こじにずむ日記

こじにずむ日記

千葉大学演劇部 劇団個人主義のブログです
公演情報や日々の稽古の様子などを公開しています                 

どうも〜今回n

_人人人人人人人_
> 突然の死 <
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劇団個人主義22年度入学生 卒業公演『この町に手紙は来ない』
日時:2月28日(土)12:30〜/17:30〜、3月1日(日)12:00〜/16:30〜
会場:北池袋新生館シアター
料金:無料(フリーカンパ制)



―生きるための姿勢を教えてくれた大学時代の恩人たちへ―

市場は大きな口を開けて待っている。
市場にとって最も扱いやすい形で、獲物が入ってくるのを。

 新自由主義の時代において、人間社会のあらゆる活動は市場取引の枠へと回収されつつある。私たちは、市場によって設定された価値基準を用いて物事を判断し、その基準があたかも自明のものであるかのように受け入れている。個々人の価値観が一般化され、予測可能なものとなることは、市場、そして国家をはじめとするルールメーカーにとってきわめて都合がよい。消費者の嗜好や行動が類型化されていれば、需要は把握しやすくなり、その単純化された需要を満たすサービスを供給すればよいからである。そこでは、個別具体的な人間を理解するための熟考は不要となる。
 こうして私たちは、一人の人間としてではなく、一人の消費者として生きることを要請される。あるいは、そのような存在として把握される。市場にとって消費者は、生存してさえいればよい。サービスの供給先として、需要を発生させる存在として生きていればよいのである。そこでは、生き方は自ら決定されるものではなく、外部の合理性によってあらかじめ整形されている。
 私はこの状態を、「生きている」とは呼びたくない。たしかに生命活動は維持されている。生存もしている。しかし、個々の存在が、自分以外の誰かにとって都合のよい一般的形式へと押し込められているとすれば、それは本来の意味で生きているとは言えないのではないか。生きるとは、本来、より多くの喜びと力を伴う営みであったはずではなかったか。
 社会に出る前段階としての学生時代。私含め皆は、きっと多くの偏見にさらされた。そして多くの人を偏見で蹂躙した。集団の中で生き延びるため、周囲に合わせざるを得ない局面は確かに存在する。自らの安全と安心を守るために、偏見という暫定的な拠り所を必要とした場面もあっただろう。
 このような状況は、ホッブズが述べた「万人の万人に対する闘争」に近い。相互不信のなかで、人間は自己保存のために判断を外部へ委ねようとする。ホッブズはこの闘争状態を終わらせるため、自然権を強大な国家に委ねるべきだと説いた。利己的になり得る人間は、合理的なシステムによって統制された方がよいという発想である。
 ここで言う「国家」とは、必ずしも政治を担う国家のみを指すわけではない。私たちが判断を委ねるあらゆる存在―友人、教師、親、制度、あるいは社会的常識を含んでいる。私たちは、小さな判断は自ら下すが、大きな決断になるほどリスクを含めて総合勘案することを止め、責任を回避し、他者やシステムに判断を委ねる。その範囲は無自覚のうちに拡大し、やがて人生の重要な局面までも外部に依存するようになる。
 そうして私たちは、人生を他者に委ねることに慣れすぎてしまった。偏見を持たない代わりに、他者を深く理解しなくても構わないとする態度が生まれる。表面的に他者を傷つけないよう配慮しつつ、判断そのものは外部に委ね、本質的理解に至る前に関係から撤退する。
 偏見は他者への押し付けという過剰であり、判断を合理的システムへ全面的に委ねることは責任からの逃避という過剰である。いずれも極端であり、あらゆる問題への応答としては稚拙だ。その結果として現在あふれているのは、パッケージ化された価値観と類型化された人間像である。個々人は一般化された群れとして把握され、差異は市場にとって扱いやすい形に整理される。こうして私たちは、自らの個性を失ったまま、市場の内部へと回収されていく。
 市場は大きな口を開けながら、一般化され、予測可能となり、代替可能となった私たちが、自ら考えるという対抗機能すら失って、むしろ自発的にその内部へ取り込まれるのを待っているのである。

 個性を失ったまま流されるように判断することは、不確実性や不可知性にあふれる社会を生きるにあたっては危険なことだ。よくわからないものが目前に現れることが今までも、これからも頻繁に起こるだろう。分からないものを恐れて人に任せて適当に選択していったら、とんでもなく恐ろしい方向に足を踏み入れていた、なんてことは、すでにご存じのように歴史の中でいくつも起こっている。しかも現代は、お利口な消費者を量産するために、人に任せて適当に選択することを推奨するルールメーカーに溢れている。

さて、どう生きようか。

”今の自分の専門分野だけではなく、他の専門分野を持つのが良い。専門分野を広げていき、自分の頭の中に知のネットワークを構築していく。”

 私の恩師がそう述べていた。
 一つの専門知に固執しすぎると考え方が円熟しない。偏った考えに凭れ掛かからず、一つ、また一つと専門分野を増やしていき不断に更新し続ける余地を持つ。そうすれば、不確実な世の中に生きる中で未知の考えに遭遇した時にも、危機として対峙するのではなく好機として俯瞰できるようになると。またその恩師はフレーミングという言葉も用いた。意志決定を大きく変化させる物事の切り取り方のことである。強みとなる専門分野を用いて、組み合わせながら様々にフレーミングしていく。
 すなわち、複数の専門分野とフレーミングが現代を生きる術だということになる。

 自分でいうのもおこがましいが、私の専門分野は演劇だ。

 では手始めに、二つ目の分野に何を設定したか。
 それは不条理である。

 私は不条理を、価値観が揺れ動くその瞬間―自分が信じていた当然が他者によって問い直され、世界の意味が立て直され、あるいは再構築を迫られるその過程において立ち現れる経験だと定義づけた。ここから分かる通り、不条理は不確実性への向き合い方それ自体を表した概念ともいえる。不確実な現代を生き延びるために、その不確実性自体を専門分野に設定して敏感になり、観察してフレーミングしよう、というややもすればレトリックを用いたかのようになってしまったが、許してほしい。しかもこの不条理は演劇の過程で聞き及んだ概念であり、二つの専門分野はズブズブな気もするが、これも許してほしい。

 どうもこの二つは相性が良い概念のようだ。
 私は、ありがたいことに演出として演劇に関わる機会が多かった。
 演出の仕事の要は、だれも見向きもしないか、あるいは潜在している言語(ここでいう言語は、肉体的なものや精神的なもの、とにかくあらゆるものである)に形を与える、人間と概念との新鮮な出会いを創出することにある。いわば人間と概念のマッチングアプリを運営する仕事だといっても差し支えない。形を与える時には常に言葉を用いる。だから演出は言葉に最も敏感でなくてはならない。
 言葉に敏感に、とは常に言語や概念を疑うことを表す。この概念にはほかの側面がないか、額面通りに受け取られている意味以外にも何かがあるのではないか、周縁にある意味を全て掬い上げんとする勢いで概念をこねくり回す。するとその概念は実は様々な言葉で説明できることに気づく。場合によってはもともと信じていた概念とは全く違う結果になるかもしれない。これはまさに、演劇に参加する演出としての役割を果たそうとして不条理を求め、不条理に直面した一幕と捉えられる。
 不条理はまさに演劇活動を助けてくれる専門分野なのである。

 演劇と不条理を専門分野として世界を見た例について残しておこう。
 今回私が執拗に疑った概念は“愛”である。愛という言葉を用いれば、どんなに歪な人間関係も傍から見ればたちまちウツクシク収束する、印籠並みの伝家の宝刀であり、道徳における聖域であるが、あえてここに切り込んでみた。

 そもそも愛とは、人を大切に思いやる気持ちだというイメージがあるが、では人を思いやるとは何か。人を大切に思うこと、人を助けること、支えること。これらは一見相手にとって良いことのように見えるが、相手がそういったものを望んでおらず、それどころか迷惑だとしたら、どうか。私はあなたを愛している、だから近くで支えていたい。だからぬくもりを感じたい。だからあなたに触れたい。これがまったく、“愛する側の勝手”だとしたら?
 愛とは人を大切に思いやる行為だ、しかし無条件で幸福をもたらす感情ではない。
 愛による成果は一方からでしか正しく測りえない、だとするならば、
 愛とは究極のエゴではないのか?

 一般的な概念を疑った先に異なるフレーミングで愛を見た私は、再び新たなフレーミングを模索する。
 いやいや、それでも愛には、相手を大切なものとして扱おうという努力がある。相手のために自分を用いたい、今まで人生の主役は自分だったかもしれないけれど、自分と同じくらい大切な人に自分の人生を懸けたくなった。自分の人生のパラダイムを引き起こす大きな潮流。何がその人にとっての幸福かは分からない。それでも大切な人が幸福でいられるように自分のあり方を模索する。探求し続ける。

 ならば、愛とは苦しむ行為でもありうるのだ。自分が相手を思いやり尽くせないことを自覚して、ともするとそれが相手を苦しめることも自覚して、それでもなお相手に寄り添っているために努力の限りを尽くす。
 愛とは、まことに重厚な概念だ。抽象的な理解のままにしておくには、あまりにも惜しい概念だった。

 このように突き詰めて考えて曖昧な概念を言語化していく作業に疑問を投げかける人がいる。それは言語化を行う過程で、なにかしらの要素は確実にこぼれ落ちていき、曖昧な理解の状態では存在していた自分の素の感動、無意識の感性を失ってしまうのではないか、という批判である。これには一部同意するが、ある点では反論する。
 言語化しておくことは、無意識の自分の選択をより有意義にしうる。物事を突き詰めて考えることで、また新たな感情を想起させるきっかけになる。説明し尽くすためではなく、一義的な感情の質を高め、獲得する情報を豊かにするために言語化をしているのだ。
 言葉にすることのゴールは説明し尽くすことでは決してない。概念を説明し尽くそう、というのはできることを想定する時点で傲慢な考えだ。私は神にはなれない。だからこそ決めつける前に丁寧に物事に触れて、視界を拡張して、敬意を払って見るための素養を身につけなければならない。感性を体操することで、無意識の及ぶ範囲も広がっていく、というのが私の考えだ。

 では、そもそもなぜ突き詰めて考えなくてはならないか。そんな苦行に身を置く必要などないではないか。
 それに答えるためには、やはり生きることは何か、ということから始めなければならない。

 人間はいずれ自分が死ぬことを知っている唯一の可哀想な動物だ。だからかつては死に希望を見出していた。宗教が権威を誇っていた時代、死後の世界が良いものであるように、神に認められるために善行を重ねたものだった。しかしある時から神の価値が”暴落”した。すると人間はその生にこそ意味を見出し、生をより豊かにすることが人生の目的となった。その究極系が資本主義、果ては新自由主義である。物事すべてが交換可能な価値になり得、交換さえすれば、どんな幸せ(恣意的に形作られた)も手に入る。
 いつだったか、インフルエンサーの勧めている物が手に入った!と喜んでいる人を見かけた。自分が何かを欲しくなったから買うのではなく、購入するサービスの選択を他人に任せて物を買うのだ。欲求すら自分の手元になく、外側から喚起されたものならば、彼らの個性はどこにあるというのだろう。人により考えられた私の幸せに、生はあるといえるのか?

 もっと自分で考えた人生を生きたい。
 演劇という濃密な芸術空間ではそのためのエクササイズができる。
 演劇においては、安易な表現はすぐに分かる。とにかく物事と言葉に敏感に、感性をずっと尖らせて、あらゆる感性と価値観をかき集めて自分の視野をぐっと広げる。それが満足にできた上で、お客様のコンディション、スタッフのコンディション、役者のコンディション、役者同士のコミュニケーション、演出自身が今まで築いてきた人間関係が全て完璧に組み合わさった瞬間に、美しい表現が生まれる。なかなか、いや到底できることではない。それでも喰らいついていく。出来ないことを嘆き、酷ければ捨て置くのではなく、出来るためにはどうすれば良いかを考える。そうでなければ、誰一人として満足することはできないのだから。
 ひたすら答えのない問いに向き合い、ただ誠実に答えを出す。それを試行し、また答えを変容させていく。まるで振り子のように、一つの位置が決まるまで運動を永遠と繰り返す。
 演劇を構成するものには、何一つ予定調和はない。創造的な表現も、演ずる役者の心も、会話も、全てが程度の差はあれど予測不可能だ。そこに自分の言葉を使ってコミットしていく。自分の表現を使って受け止めて、次の表現へと受け渡す。一つ一つに自分が信じられる答えを出して紡いでいく。そして、確かな表現のネットワークを作る。どんなに予測が出来なくても、不可知なことに溢れていても、藻掻いて足掻いてその途方もない努力をする。
 演劇と世界は、本当に多くの不条理にあふれている。しかし不条理に立ち向かう術は二つとも同じである。芸術を通して考える素養を身につけ感性を豊かにすることは、私たちが自らの人生の舵を取りながら、人間の一般化が大好きなルールメーカーが跋扈する社会を生き抜くための強力な武器だ。自分の人生に立ちはだかる不条理を自分の言葉で理解し、判断の自由と、リスクと、責任を同時に引き受ける。これこそが生きることではないだろうか。

 私はそのように生きたい。生きようとすることが苦しく、あまりにも苦しいゆえに私を潰してしまうとしても。生物的な、肉体的な生ではなく、人間の部分を、心の生を求め続ける。これは一生涯かけて続ける勝負だ。私のことを一般化しようとするものへの宣言だ。

 とにもかくにも、私は4年間で専門分野を複合してフレームを作った。そのフレームはかなり不恰好で、表面が凸凹している。私よりずっと優秀な人が作り出す意匠を凝らした滑らかで美しいフレームではない。それでも私は、私のフレームで物事を見てみる。すると醜かった凸凹が、まるでプリズムのように物事を反射させた。ただ見るだけでは気づかなかった色とりどりの世界がそこにあったのだ。
 不条理とともに生きよう。苦しんで生きよう。
 ありがとう、一緒に苦しんでくれた人たち。私を生かしてくれた人たち。重要なことを、愛を持って教えてくれた私の恩人たち。

 何やら世の中がきな臭くなってきた。人間的なものがないがしろにされて久しいが、ここからどうなるか。人間として生きる幸福と市場を満たす豊かさが拮抗している時代の節目に、私の考えを残しておこうと思う。どんなに歪でも構わない。冷めた目で見られても構わない。
現時点での私の思考のネットワークの大半を占める考えを、蚕が繭を作るように吐き出す。
芸術を、その意味を、それを担う機会をいただいた表現者として、ここに残そう。
今の私はきっと、今の私を作った4年間の思い出とともに、一年もすれば跡形もなくいなくなるだろう。
その前に。

 4年間の演劇部での活動は、刺激的だった。とにかく楽しかった。本当はそんな言葉では到底足りないのだけれど、もう終わらせる。最後は最後。区切りは区切り。卒業は卒業。
最後はそれらしく、私が好きな一節を引用して締める。

Le vent se lève, il faut tenter de vivre.
風立ちぬ。いざ、生きめやも。

公演情報再掲

劇団個人主義22年度入学生 卒業公演『この町に手紙は来ない』
日時:2月28日(土)12:30〜/17:30〜、3月1日(日)12:00〜/16:30〜
会場:北池袋新生館シアター
料金:無料(フリーカンパ制)



 学問に深く入り込むと、自分の思考は誰かの思想の焼き増しだと思うことが多々ある。これすらも、「間テクスト性」という概念により既に説明されていることだ。
 考えれば考えるほど、私の思考は誰かの思考の二番煎じ。全く、嫌になる。やめたくなる。投げ出したくなる逃げたくなる。不甲斐ない私の正気を彼方からでも取り戻してくれるのが演劇であり、仲間たちだった。
 答えを出すのを諦めているときに、絶対的な答えを出してくれる人にすがる。ぎりぎり。限界。それでも私はその人にだけはすがってはいけないと思う。答えを出す前に、その答えが最良であるよう共に悩んでくれる人を大切にしたい。

座組に参加してくださった皆様
 邪智暴虐な私の演出に付き合ってくれてありがとうございました。
 どんどん増える収集や編集を確実に、そして遊びを持って熟してくれた音響、荒唐無稽な案を堅実に落とし込んでくれた照明、多量な仕事を、雰囲気を守りながら積み上げた舞台美術、微に入り細を穿ってくれた小道具、創造を率先して担った衣装、発想力と実務で多くのお客様を動員した宣伝、あたりまえを確実に用意してくれた制作、仕事に目を配り、仕事を管理しブーストをかけてくれた監督部、本当にありがとうございました。
 そして後輩のAくん、Kくん、Kさん、Nさん、Tくん、貴方たちがいなければこの舞台は完成しませんでした。時間を縫って稽古に来てくれてありがとう。
 さらに仕込みから本番まで力を貸してくれたTさん、Kさん、Sさん、Nくん。朝早くから遠くまで付き合ってくれてありがとう。演劇は多くのプレイヤーで成り立たっていることを再び痛感いたしました。
 役者の皆様、一緒に苦しんでくれてありがとう。その苦しさを楽しめるように舞台上でも、日常でも生きられることを祈っています。

 いやはや、ここまでお付き合いいただきありがとうございました。
人の思考の系(ネットワーク)なんて、知ったことではありませんよね。全て複雑に絡まり合っているその様を、私の恩師や数々の思想家の意見をリスペクトを前提にパクりつつ真似事をしながら、少しでもお伝えしたいというエゴが働いてしまいました…とりあえず、系という字の通りに思考を糸にして絡めて、繭を作りましたんで、大学生活最後の日まで、しばし春眠と参りましょう。4月には、どんな変態が誕生しているのか、楽しみです。

佐藤佳乃





1


 ずっとひとりだった。
 小中学生の9年間、母とアパートで二人暮らしをしていた。それもあって家にいるときは一人で遊んでいた。たとえば絵を描いたり、マンガを創作したりする。独り言をぶつぶつ言いながらゲームをしたりする。あと、脳内で戦闘模様を描きながらドラゴンボールのフィギュアで戦闘ごっこをしたりする。生まれつき周りの目を気にする性格なのもあって、ひとりでいるときは何も気にせず自分の思い通りににできて開放感がある。
 今でもたまにあるのだが、人の話を聞いていたはずなのに気づいたら一人で考え事をしてしまっていることがある。たとえば学校の授業中にお腹が空くと今日の給食の献立なんだろなーと想像したり、こっそり多めにもらうための策略を考えたりする。そうしているうちに先生に当てられ、訳もわからず「れ、レンコンチップス!!!」と答えて周りから笑われる。その時になってひとりだけ浮いていたことを自覚した。

 「兄弟ほしくなかった?」と時より母に聞かれることがあった。
 「そんなことない」と答えた。なぜそんなことを聞いてきたのか今でもよく分からないが、一人っ子であることに不満をもったことはなかった。

 僕はひとりが好きだった。

2

 中学校の入学式の日、僕は緊張していた。
 その中学校は三つの小学校の出身生徒が通うことになっている。中学校の生徒数が240人ほどに対し、僕の通っていた小学校の生徒数は30人ほどなのでクラスの生徒のほとんどが知らない人になる。
 「どうか友達と同じクラスになりますように」と頭の中で念仏を唱えながらクラス発表の掲示板へ向かった。掲示板の前に立ち、数秒後飛び上がるほど喜んだ。保育園の頃からの大親友と同じクラスになることができた。
 それから親友とその友達と3人で休み時間を過ごしていた。10人くらいでワイワイやってる陽キャグループが教室を圧迫してる感はあったが特に気にならなかった。このまま3人で一年間過ごせたらいいなと思っていた。
 半年ほど経って親友が陽キャグループと絡むようになり、話しかけづらくなった。
 それとほぼ同時期クラスの女子からいじめられるようになった。その時の役職上、グレた女子に何度か注意をしたところあまりよく思われなくなり、その子がクラスの女子の中で最も幅のきく存在だったため多くの女子を敵に回すことになってしまった。
 自分がいない間に文房具を壊されたり、美術の授業中に粘土を投げつけられたりした。それでも通い続けられたのは、母がなんとかしようと動いてくれたことと、塾ではいわゆる神童扱いされ、みんなからもてはやされてそこが精神的なよりどころになっていたからだ。何より不登校になったら負けだと思った。勉強をがんばってテストで高い点をとり、良い高校に行って見返してやりたかった。
 ある日の美術の授業、いつものように粘土を投げつけられていた時、親友がそこを通りかかった。助けてくれると思った。でも実際は逆だった。
 鼻で笑われた。
 その時、僕の中の何かがポキッと折れたそんな感覚がした。
 それから前にも増してテストで高得点をとることに固執していった。「誰よりも賢くなって人間的に上だと証明してやる」この思いが中学三年間の生きる上での軸となった。
 今では親友と以前のような仲に戻り、地元に帰ったときに一緒にラーメンを食べたり、ボーリングをしたりして遊んでいる。
 他の人から聞いた話によるとどうやら親友は当時のことを深く反省して僕に対する謝罪文を中学校に出していたようだ。そういった経験があったからこそ今はお互いを尊重できていると思う。
 
 ただあの時折れた何かはまだ折れたままな気がする。

3

 「どうもー!星野源です!!」彼は笑顔でそう言った。
 それを画面越しに見るたび僕も笑顔になった。
 高校生の頃、星野源が好きになった。初めは「SUN」や「Family Song」といった名曲から入り、気づけば初期シングルのカップリング曲といった隅々まで曲を聞くようになった。彼の作る曲すべてが好きといったら嘘になるが、ブラックミュージックの奥深さとJPOPの思わず踊りたくなるようなキャッチーな味わいを融合させた曲達に惹かれ、どんどん沼にハマっていった。
 ここまでなら好きな音楽家で止まっていただろうが彼の時より見せる孤独な表情や詞に紡がれる孤独感に岐阜の片田舎で勝手にシンパシーを感じた僕は、彼をあこがれの対象として見るようになった。

 世界は ひとつじゃない
 ああ そのまま ばらばらのまま
 世界は ひとつになれない
 そのまま どこかにいこう

 体育祭のスローガンにありがちな一致団結といったものに違和感を感じていた。振り付けが少しでもずれれば指摘され、全員が同時に同じ動きをしなければいけない。そういったものに少し息苦しさを覚えていた。源さんの歌で一人一人はバラバラでもつながっていける、そういう世界があると感じた。僕はこの歌に救われた。
 高校一年生の時に星野源のドームツアーへ行った。席は運が良く、花道の中央にあるステージの最前列だった。メインステージから登場するのが普通だと思うのだが、そのコンサートでは花道中央ステージに星野源がただひとり現れた。あこがれの人が急に現れてすごく緊張し、時が止まったような感覚になった。次の瞬間、ドーム全体が暗転し、星野源1人にスポットがあたった。ギターの弾き語りが始まった。

 歌を歌うときは 背筋を伸ばすのよ
 人を殴るときは 素手で殴るのよ
 さよならするときは
 目を見て言うのよ
 好きだと言うときは
 笑顔で言うのよ

 とても感動した。孤独だからこそ人の心に響かせられるものがあるんだと確信した。
 一方、エッセイ集「そして生活はつづく」では孤独について次のように語っている。

 『あと少しで死んでしまうとき、走馬灯のように人生を振り返って「ああ、ひとりじゃなかったんだ」と思えたら、きっとすごく幸せなんだろう。』

 これは15年以上前のエッセイに記されていた文である。今の源さんはひとりじゃないと思えるようになったのだろうか。すごく気になる。

4

 ありのままのことを書こうと思う。
 昨年の10月頃、ひとりでいることが怖くなった。家に帰ると静まりかえった空間が怖くて布団にくるまり「誰か助けて」と泣き叫んでいた。子供じみていて恥ずかしい。そんなことをしてもどうにもならないのは分かっているが頭が正常に働かなくなっていた。「なんのために生きているんだろう」という言葉が脳内をめぐっていた。笑い声が聞こえる番組をつけたり、イヤホンで音楽を聞いて夜道を歩いて気を紛らわせようとしたが効果今ひとつだった。何がそうさせたのかパッと浮かばない。強いて言えばなんとなくの疎外感だろうか。

 星野源にあこがれていた僕は演劇の世界に興味がわき、劇団個人主義に入部した。初の台本読みの際は、あまりの棒読み加減に稽古場が一瞬白けたのを覚えている。先輩達が気を遣いながらアドバイスされたのを察して「これはマズイ」と感じた。先輩達の中でも一際目立ったカリスマ先輩に「加納くんは家で練習した方がいいね」と言われ、そのことをきっかけに家で必死こいて練習した。スマホで自撮りしながら演技をし、どうしたら自然な演技ができるか研究した。他にも同輩に「演説のシーンはこの動画を参考にすると良い」と教えてもらったり、セリフの癖を指摘してもらったりした。ある日の稽古でカリスマ先輩から「成長したね」と言ってもらえた。うれしかった。
 初舞台では丸尾というニートの役を演じた。丸尾には友人の長谷部くんがいて、その役を先輩が演じた。稽古中は先輩なのもあって気を遣っていたのか少しぎこちなかったところもあった。舞台本番では、そのぎこちなさは消えていた。丸尾と長谷部としてつながっていて、そこに自分はいなかった。その感覚に感動した。演劇の良さは儚さだと思う。稽古の数ヶ月で役についての理解を深め、本番1,2時間のみ役として生きることができる。僕は演劇が好きになった。
 一方で、当時同期のことは一歩引いたところで見ていた。同期に対して興味がないとか好きではないとかそういうことではない。上手く話せる自信がなかった。だから後方で腕を組んでしかめっ面をしていた。今考えると、キモいったらありゃしない。
 二年間同期と過ごすうちにそれぞれの色や強みが分かってきて、好きになってきた。もっと仲良くなりたいなーなんて思う一方でいまだに上手く話せないなーと感じていて、日に日に自己矛盾を感じるようになっていった。

 こんなふわふわした気持ちでいたくないと思い、以前から考えていた俳優になることを志すようにした。大学3年生の冬、ジュノンスーパーボーイコンテストに応募した。例年13000人ほどの応募があり、その中から書類選考でベスト1000、集団面接でベスト150、人気投票でファイナリスト(ベスト15)と絞られていく。ファイナリストのほとんどは大手事務所に所属することができるため、そこを目指すことになる。書類選考は通り、ベスト1000になることはできた。が、集団面接の日付を一か月ほど勘違いしており、そのことを期日前日に気づくという失態をおかした。なんとも間抜けである。30秒自己PRをする必要があるため当日の朝に武具店へ行って木刀を買い剣道をアピールすることにした。
 「面、小手、胴…以上です……」
 「いつから剣道を始めましたか?」
 「中学の頃です」
 「きっかけは?」
 「友人に誘われたからです」
 「そうですか、ありがとうございました」
 結果、不合格。
 やるせなさが残る中JUNONへの挑戦は幕を閉じた。

 その後は、院試勉強に明けくれ、院試を終えてちょっとすると卒公の稽古に突入した。

 10月の頭に役が割り当てられた。一番出番が多いポジションになった。全力で役と向き合ってみんなを牽引する立場になると胸の中で誓った。理想と現実はほど遠くうまくいかないことの連続だった。台詞は中々覚えられず、役への理解にも時間がかかった。スタッフワークも中途半端になり、本当に多くの人に迷惑をかけたと思う。自分が情けなくて仕方がなかった。冒頭で触れた疎外感についてだがブログを書いていて気がついた。僕をひとりにさせていたのは僕自身だと。何一つうまくいかない後ろめたさから勝手に心を閉ざしていた。それでも同期のみんなは閉ざした扉にノックしつづけてくれた。僕が役に集中できるように気遣ってくれてお前ならできると肩をたたいてくれる人がいた。稽古中、面白いことを言ったりアイデアをたくさん出して場を和ませてくれる人がいた。いつも笑顔で話しかけてくれる人、あまりしゃべらない僕に対話しようとしてくれる人がいた。僕の将来を真剣に考えてくれる人がいた。演出に至っては今日まで成長を信じて誠実に対応してくれた。
 応えなければならない。命がけで。死ぬ気で。

 一生ひとりだと思っていた。それが自分の性だと。でも違った。怖くて向き合おうとしなかっただけだった。もっと人のことを知ろうと思う。分かろうと思う。好きになろうと思う。それが自分にとって苦しいことでも足掻きながら生きていきたい。死ぬ間際に幸せだったと胸を張って言えるように。

以下、公演情報です。

劇団個人主義22年度入学生 卒業公演『この町に手紙は来ない』
日時:2月28日(土)12:30〜/17:30〜、3月1日(日)12:00〜/16:30〜
会場:北池袋新生館シアター
料金:無料(フリーカンパ制)

少しずつ、春の足音が聞こえてきましたかね。
お久しぶりです。あるいははじめまして。
劇団個人主義の千鳥みゆきと申します。
こうやって名乗るのも最後ですかね。

これが、劇団個人主義の団員として書く最後のブログとなります。たまに、あの時どう思っていただろうか、と思って自分のブログを読み返すことがありますが、自分の文章があまりに拙く、消したくなります。この4年で文章力が上がったわけでもないので、今回も拙い文章を全世界に公開します。
毎度恒例ながら、タイトルも思いつかなくて、無難なものになってしまいました。でも、これしかないかな。この言葉に見覚えがある方は、劇団個人主義オタクだと胸を張ってくださいね。

「最後」。最近全てのことにこの言葉が付きまとってきます。このブログも「最後」です。終わりよければすべて良し、という言葉があります。私はこの言葉通りの人生を送ってきたので、今回のブログも良いものを書いて締めたいと思っていました。
そんな「最後」に、何を書くか。これまでの作品を振り返ってみようかな、とも思ったのですが、卒論くらい長くなってしまいそうなので、やめます。もうあんな苦しい文章は書きたくありません。
今回は同期・後輩へのラブレターを記そうと思います。ラブレターなんて言うと重すぎるので、まあお手紙だと思ってください。本公演のタイトルにもありますからね!!(偶然です)
特に同期は心して読むように。



私を除いた同期9人。離れていった人も含めれば10人。
あっという間の4年間でした。みんなもそう思っていますかね。
私はみんなの力になれていましたかね。私は、同期のみんなにとって必要な存在だったかな。4年間、そんなことばかり気にしていました。
私以外の同期はみんな、それぞれの強みや色を持っていました。私にはそれがないように思えていました。ときに嫉妬し、ときに悔しく思っていました。私が同期のことをまっすぐ尊敬できるようになったのはつい最近です。長い間、ずっと、みんなの持っているものが羨ましかった。みんながそれぞれと仲が良さそうに見えるのが羨ましかった。ずっと私は、そこに踏み込めていないような気がしていました。きっとそんなことはなかったのにね。
4年間頑張れたのは、みんながいつでも優しく私のことを受け入れてくれたからです。
本音を出すのが怖かった。嫌われたくなかった。みんなに置いていかれたくなかった。1人になりたくなかった。そんなネガティヴな感情を出すこともできなくて、上っ面しか見せられない弱い人間でした。同期から「本当に怒らないよね」って言われたこともあったけど、本当はそうでもないのにな、って思っていました。まあ隠していたのは私なんだけど。
みんなとずっといるために、みんなに嫌われないように、私はずっと本当の自分を隠していました。負の面を見せないようにしていました。それが私なりの世渡り術だったから。
4年かかって、最近ようやくそういう部分を出せるようになりました。怒ったり泣いたり、不機嫌な部分を見せられるようになりました。それはもしかすると同期たちにとっては嫌なことかもしれない。何やねんこいつ、と思わせてしまっているかもしれない。それでも、私はやっと人間らしく生きられるようになった気がしています。そんな私のことも受け入れてくれた同期に、本当に感謝しています。

加納拓磨
4年一緒にいて、いまだによく分からない。不思議な人だなと思います。
実は意外と共通点があるんです。出身県が隣同士だったり、1年生のときから一人暮らしをしていたり、坂道アイドルを推していた経験があったり。なのに、あんまり話さない。2人っきりで話したことが実はあまりないです。嫌いとか、仲が悪いとか、そういったことは決してないですからね。なんでなんですかね。私が一番疑問に思っています。本当はもっと話したいのに、勇気が出ない。掴みきれない貴方を、どこかで少し怖がっているのかもしれない。
今回の舞台では、一番濃い絡みがあるのは彼です。彼と同じ舞台に立つのは『日本語私辞典』以来となるので、3年ぶりです。あの時はたくさん笑わせてもらいました。今回の舞台では、一番の鍵を握る役を彼が演じています。まっすぐに役に向き合う役者さんです。本番までにどれくらい伸びて、どんな演技を見せてくれるのか。私も楽しみです。

眞野千弦
言語化が上手い人。誰も傷つけないように、でもはっきりと伝えたいことを伝えられる人。周りのことを見て、調整することに長けている人。それができる人って、なかなかいない。
どんなに忙しくても、それを言い訳にせず、演劇に、そして私たちに向き合ってくれます。プロです。いつも仕事が早くて本当に助かっています……
私は彼女が作る世界が大好きです。彼女のまとう雰囲気が好きです。2023年の大学祭では、私が演出を務める作品に彼女が出演しました。ただ、その後『ジャスミンティの頃』で彼女の演出を見た時に、自分がものすごく恥ずかしくなりました。こんなことをできる彼女に、私は何を言っていたんだ、と。あの時、もう二度と演出はしないと心に誓いました。それくらい、好きなんです。あまり本人には伝えたことがないのですが……。舞台上で共演!したかったな。

山岡大知
私が出会った人の中で一番寛容な人。ワーカホリックで、知識豊富で、本当に頼れる人。そして演劇への強い愛があって、苦悩を絶対表に見せない鉄人。人間じゃない。
それでありながらボケたがりで、後輩に舐められがち。仲良くなると中身のない話を永遠としてくる。意外と涙脆い。知れば知るほど印象が変わる、カメレオンみたいな人です。
私にとっては、ライバル。いつも彼には負けたくないと思っていました。彼に、置いていかれたくないと思っていました。山岡がいたから、私はここまで情熱を絶やさずにやってこれました。本当に感謝しています。
彼の演技がとても好きなので、今回も舞台上で一番近くで見られるのは嬉しいな、と思っています。ただ、彼とのシーンは非常に難しいので、そんな余裕があるのかは疑問です。ほぼ同じタイミングで演劇を続けた者同士、「最後」を意識している気がします。お互い悔いが残らないように、頑張りましょ。

蒼井福奈
22の天使。彼女がいるだけで、マイナスイオンがいつもの倍出ているような気がする。
22は「俺が」「私が」と我の強い人が多い中で、彼女は緩衝材としての役割を果たしてくれていました。彼女がいてくれたから、22は大きな喧嘩もなくここまで来れたと思っています。彼女の笑顔は世界を救う。これはガチです。
私の突飛な計画にいつも乗ってきてくれます。私の帰省にまで着いてきてくれました。あの4日間は本当に楽しかったな。1番一緒にお出かけした人です。まだまだ彼女と行きたいところ、やりたいことがあります。
彼女とは、役者としてあまり舞台上で絡んだことがありません。『日本語私辞典』では本を受け渡すのみ、『ジャスミンティの頃』でようやく絡めましたが、私は声のみの出演だし、いじめのシーンだし。今回はようやく舞台上で平和に絡めます。嬉しいね。あの場面は非常に楽しいので、全力で楽しもうね。

汐海風音
パワフルなのに優しい。器用になんでもこなせてしまう、それでいて繊細に物事を捉えることができる。その二面性が、彼女の大きな魅力だと思います。
私の心が大きく揺らいだ時、近くで寄り添ってくれたのは彼女でした。考え方も捉え方も似ていて、本当に「キョウダイ」のようで。こんなに考え方が近しい人がいるのか!と思うくらい。あの日、彼女がいなかったら、私はきっとここに居続けられなかったでしょう。本当に感謝しています。ありがとう。
今回の公演では、舞台監督補佐として支えてくれています。本当は舞台監督をやりたかったはずなのに、私のわがままを聞いてくれました。ごめんね。そして今回、地味に共演できますね。ニコニコです。キョウダイ姉妹を演じてきた彼女とまた新たな関係性を演じられるのが嬉しいです。

月子
多角的に物事を見つめることができる、そしてそれをいろんな形で放出できる人。本当はもっと一緒に舞台に立ちたかったし、ちゃんと絡みたかったです。2年経ってもやっぱり悔しいし、心残りです。
突然頭突きしてきたり、体当たりされたりしてきましたが、それはきっと信頼の証だったのだと思います。驚きの行動を取ることも多いですが、同時にとても繊細な人なのだなと、分かってきました。そういうところも大好きだよ。また一緒に飲みに行こう。
彼女は私のことをたくさん可愛がってくれて、褒めてくれます。役者写真も毎回めちゃくちゃ褒めてくれます。あまりに褒めてくれるので、私が少し調子に乗ってしまっている。ありがとうね。
私が今回の舞台で着用する衣装は、彼女プロデュースです。露出が思ったよりも多くて驚きが隠せませんが、私に似合う衣装を考えてくれました。とってもお気に入りです。あとは私が着こなすのみである……。

美海美代
22の末っ子。甘えたがりの可愛い妹。たまに毒舌を吐くこともあるけど、やっぱり可愛い人。守りたい。永遠にそのままでいて。
そんな彼女ですが、実際は責任感が強くて、自分のやるべきことはきちんとやり遂げようとする人です。甘えたり、弱音を吐いたりしつつも、自分の仕事をきちんと果たしてくれるので、とても信頼しています。しっかりしている人なんです。今回は照明オペを務めています。大変な中本当にありがとうね。
実は二度も同じ舞台に出ているのに、どちらも表立って共演がないんです。だって初めての舞台では、私の出番が終わってから彼女が出番だったんですからね?(4年経つのにまだしっかり根に持っている)舞台袖で出番に向かう彼女を見送ったこと、いまだにしっかり覚えています。もっと一緒にやりたかったな、というのが本音です。

佐藤佳乃
やばい人。こんな陳腐な語彙で表してはいけないというのは分かっています。でも、とにかくやばい、としか表せない。
舞台を作るための知識が脳にぎっしりと詰まっていて、役者たちからの意見も聞いて柔軟に考えてくれて、さらには全てのスタッフワークに目を通している。私のふわっとした意見にもきちんと耳を傾けてくれて、一緒に考えてくれる。本当にすごい人です。尊敬している、なんて簡単には言えない。もうこの人に追いつくことはできないという憧れの領域。本当は5人くらいいるんじゃないでしょうか。そうじゃなきゃ説明できない。
でも、本当は緊張しいで、しろたんが大好きな可愛い人って知ってるんだ。そういうところが大好き。かわいいんです、佐藤は。もっとそういう一面を後輩たちに知ってほしいです。全然怖くないからね。可愛いんですから!!(そろそろ佐藤に怒られそう……)

田抜常
22の特攻隊長。パワーで周りをねじ伏せることもある、いつでも全力ターボ全開。稽古場にいてくれるだけで助かる存在。いつもありがとう。
私は彼の言葉選びにかなりの信用を置いています。絶対に人を傷つけるような言葉は言わないんです(たまに口は悪いですが……)。私は、その優しさに何度も救われてきました。いつも笑わせてくれるので、彼がいるだけで温度が5℃くらい上がる気がしています。そのあたたかさが、私は大好きです。たくさん突っ込ませてくれてありがとう。
彼と一緒に舞台に立つのは、実は有観客公演では初めてになります。すごいな、まだ初めてが残っていたのか。ここまでその機会をとっておいたとも言えますかね。彼と深く関わるシーンはないんですが、彼の演技への真剣な眼差しを見ると、自分ももっと頑張らなきゃ、と思えます。いつでも私の情熱を掻き立ててくれる人です。

ね、すごいでしょ。
こんな人たちといたら、そりゃ自信なくします。
でも、この人たちが、大好きなんですよね。






(22全員で写ってる写真がない、だと……?)

自分たちの代で演劇部が廃部になり、後輩が入ってこなかった中学時代。コロナに邪魔され、思うように活動できなかった高校時代。もちろん中高時代も楽しかったし、充実していたと思っています。大切な人たちにも出会えたし。それでも、演劇のために生きることを許されなかった6年間を経て、この4年間は本当に演劇のために生きてきたなと思っています。
私たちはみんな臆病で、最初はなかなか距離が縮まらなかったけれど、一度近づいたら一気に仲良くなって。いろんなところに行ったし、私の初めてをたくさん奪ってもらいました。
私の大学生活は、みんながいたからカラフルなものになりました。たくさんの思い出を一緒に作ってくれて、本当にありがとう。私のわがままにもたくさん付き合ってくれて、ありがとう。
普段の会話のテンポがとにかく速くて、何気ない話でもずっと笑っていられるし、かと思えば真剣な話もできる。近づいたり離れたり、その時にちょうどいい距離感をキープしてくれた。
演劇への熱も、それぞれ大きさは違えど心のうちに秘めているものがあって。それぞれが妥協したくないところを突き詰めて、自分の得意を伸ばしていったからこそ、いい作品を何度も作り上げられたんじゃないかなと思います。
この人たちとだったから、演劇を続けられたんじゃないかな。
本当に出会えて嬉しい。かけがえのない存在です。

……こんなことを書いていると、同期たちから気味悪がられるのではないかなと不安になります。
私の心は小学生男子に近い。つまり、本当に好きな人にはツンツンしてしまう。
本当に、ここ1年くらいは素直に感情表現をすることが少なくなったなと思います。嬉しくても楽しくても、ちょっとだけツンツンしてしまう。素直に感謝を言えなくなってしまいました。ごめん。
劇団欠片で『わが星』を上演した際、袖から月ちゃんのお手紙を聞いていたら同期のことが思い浮かんで、泣いてしまいました。
同期のみんな、私と仲良くなってくれてありがとう。
同期のみんな、私と一緒に演劇をしてくれてありがとう。
あの時出会っていなかったら、私はきっとこんなに楽しい大学生活を送れていなかったし、みんなのおかげで楽しい時間がたくさんできた。みんなといる時間が幸せで、ずっとこの時間が続けばいいのにって永遠を祈ってしまうくらい、みんなのことが大好きです。
そう何度も伝えたかったのに、いつも恥ずかしくなって言えなかった。だから今回はちゃんと言葉にしました。真っすぐに受け止めてください。もう二度と言わないと思います。

これから、私たちは別々の道を歩んでいきます。きっとみんな、演劇からは距離を置くことになるんだろうと思います。これからはすぐには会えなくなる。きっとみんなそれぞれの環境で、いろんな人と関係を作っていくんだと思います。
それでも、たまに連絡を取り合って、たまに会って、これからそうやって生きていけたら嬉しいです。これからも、程よい距離感で、末永いお付き合いをしてください。
私は、これからも演劇と生きていきます。劇団を立ち上げるのが今の私の夢です。10年ぶりに見つけた、私の大切な夢です。
……今後の人生のどこかで、また貴方たちと同じ舞台に立ちたい。どこかで、一緒に舞台を作りたい。そのためにも、私は頑張っていきます。みんなと、たくさんのことを経験したい、もっといろんな景色が見たい。

言うだけタダなので、許してください。







『(2022年度夏公演)』
『日本語私辞典』
『寸前家族』
『咲けない花は無価値と球根』
『異邦人の庭』
『可笑しカンパニー』
『評決』
『サカシマ』
『ジャスミンティの頃』
『さらだ殺人事件』
『ケチャップ・オブ・ザ・デッド』
『満ち足りた散歩者』
『ほどよくランウェイ』
『わが星』
『僕らの力で世界があと何回救えたか』
『小説家の檻』

大学祭を除き、そして企画公演も含め、22が携わった作品です。
こうやって並べてみると、すごいですね。圧を感じます。これだけの作品を作ってきたのだなあと思うと、何だか感慨深いです。
実はこの中で22が出ていないのは『わが星』と『小説家の檻』だけです。でしゃばりすぎや。ここまで来るともはや清々しいですね。『僕らの力で〜』に関しては不可抗力だったので許してください。
私は、これらの作品のほとんど全てに携わってきました。全てのパンフレットに名前を載せてきました。でしゃばりすぎだ、と自分で思うこともあったし、周りからもそう言われたこともあります。それでも私は、後輩の役に立ちたいと思って公演に参加し続けました。
でもきっと、それは私のエゴで。本当は、ずっと、自分の居場所を守りたかっただけなんじゃないかなと、今では思います。
20の先輩方のように、どっしりと構えるような頼もしい先輩にはなれなかった。21の先輩方のように、後輩たちを優しく包み込めるほどのあたたかさをもつ先輩にはなれなかった。それでも、後輩たちのために何かできたらと、後輩たちのやりたいことを一つでも叶えてあげたられたら、と思って、参加し続けてきました。そのことに関しては後悔していません。
これから、この劇団個人主義を外から見ることになります。後輩たちがこれからどんな舞台を作り上げるのか、本当に楽しみです。これからも、のびのびと、自由に舞台を作ってください。そして、演劇を心から楽しんでください。
私は、正直、劇団個人主義として舞台に立つ時に、心から楽しいと思ったことはほとんどありませんでした。重い役もあったし、自分の弱さと向き合わなければならないこともあって、苦しい思いをすることの方が多かったです。それが唯一の後悔、というか、心残りです。もっともっと楽しく舞台に立ちたかった。
後輩たちには、こんな感情を味わってほしくない。もちろん、演劇に想定外はつきものです。予想通りにことが進むことなんてない。それでも、後輩たちにはずっと笑顔でいてほしい。演劇が好きであってほしいし、この団体を好きであってほしい。
後輩たちは、大丈夫です。本当は、ずっと前から私なんかいなくても大丈夫だったと思います。最後まで甘えてしまっていたのは私だった。『小説家の檻』を見届けて、大丈夫だと、確信を持って言えるようになりました。これからの劇団個人主義を前へ進めていく力を持っている後輩たちのこと、全く心配していません。きっと私たちがいないほうが、のびのびと舞台を作れるんじゃないだろうかと思うくらいです。自信を持って、自分たちのやりたいことにまっすぐ向き合ってください。大丈夫だよ。




ここからは、千鳥みゆきならびに紗倉ほのかとしての振り返りです。どちらも私の本名由来の名前です。気に入らなかったら変えようと思っていましたが、気づいたら4年経っていました。時の流れって怖い。
この4年間、役者として7作品に出演しました。照明・音響・舞台美術・小道具・衣装・宣伝・制作の7部署全てを経験しました。大学祭では演出もしました。個人主義でも、そして企画公演でも舞台監督をやりました。劇団個人主義の部長も大学祭の企画責任者もやりました。
やりたいことを全部やり尽くした4年間でした。わがままに生きた4年間でした。演劇のために生きた4年間でした。最高の4年間です。胸を張って自慢できます。
この4年間関わってくださったみなさんに大きな感謝を。本当にありがとうございました。
これからも劇団個人主義をよろしくお願いいたします。
そして、これからも劇団個人主義2022年度入学生の10名を、よろしくお願いします。
私は、この10年間を糧にこれからも演劇人として歩み続けます。


以下、公演情報です。

劇団個人主義22年度入学生 卒業公演『この町に手紙は来ない』
日時:2月28日(土)12:30〜/17:30〜、3月1日(日)12:00〜/16:30〜
会場:北池袋新生館シアター
料金:無料(フリーカンパ制)



今回の卒業公演は、22にとって大きな挑戦だと思っています。最後まで良いものを届けるために全力を尽くす人たちだということを再認識できて嬉しいです。
時に衝突しながら、文字通りお互いの命を削って生まれた作品です。
あなたの心に残る作品になっていたら嬉しいです。
……薄いですか、薄いですかね。ここまでびっしり書いてきたくせに、今回の公演については書かなさすぎですかね。でもネタバレを避けようとするとこうなるんです!許して!
どんな舞台か気になったあなたは、ぜひ来てくださいね。会場でお待ちしております。

以上、劇団個人主義の千鳥みゆきでした。
本当にありがとうございました。







卒業公演の役者紹介19秒は、私の全人生の走馬灯のうち40%ほどを占めていると思います。それほどまでに濃く、楽しく、幸せな4年間でした。このブログではその19秒をもう少し詳しく、引き伸ばしてお届けします。

私の運命の出会いは大学一年生の春。新入生がピチピチと新歓のビラに溺れている中、私は個人主義と出会い最高の4年間を過ごせました。

一年の大学祭『アンチ・ストックホルム』では誘拐犯役でした。探偵モノ大好きなので参加して、なぜか犯人役を希望するという謎プレーをかましましたが、高校までのエネルギッシュな演技とは全然違くて大満足。



2年の大学祭では役者演出を両方やった。『路線変更』は台本がめっちゃ好きで、先輩も後輩もいて超楽しかった!!アイドル衣装のクオリティ凄くて、演出と色んなアイデアを出しあいながら面白くできて楽しかった。『最後の男たち』は初演出でしたが2人の経験者の助けもあって、本番はエネルギー溢れる良い公演になりました。彼らのアイデア力と、柔軟さは感謝してもしきれないです。



3年は舞台監督を務め、その経験で4年の大学祭でも補佐を務めた。4年の大学祭、『冬のキリギリスたち』では4代で共演するという私の夢を果たせて、すごく上手い後輩たちと、メキメキ上達する新入生と全力でぶつかって、役のごとく命を燃やすことができました!



一つ一つが、愛しく思い出深い公演たちです。全ての公演に参加することができたことは私にとって誇りであり、ずっと受け入れてくれた皆に感謝してます。
卒業公演が最後になります。
今までの経験を全て活かして、最高の作品を見せることが1番のお礼であると思ってます。
ぜひ楽しみにしてお越しいただければと思います!!!!

以下、公演情報です。

劇団個人主義22年度入学生 卒業公演『この町に手紙は来ない』
日時:2月28日(土)12:30〜/17:30〜、3月1日(日)12:00〜/16:30〜
会場:北池袋新生館シアター
料金:無料(フリーカンパ制)





 ブログの書き出しはいつも難しいです。卒団にあたってのブログなので、書きたいことはそりゃあ山盛り海盛り。一番伝えたいのはやっぱり感謝、次に同期のすごいところ、それから先輩後輩のすごいところ。そんなすごい人たちから貰った沢山のものも知ってほしい。4 年間の思い出だって語りたいし、感傷にも浸りたい。そして何より公演を見にきてほしいってことも欠かせない!
 しかし、書きたいことを書けば書くほど本筋というものはなくなり、感情を表そうと言葉を尽くせば尽くすほど、形になるものは本心とはズレたものになっていきます。だってほら今まさに。
 うーん。
 風呂場やら寝る前の布団やらでこんなことを考えること数日、いや数週間、いや、数ヶ月。とうとう締切 2 時間前になっていました。
 何から書くか色々考えて(※)、考えた結果、書き始められない焦りブーストで始めることをどうか許してください。
(※卒業公演に出てくれるかもしれない有名人をひたすら挙げていく、など。)

 私は、多分、周りと自分を比べがちです。多くの人がきっとそうであるように。
 あの部活にしていれば、交友関係が違っていたかも!とか、あの参考書を使っていれば、自分も模試の成績が伸びていたかも!とか、塾講師以外のバイトを選んでいれば、もっと楽しく稼げたかも!とか、あの大学にしていれば、もっとずっと楽だったのかも!とか。
 考えてもしょうがない、キリがないとは当然分かっています。隣の芝生は青く見えますから。
 けれど、あのサークルに入っていれば、ということを思う隙はありませんでした。なんせ、私はこの 4 年間、心から尊敬できる同期、先輩、後輩に囲まれて、そんな人たちと演劇とがもたらす様々な刺激にもみくちゃでしたから。
 何かサークルに入らなきゃ、と焦って眺めたインスタグラム。「入部締切 3 日前!」という投稿。それを見て、自分に合わなければ夏頃には辞めようと、とりあえず入団した日には思いもよりませんでした。

 今日まで続いてきた劇団個人主義の歴史に照らせば私の 4 年間は短いものです。そして、これから先も続くことを思えば、私たちの過ごした時間はどんどん短くなるのでしょう。劇団個人主義にとっても、私の人生にとっても。
 それでも、その 4 年間を、瞬いている人たちとともに自分もまた眩しくあろうとできたことは何物にも代え難い大切な時間です!
 劇団個人主義団員であれたことを、ここで最後の青春を過ごしたことを幸せに思います。一番眩しい青春時代であったと、きっと振り返ることでしょう。
 先輩、後輩、同期を含め、劇団個人主義としての私と関わってくださったすべての方々への舞台です。最高の同期と最高の後輩とともに残り 2 週間を頑張ります。
 ブログに書けなかったこと、その全部を劇場まで見にきていただけたら嬉しいです。

 ここまで読んでくださりありがとうございました。
 これからも、劇団個人主義という場所に幸多からんことを祈っています。

以下、公演情報です。

劇団個人主義22年度入学生 卒業公演『この町に手紙は来ない』
日時:2月28日(土)12:30〜/17:30〜、3月1日(日)12:00〜/16:30〜
会場:北池袋新生館シアター
料金:無料(フリーカンパ制)