こじにずむ日記

こじにずむ日記

千葉大学演劇部 劇団個人主義のブログです
公演情報や日々の稽古の様子などを公開しています                 

 この度はブログまでお越しいただきありがとうございます。劇団個人主義第145回公演『小説家の檻』にて、演出を務めさせていただいている古部優生です。

 1年ぶりにブログを書くので書き方を忘れてしまいました。これだけは毎回冒頭に書いていた記憶がありますが、古部のブログは無駄に長いので読まない方がいいです。いい加減読んだ方がいい文章を書けという話なんですが、私にはなかなか難しい注文です。忙しい人は本当にやることをやった方がいい。

 

 本題に入ります。私は「させていただく」の使い方に目くじらを立ててしまう側の人間なんですが、今回の演出に関しては本当に「させていただく」が適切と言えます。 今回の台本は私がほぼ独断で決めました。正確には、「この台本じゃなきゃ演出できない」とかいう甘ったれたことを言って信任投票をしてもらった形になります。いやそのね(?)、冬じゃなかったらこんなこと言わないんですよ。1ヶ月で劇を仕上げるなんて、そんなS先輩やS先輩、C同期のような芸当は私には到底無理で。 

 それは置いておいて、今回の座組の皆さんは私のワガママにとことん付き合ってくれた訳です。演出としてはまあ最悪の部類だったと思います。スタ専希望の人達に無理を言って役者をやってもらいました。大祭役者たちに大祭期間中に台詞を覚えさせました。スタッフワークにほとんど妄想のような理想を押し付けました。肝心の稽古もスタ専ありきの進行でした。まあどころではなく最悪です。皆さん本当によく耐えてくれたと思います。俺だったら手が出ている。 

 

 そういう訳で全ての責任は私にあります。観に来てくださった皆様が少しでも退屈だとか、時間を無駄にしたとか思われたらそれは全面的に私のせいです。どれだけ石を投げられても受け入れます。 ですが、まあまず石は飛んでこないだろうと思っています。各部署で尽力してくれた人達、稽古場で私の拙い演出をブラッシュアップしまくってくれたスタ専の方々、そして多大なる熱量をもって台本に向き合ってくれた役者達のおかげで、この劇は本当に良いものになりました。

 中でも役者について、私としてはもう見て‼️‼️としか言えません。チープな語彙しかありませんが全員天才です。全員が大きく進化しています。10人中誰か1人でも欠けていたらこれだけのものはきっと作れませんでした。素晴らしい役者達と『小説家の檻』の世界を作ることができて、これ以上ないくらい幸せに思っています。

 

 昨日はゲネがありました。夢に見た世界がそこに出来上がっていました。こんな大掛かりなワガママを叶えてくれて、本当にありがとうございました。もしもこれを読んでいる中に奇跡的に本日時間のある方がいらっしゃったら、今からでもぜひご予約・ご来場ください。必ず楽しんでいただけますから。

 

 ここまでお読みいただきありがとうございました。間もなく開演です。どうぞよろしくお願いいたします。

 

以下、公演情報です。

 

劇団個人主義第145回公演
『小説家の檻』

日時:2025年12月21日
(日)

10:30~ /15:00~


会場:両国BEAR


料金:無料(フリーカンパ制)



来場予約フォーム↓ 


https://docs.google.com/forms/d/1zMJZ9or-1oiw3kLsqB_BWOvmlrx0ku06PAlP2I6SueE/preview

 

配信予約に関しては、用意が整い次第公式X、Instagram、HPにてご案内いたします。

 

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 読んでいただきたい文章は以上で終わりですが、個人的に好きな物の話をしたいと思ったので、ここからそれを書き連ねていきます。公演に関係あったりなかったりします。忙しい人は本当にやることをやってください。

 

 動物のぬいぐるみが好きです。もちろんオタクなので人間のぬいぐるみも好きですが。可愛いぬいぐるみを見ると反射で購入してしまうため、ベッド上の就寝可能スペースがどんどん狭まっています。

  「ぬいぐるみを作る」という行為、特に子供向けではなく大人もターゲットにしたその営みには、人間のいじらしさというか愛らしさが表れているなとよく思います。糸と毛皮と小さなボタンの集まりを動物に見立てるところや、愛玩動物をさらにデフォルメして可愛がるというところに、人間の想像力と愛情を感じて、とても暖かい気持ちになります。クマなんか特に。危険で恐ろしい動物をフレンドリーな形にして手元に置いておくというのは、なんと言うか泣きそうになるくらい健気で愛らしい行為だと思います。私はぬいぐるみを作る心を持った人間という生き物が好きです。まあ「人間という生き物」みたいな見下した語り口は大嫌いなんですけど。他に良い言い方がなかったので。

 

 好きな季節は夏と冬です。もちろん猛暑も虫も嫌だし、寒すぎるのも懲り懲りですが、どちらも何となく死に近いような気がするので好きです。何故なんでしょうね。夏のじめじめとした夕方の中に立っていると、何だか自分が生きているのか死んでいるのか分からなくなりませんか?真っ暗で冷たい冬の夜にも同様のことが言えます。春の午後なんかも割と近い気はしますね。秋には不思議とそういう感覚は覚えません。いずれの季節にも違った死の感覚があって、それがとても好きです。

 ‼️布教タイム突入‼️

 もし冬の死が好きな同志がいたら、是非 

・あだぽしゃ/いよわ 

・そして君は月になった/きくお 

・クーネル・エンゲイザー/電キ鯨

を聴いてください。どの曲も凍てつくような寒さが肌で感じられるような音作りで、その上圧倒的で容赦ない死と風前の灯のようなささやかな愛が歌われていて最高です。また、個人的に後追いを描いた創作物が三度の飯より好きなのですが、これらは全部そうです。これらの曲を食べて古部は生きています。(ちなみにジャンル:後追いで言うと「サニーサイドへようこそ」という曲は至高だと思っています。この曲の良さについては一晩中語り明かせる自信があります) 

 あとこれはもう冬関係ないですが、「Alice in 冷凍庫」も聴きましょう。こちらは氷のように冷たいのに熱を放っていて、まさに冷凍庫のような曲で凄いです。

 

 好きという感情と嫉妬という感情の区別がつかない時がかなりよくあります。尊いもの、素晴らしいものを見ると、好きだと思う前に自分が「それ」でないことへの強い不満というか憤りに駆られがちです。対象が人や物語ならすぐに模倣し始めるし、物品なら何としてでも手元に置いておきたいと思ってしまいます。所有欲が強いのかもしれません。最近流行っていた自認〇〇を笑うことは私には一切できません。 

 これらは「憧れ」というラベルを貼れば綺麗ですが、その実すごく自己中心的で手前勝手な思考回路だよなと思います。20歳も過ぎてこんな考え方はそろそろやめた方がいい。素敵なものは素敵なものとして、大人しく鑑賞者に徹するべきです。

 でも難しいんですよね。いくら才能がなくてもなりたいもの、手に入れたいものはあって。とか何とか言って、結局私は命に関わるまで諦められずにいるのだと思います。

 

 これは自分の話では全くないのですが、実力の伴わない憧れが、人生と引き換えに本物に届く瞬間が本当に好きです。そもそも夢見がちな人というのが好きです。身の丈に合わない夢を持つ人が、現実を見られない人が好きです。そんな人が残りの人生全部使い切って、たった一瞬の輝きを見せたり、一矢報いたりする物語は本当に美しいと思います。 

 そんなハッピーエンドもいいですが、それが届かなかった人の物語も負けず劣らず美しいと思います。本物に近づけたところで階段を踏み外して墜落してしまうような悲劇が好きです。これに共感していただける方には、私がこの前観た『Pearl』という映画をおすすめします。

 

 知っている方も多いと思いますが、私は廃墟文藝部という劇団の作品が大好きです。今回の『小説家の檻』や、後述する2つの作品に加え、私の心を掴んで離さない作品が幾つもあります。非常にありがたいことに公式YouTubeがあり、多くの公演映像が無料で公開されています。これを読んだ皆様はぜひアクセスしましょう。

 劇団個人主義では、廃墟文藝部様の作品を2本上演させていただいたことがあります。

 一昨年の冬、上演台本の収集で先輩が上げてくださったある台本を読んだ時のことを、今も鮮明に覚えています。頭を殴られたような衝撃を受けました。あれは多分私の人生で最大のカタルシスでした。読む前と読んだ後では世界の見え方が違いました。それから1週間ほどは誇張抜きでその台本のことしか考えられず、何なら今も常に頭の片隅にはあの台本があります。

 その台本というのは、第140回公演で上演させていただいた『サカシマ』のことです。上演できると決まった日も、やりたかった役ができると決まった日も、本当に嬉しかった。あの頃から、私はあの物語について、多分今まで出会ったどんな物語よりも遥かに長い時間考えています。私にとっての「読んだら死んでしまうような本」はあの本でした。そして私の頭の靄を取り払って、生きる原動力となってくれたのもあの本でした。

 また、昨年の大学祭では、『モノカキ』という1人劇台本をやらせていただきました。こちらは公演映像を先に見て、ずっと頭に焼き付いていた作品でした。鉛筆の山と机という簡素な舞台美術で展開される世界に感動したのを覚えています。ラストシーンの演出も痺れます。演者の方々も本当に本当に魅力的です。本家の公演映像も好きですし台本もやっぱり好きですが、なぜかモノカキに関しては自分が演じたということにいまいち実感が持てません。稽古期間も本番も記憶は確かにあるのですが、どこか夢だったような感覚があります。まだ自分の本番映像が怖くて見れていないせいかもしれません。

 というのは置いておいて、モノカキの「男」はあまりにも献身的で、繊細でありながら強くて、かっこいい人だと思います。彼の考え方、物の感じ方、言葉の選び方は今の私に少なからず影響を与えています。本当に大切な機会でした。

 今回の公演には、私なりにこの2つの劇へのリスペクトを入れ込んだつもりです。少なくとも私がいる間はもうこれで最後でしょうから、廃墟文藝部に、大好きな台本達に、そして上演したかつての私達に向けて、最後に愛が歌いたかったという感じです。

 

 大学では歴史を勉強しています。面白い学問だと思います。面白いですが、根源的に不毛な所のある学問だと思います。

 歴史家はどう足掻いても事実を知ることはできません。どんな史料を用いても、過去に何があったかを完全に同定することはできません。後世の歴史家に限らず、同時代の私たちだって、だれかの書いたもの、残したものを正しく読むことなんてできません。 事実は今この一瞬の、しかもあなたの頭の中にしかありません。私たちは本当の意味の歴史には残りませんし、現在においてさえ意思疎通は困難です。 

 それでも私は諦めたくありません。何にも残らなくても、誰とも分かり合えなくても、私たちはせめて精一杯表明するべきです。自分の頭の中を、自分の言葉で、今この瞬間だけの事実を記述するべきです。そこには僅かながらも確かな意味があると思っています。

 何が言いたいかというと、皆もっと若者らしく病みツイしようよということです。ポエムも自分語りもお気持ち表明も大口叩きもどんどんやろうよということです。

 ネガティブなもの、メランコリックなもの、あるいは未熟なもの、見ていて痛々しいものが大好きです。それが誠実である限り。誠実であることが必ずしも美徳だとは思いませんが、それでも私は誠実な人が好きです。

 

 最後に、これを読んでいるかもしれない何人かのあなたへ。

 私はずっと怒っています。絶対に許さないと思っています。あなたのことも、あなたのことも、あなたのことも。

 もちろん私は自分が人に怒りを抱いていい主体であるとは思っていません。許されないことをしていると思います。だから、同じようにあなたもあなたの許せないことを許さないべきです。

 

 そうやって我々は離れていきます。人間は繋がれる生き物ですが根源的に孤独です。そんな人間という生き物が私は少し好きです。

 

 もう時間がないので今回はこの辺で。 上げるべき写真が思いつかなかったので、この前買ったくまサンタを上げます。それではメリークリスマスということで。

 

 

久々のブログで何を書こうかギリギリまで悩んだ末に2日前に始めたとあるゲームについて書きたいと思った。リヴリーという、簡単に言うと自分だけのペットを育てられる育成ゲームである。

広告で目にしたことがある人も多くいるだろう。私もその一人だ。そんな何度も広告で見てきたゲームをなぜ今更インストールしようと思ったのかと言うと、つい最近同期とペットの話をしたのがきっかけだ。冬公演と課題と就活のトリプル板挟みな状況にいる自分にも癒しがほしいと思いインストールした。

ちなみに私は育成ゲームがそこまで得意ではない。飽き性だからである。どんなにハマったゲームでも飽きてしまえば育成素材の貯蓄ゲームと化す。再燃するかどうかは自分でも分からない。
しかし飽きずに続けた時は高いレベルまで育てる方だと思う。たまごっちだって30代目くらいまで育てた経験もあるくらいだ。
ここでこのゲームの説明も加えたい。

リヴリーとは人間の手によって誕生した生物である。そして昆虫を食べ、宝石を排出するという奇妙な生態をしている。こんな生産性のある生き物が現実にいたらどんな悪事が起こっただろうか。と思うが思考する頭もなくそのままチュートリアルを進めた。



まず育てたいリヴリーを選ぶことになった。広告で見たのは某ポケット系モンスターのような3匹から選ぶものだったが、実際のアプリでは何十匹もいた。
私が選んだのは丸々とした芋虫の見た目をしたリヴリーだ。愛らしいそのフォルムとモーションを一目見て決めた。

そして次に、広告でやってみたときのようにそのリヴリーの色を決めるのかと思いきや、そんなことはなくそのままチュートリアルは終わってしまった。
どうやら最初から既に色は決まっているらしく、赤、青、緑の色をした昆虫を食べさせることでそのリヴリーの色も変化するという。
なるほど、フラミンゴがエビを食べて赤くなるのと同じ仕組みか、と思いつつ、緑色でどう見ても芋虫ルックなリヴリーを少しでも動物に近づけるために何匹もテントウムシを食わせた。が、全く色は変わらなかった。色が変わるにはもう少しの辛抱が必要そうだ。
他にも部屋の模様替えやアバターのコスチュームなど遊べる要素がたくさんありそうなので楽しみである。

そんな感じでダラダラとアプリの説明をしてしまった。
とりあえず私は心の中に癒しのペットがいるので、きっと穏やかに本番を迎えることができるはずだということを伝えたい。

 

 

以下、公演情報です。

劇団個人主義第145回公演『小説家の檻』

日時:2025年12月21日10:30~ /15:00~会場:両国BEAR

料金:無料(フリーカンパ制)

 

来場予約フォーム↓

https://docs.google.com/forms/d/1zMJZ9or-1oiw3kLsqB_BWOvmlrx0ku06PAlP2I6SueE/preview

劇団個人主義第145回公演『小説家の檻』来場予約フォーム劇団個人主義第145回公演『小説家の檻』来場予約フォームです。 日時:2025年12月21日(日) 1公演目:10:30開演 2公演目:15:00開演 ※開場は開演の30分前を予定しております。 ※上演時間は約130分を予定しております。 会場:両国BEAR(〒130-0014 東京都墨田区亀沢1丁目18-1) 料金:無料(フリーカンパ制) 座席:自由席 …リンクdocs.google.com


配信予約に関しては、用意が整い次第公式X、Instagram、HPにてご案内いたします。

  こんにちは!早川頼子を演じさせていただきます、中村りこです!夏公演では村中りこと名乗っておりましたが、どちらも現実世界の私で並行世界の住人ではないのでご安心ください。近頃めっきり冷え込んできましたね。これはもう「冬」と呼んで良い季節でしょうか。12月ですしね。個人的に11月だとまだ秋かなぁ冬かなぁと微妙な感じがしますが12月はもう冬だろう、ということで「小説家の檻」は冬にぴったりの舞台となっています。ぜひ足を運んでくださると嬉しいです。
 
 今回の冬公演ですが、実は参加を見送ろうかと初めは考えていました。夏休みが終わって授業が再開し、また大学祭に向けた準備もあったりした中できちんと冬公演と向き合うことができるのか自信が無かったからです。けれどふと、私はあと何回演劇に携わることができるのだろうとと思い始め、まだ1年、だけどそれもあっという間に後半に突入、4年だってうかうかしてたらあっという間に過ぎてしまうのではないか、参加するのは次の機会に、とか呑気なこと言ってられないんじゃないか、そんなことを考えているときに冬公演の役者の再募集が掛かり、参加させていただくことになりました。1回1回の舞台を大切に、この冬公演も参加すると決めたからには良い作品にできるよう最後まで精一杯頑張ります。今回の稽古期間で印象に残っているのは先輩方と関わらせていただく時間の多かったことです。先輩方と一緒に演技をさせていただいたりアドバイスをいただいたりする中で沢山のことを学ばせていただきました。特に現4年生の先輩方とは卒業される前に関わらせていただくことが出来、とても貴重な時間を過ごすことが出来ました。冬公演やっぱり参加してよかったな。

 と、ブログを書いていたら外では雨が降り始めたみたいです。最近は晴れの日が続いていたので雨は久しぶりな気がします。この冬、私の中でなかなか「冬になった」という実感が湧かないのですが、恐らくそれは晴れの日が続いているためでしょう。というのも私の地元は日本海側の地域で、冬といえば曇り、雨、ときどき雪。色はグレー。気持ちは落ち込みがち。太陽が出ないから目覚めも悪い、というのは朝起きれない言い訳ですが、だいたいそんなイメージなので、こちらの青空や銀杏の黄色い葉、夜になれば星空が綺麗な彩度高めの冬を初めて経験し、私の中で軽くパラダイムシフトが起きています。そう思うと一口に「冬」と言っても思い描くものは人によってかなり差があるのかもしれませんね。とするならば「冬」って一体何なのかな。

 なんだか話題がどこへ向かおうとしてるのか私にも分からなくなってきたのでこの辺りで締めようと思います。ダラダラと一貫性の無い文章を書いてしまい申し訳ありません。頼子は元文芸部で現編集者なので添削をお願いしたいところですが、こんな文章ではダメ出ししか出てこなさそうですね、、


以下、公演情報です。
劇団個人主義第145回公演
『小説家の檻』
日時:2025年12月21日
   10:30~ /15:00~
会場:両国BEAR
料金:無料(フリーカンパ制)

来場予約フォーム↓

https://docs.google.com/forms/d/1zMJZ9or-1oiw3kLsqB_BWOvmlrx0ku06PAlP2I6SueE/preview

 


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 拙い文章にお付き合いいただきありがとうございました。最後に私の地元の冬の様子を写真でお伝えします。曇り空、田んぼ、白鳥、全体的に灰色、と私にとっての「冬」のイメージにかなり近いかなと思います。皆さんにとっての「冬」はどんなものですか?
これで締まったのかな、?

タイトルは、
4番目の光/乃木坂46  より引用です。

年の終わりに向けて片付けをしたり、
なかなか会えない人とごはんに行ったり。
忙しない時期となってきました。
皆さま、いかがお過ごしでしょうか。



少し早めのミニクリスマスケーキです。
かわいさに惚れて買ったんですが、
改めて見返すと
徐々に不気味さを帯びてきてしまったので
ここに供養します。美味しかったです。





遠藤幸太を演じます、恒星と申します。
個人主義で役者を務めるのは1年ぶりです。
この1年の間に、
先輩がいなくなり。後輩が入ってきてくれて。
自分もいつの間にか2年生になっていて。
環境だけがどんどん変わっていって、
自分はなにも変わっていないような。

一概に悪いとは言えませんが、それでも
成長と継続を両立できる人間になりたいです。

こんな風に、気を抜くとすぐ
自分のことばかり話してしまうので、
今回は幸太のことを意識してお話しします。





初めてこの台本を読んだ時からずっと
幸太は自分とは真反対の人間で、
根っこから順当に、まっすぐ育っているのが
台詞から感じられて、眩しく見えました。
このブログを書いている現在は
自分との違いに苦しめられています。

でも。
自分と違う誰かになれるのが醍醐味なので。
貴重な経験を無駄にしないようにしないと
と、これを書きながら思っています。

性格の部分もそうですが、
僕自身は人に愛情を注いだ経験があまりなく、
役を作るうえでだいぶ苦戦しました。
幸太の愛はとても綺麗で、
"純愛"という言葉がよく似合います。

愛を他人に与えてみなさい、と言われて
どうあげれば良いのか分からず
手のひらでワタワタと転がしている
そんな感じでなんとか稽古をしています。



幸太をひと言で表すならば、「光」です。
身近なものに例えると
生活に必要不可欠な蛍光灯とか
舞台の照明 というよりかは、
卓上のちょっとした明かりとか
光ではないけども アロマとか
無くても生きられるけど、あったら嬉しい
というものだと思っています。
この世に何十億といる人間のなかで、
出会わなくてもそれはそれで
きっと良い人生を送れるはずだけど
極力、来世も来来世も来来来世も
出会いたいよね、というような。
そんな人間に出会えたら幸せですね。



これだけ見ると
幸太ってめっちゃすごい人間ですね。
書いていて改めて気づいたんですが、
僕、自分が演じる人間を
美化する癖があるみたいです。
作者さまが思う遠藤幸太は
もう少し人間くさい気もしますが
僕にしかできない幸太をお見せする
と、良い言い方をしておきます。
ぜひ公演を観ていただき、
幸太が一番好き と思っていただけるよう
残りわずかですが、頑張ります。





最後に、主旨からは外れるお話ですが
本公演は4年生の先輩方と
同じ座組でいられる最後の公演でもあります。
最近は、好きすぎるが故に
「あと数ヶ月でいなくなっちゃうんだなぁ」
と実感するのが怖くて、
逆に距離を置きたい気持ちも少しありますが。
とにかく、後悔しないようにします。
既に卒業公演の情報が公開されて、
来場予約も開始していらっしゃるので
目を通してもらえると嬉しいです。わたしが。





改めまして、
『小説家の檻』はきっと心の奥底の、
普段使わない部分を刺激すると思います。
老若男女問わずご覧いただきたい作品です。
お会いできるのを楽しみにしております。

恒星


以下、公演情報です。

劇団個人主義第145回公演『小説家の檻』

日時:2025年12月21日10:30~ /15:00~会場:両国BEAR

料金:無料(フリーカンパ制)

 

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みなさんこんにちは。鳥居鶏亮です。
本って便利ですよね。言葉にしてくれているぶん、わかりやすい気になれる。でも実は、“わかった気がしているだけ”なんじゃないかな、という疑いがずっと僕の中にはあるんです。
たとえば小説を読むとき、ある登場人物の行動を「これは優しさだ」と解釈する人もいれば、「いや、自己保身でしょ」と読む人もいる。文章は同じなのに、読み手の心のレンズが違うだけで、解釈はまったく変わってしまう。僕たちは本を読んでいるようで、同時に“自分”を読んでいるんですよね。自分の価値観、自分の経験、自分がこれまで見てきた世界。それらを通して文章を勝手に補完してしまう。だから、本の真意なんて、本当のところ誰にもわからない。
これは他人の言葉を受け取るときも同じです。「大丈夫」と言われたとき、本当に大丈夫な人なんてほぼいない。じゃあ「大丈夫じゃない」と言えない理由があるのかもしれないし、そもそも“言葉にした瞬間に崩れてしまう感情”を抱えているのかもしれない。でも僕たちは、その裏側を完全に知ることができない。結局、相手の言葉を手がかりに、想像することしかできないんです。
だからこそ、他人の言葉や文章に“真意が隠れている”という発想自体が、実はとても面白いと思うんです。もし言葉が完全に透明で、誰が読んでも同じ意味にしかならなかったら、きっと本なんてこんなに愛されなかった。そこに「読み解けない余白」があるからこそ、人は何度もページをめくるし、他人の本棚を覗きたくなるし、誰かの言葉に心をかき乱される。
つまり、読み解けないということは「不完全」ではなく「豊かさ」なんじゃないかなと僕は思っています。わからないからこそ、読み続ける。わからないからこそ、人と対話し続ける。真意が掴めないという不完全さは、むしろ世界を立体的にしてくれるんじゃないか、と。
結局のところ、僕たちは誰かの言葉の“全て”を理解することはできません。でも、理解できないからこそ、その言葉の向こうにある景色を想像しようとする。その想像の行為自体が、人と人をゆるくつなぎとめている気がします。
あなたは最近、読み解けないまま心に残った言葉ってありますか?




以下、公演情報です。

劇団個人主義第145回公演
『小説家の檻』
日時:2025年12月21日
   10:30~ /15:00~
会場:両国BEAR
料金:無料(フリーカンパ制)

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さて、皆様。ここまで読んでくださった方ならお分かりかと思いますが(?)以上の文章は全てAIに書いてもらいました。朕が!こんな!綺麗な文章書けるわけないだろ~!(天上天下唯我独尊)
にしても最近のAIはすごいですねえ、こんなんありゃそりゃレポートに使おうとする奴だっているって話ですよ。だって多分初めて私の文章を読む人なら「あ〜こういうタイプの人類か〜」ってなっておしまいですよ。いや〜すごいですね。それに感情も意志もないAIが他者の言葉を勝手に模倣して「理解し合えないが故の尊さ」を語るなんて片腹痛いですね。まあそれが面白さでもありますが。それに、今この文章をワード上で書いていますが文法上の誤りとか、「ら」抜き「い」抜き言葉を指定してくるのですが「うるせえこれがワイの文章や」とか思いながらガン無視しています。でも間違いも人間臭さですよね。私の敬愛する親友も「人間は余暇を楽しむ生き物」と言っているので多分俺は正しいです。
そういえばAIに関連してなのですが最近私の友人が面白い遊びを見つけまして、任意のキャラクターのウィキを貼ってそのキャラクター同士の戦いを描かせるっていうものなんですね。結構解像度高くて感心しますよ。
あ、ちなみにこれはリムル=テンペストとボーボボを戦わせた時の内容です。

これ読んで思ったのがすごい面白いんですがまだボーボボ原作の方がやりたい放題してたイメージあるんですよね。これ読んでる感じ人間はまだAIに勝てる気がしますね。まあ果たして人間がボーボボを理解してるかと言われたら謎ですが。あと「神之怒(メギド)」も読めてないので厨二病レベルでもまだ勝てそうですね。

閑話休題、このままでは私の話の中身もすっからかんで終わっちゃうのでしばしカスの思想垂れ流しタイムをしたいと思います。とはいえ言いたいことの6,7割くらいはA Iくんが代弁してくれたんですけどね。

さて、人間は正しく本を読むことができるでしょうか?ひいては正しく他者を理解することができるでしょうか?
私は、できないと思っています。
例えば、「私はガチャで爆死しました」
これだけ聞くと悲しい〜!ですが、「で?」という感情を持つ人が多数だと思います。
この話を聞いて共感して欲しいのか慰めて欲しいのかはたまた同じような経験を話して欲しいのか。まあわかんないですよね。
そう、人は本を、そして本を書いた人のことを一側面でしか理解できません。この人にはこういういい面があるぞ!この人にはこういう悪いところがあるぞ!なんていう風に簡略化はできますがそれは他者をあるフレームに当てはめただけでそこから漏れ出た要素は排除しているともいえます。
また、本人がそういったものを隠していることも大いにあります。
例えば、私、なんとなくいつもバカなことだったり適当にはしゃいだりしてる人かと思いきや、深いことを言ってる風に見えることを分かったような気になってつらつらと書いている。もちろん、こんなことを書こうと思った理由とかこういうふうに思い至った過程は一日ありますがほとんど喋っていません。実は私は人間不信で…とか言って信用する人がどれくらいいるのかって話です。まあ普段からカスの嘘で後輩を騙してるのでオオカミ少年状態という説はありますが。
まあそれは置いておいて私は皆さんにそんな側面を見せたいと思ってませんし見せるにしたって今じゃないとも思っています。
まあこんな感じで私は誰かに理解されたいとは思っていますが理解してくれるとは思ってません。そういう意味合いで私は永久に他者のことを正しく読み、理解することはできないし一生孤独なのだと思っています。AIくんはこれを「人と人をゆるく繋ぎ止める物」と好意的に解釈しますが、私はどれだけ深い関係になったとしても互いのことは理解できないしされない、人間は常に孤独であると思っています。それこそが人間に課せられた「檻」なんじゃないかなあと思います。

今回演じる裏地くんもそんな感じです。彼は孤独です。孤独でありながらも誰かに理解されるために小説を書き続けています。そして彼は凡人です。我々と同じただの人です。ちょっと良い案を思いついちゃっただけの一般人なんです。そんな孤独という檻の格子から、誰かに理解されたくて必死に手を伸ばし続ける彼を、自身を定義する小説という檻に抗う彼を見ていってくださると幸いです。
以上、裏地啓介役の鳥居鶏亮でした。
最後に写真が全部白黒でやなので大好きなゲームの名シーンだけ貼っときます。

では改めて。