まで出会ったどんな物語よりも遥かに長い時間考えています。私にとっての「読んだら死んでしまうような本」はあの本でした。そして私の頭の靄を取り払って、生きる原動力となってくれたのもあの本でした。
また、昨年の大学祭では、『モノカキ』という1人劇台本をやらせていただきました。こちらは公演映像を先に見て、ずっと頭に焼き付いていた作品でした。鉛筆の山と机という簡素な舞台美術で展開される世界に感動したのを覚えています。ラストシーンの演出も痺れます。演者の方々も本当に本当に魅力的です。本家の公演映像も好きですし台本もやっぱり好きですが、なぜかモノカキに関しては自分が演じたということにいまいち実感が持てません。稽古期間も本番も記憶は確かにあるのですが、どこか夢だったような感覚があります。まだ自分の本番映像が怖くて見れていないせいかもしれません。
というのは置いておいて、モノカキの「男」はあまりにも献身的で、繊細でありながら強くて、かっこいい人だと思います。彼の考え方、物の感じ方、言葉の選び方は今の私に少なからず影響を与えています。本当に大切な機会でした。
今回の公演には、私なりにこの2つの劇へのリスペクトを入れ込んだつもりです。少なくとも私がいる間はもうこれで最後でしょうから、廃墟文藝部に、大好きな台本達に、そして上演したかつての私達に向けて、最後に愛が歌いたかったという感じです。
大学では歴史を勉強しています。面白い学問だと思います。面白いですが、根源的に不毛な所のある学問だと思います。
歴史家はどう足掻いても事実を知ることはできません。どんな史料を用いても、過去に何があったかを完全に同定することはできません。後世の歴史家に限らず、同時代の私たちだって、だれかの書いたもの、残したものを正しく読むことなんてできません。 事実は今この一瞬の、しかもあなたの頭の中にしかありません。私たちは本当の意味の歴史には残りませんし、現在においてさえ意思疎通は困難です。
それでも私は諦めたくありません。何にも残らなくても、誰とも分かり合えなくても、私たちはせめて精一杯表明するべきです。自分の頭の中を、自分の言葉で、今この瞬間だけの事実を記述するべきです。そこには僅かながらも確かな意味があると思っています。
何が言いたいかというと、皆もっと若者らしく病みツイしようよということです。ポエムも自分語りもお気持ち表明も大口叩きもどんどんやろうよということです。
ネガティブなもの、メランコリックなもの、あるいは未熟なもの、見ていて痛々しいものが大好きです。それが誠実である限り。誠実であることが必ずしも美徳だとは思いませんが、それでも私は誠実な人が好きです。
最後に、これを読んでいるかもしれない何人かのあなたへ。
私はずっと怒っています。絶対に許さないと思っています。あなたのことも、あなたのことも、あなたのことも。
もちろん私は自分が人に怒りを抱いていい主体であるとは思っていません。許されないことをしていると思います。だから、同じようにあなたもあなたの許せないことを許さないべきです。
そうやって我々は離れていきます。人間は繋がれる生き物ですが根源的に孤独です。そんな人間という生き物が私は少し好きです。
もう時間がないので今回はこの辺で。 上げるべき写真が思いつかなかったので、この前買ったくまサンタを上げます。それではメリークリスマスということで。






