岩登りや沢登りで雨は困りますけれど、ただ山道を歩くだけならそう不都合はないはずですが、最近の登山ではハイキングでも雨であっさり中止にする例が増えているようです。よほどの大雨や台風ならともかく、多少の雨でせっかく計画した山行を中止にするのはなんとももったいない、と、古い山屋は最近の風潮を残念に思うのですがいかがでしょうか。たしかに晴れた日のように爽快な展望は期待できませんし、身体が濡れるのが多少不快かもしれませんが、雨なればこそ山や森の生命は一層みずみずしく豊かに輝きます。そんな貴重な機会をいとも簡単に手放してしまうのはきっと、雨の森の素晴らしさをまだご存知ないからでしょう。山岳自然に本当に深く触れたいと望むなら、雨をも親しい友とすることが必要です。
街で見かけるアジサイは園芸品種で、原種はガクアジサイだと言われています。そのガクアジサイを含めアジサイの仲間で花びらに見える部分は実は「がく」で生殖機能を持たず、「装飾花」と呼ばれています。ガクアジサイでは3~5弁の白い装飾花が、それこそ絵画の「額」のように周りを取り囲むなか、雄しべ雌しべを備え生殖機能がある「両性花」の小さな花が多数密集して咲いています。しかし装飾花の多さ美しさを追求して人為的に育成された園芸品種では両性花は退化し、たまにあっても痕跡程度にしか残っていません。
さて、こうした装飾花はアジサイの専売ではなく、日本では20種近くの植物が装飾花をつけることが知られています。植物に詳しくない読者に種名を列挙するのは本意ではないのですが、登山者に比較的親しいところを選んでいうと、ブナ帯ではオオカメノキ(別名ムシカリ)や高木の幹に絡みついてよく目立つツルアジサイ、低山ではヤブデマリやガクウツギなどのウツギ類がそれにあたります。いずれも山霧がしっとりと漂うような情緒溢れる薄暗い森に清楚な装飾花が映えて実に美しいのですが、さて、この繁殖に関係のない装飾花はいったいどのような役割を果たしているのでしょう。
すべての生命体共通の最大の使命は少しでも多く子孫を残すこと。そのためには繁殖をできる限り効率的に進めたい。そうした観点からいえば、繁殖に役立たない装飾花を付けるなんてエネルギーや資源の無駄遣いじゃないかということになります。しかしもちろん、厳しい生存競争を生き残ってきた生物種がそんな無益なことをするはずはありません。
装飾花をつける植物が咲くのはおおむね初夏で、多くの植物が一斉に開花し受粉を媒介する昆虫など(専門用語で『送粉者』または『ポリネーター』といいます)を奪い合う競争が最も激しい時期にあたります。この競争を勝ち抜くため、アジサイの仲間たちはあえて繁殖につながらない装飾花をつけるという高等戦術を選んだのです。
まず、装飾花がポリネーターを呼び寄せる標識となっていることは容易に理解できるでしょう。ツルアジサイなどは黒い木の幹を背景にして、またオオカメノキは花の下に必ず濃緑色の葉を置くようにして、白い装飾花がより鮮明に見えるよう工夫しています。空中を飛来するポリネーターにはきっと、夜の滑走路の誘導灯のように見えるに違いありません。また、ヤブデマリなどで装飾花は送粉者が両性花に触れる際のしっかりした足場としても役立っています。つまり、装飾花は誘導灯やネオンサインの役割を果たすとともに、ときにはヘリポートかレストランの座り心地の良い椅子のような機能も果たしているわけです。
オオカメノキ(=ムシカリ) (大雪山HP)
ヤブデマリ(松江の花図鑑HP)
しかしこうして広告や調度に投資した分、肝心の両性花自体への資源配分は減らさざるを得ません。数あるポリネーターの中でもマルハナバチは、特定の花をくり返し訪ねる忠義な働き者として抜群に人気(「花気」というべきか?)があり、それゆえ植物間の奪い合いも激しいのですが、アジサイの仲間たちはそのマルハナバチをポリネーターとすることを諦め、花を選り好みしない浮気者のハナアブやハエなどいわば二流の送粉者を選ぶことでこの問題を解決しました。
マルハナバチを呼ぶには蜜が不可欠なのですが、その蜜の製造を完全に放棄し、そのことで花の作りを極限まで小さくしてそのぶんハナアブなどが好む花粉が多い花をまとめてたくさん付けることにしたのです。この花の小ささのおかげで、ポリネーターが一度這い回るうちに多くの花が一斉に受粉することができるようにもなりました。かくしてトータルでみれば、無駄なように見える装飾花は、アジサイたちの繁殖戦略のソロバン勘定に十分あっているというわけなのです。
アジサイはその学名をめぐる逸話も有名です。幕府禁制の日本地図を持ち出そうとして国外追放されたドイツ人医師シーボルトは有能な博物学者でもあって、帰国後に日本で魅せられたアジサイをヨーロッパに紹介。一女をもうけた事実上の妻「お滝さん」への想いを込め「otakusa」と命名したというのです。学名はすでに登録されていたため残りませんでしたし、日本ではアジサイをそう呼ぶと実際にシーボルトが説明したとの話もあって、彼がお滝さんにどれほどこだわっていたか本当のところ定かではありません。しかし、濡れそぼりつつ凛と咲くアジサイに当時20代の若者が、再びまみえることの女性への尽きぬ想いを託したという解釈の方が、涙雨の情景に似合うことはたしかでしょう。
冒頭の話に戻りますが、雨具をまとって歩くのは確かに少々面倒なのですけれど、雨なればこそしめやかに去来する感慨もあろうというものです。雨の日、ガクアジサイやツルアジサイの花に、生命の不思議や幕末の悲恋に思いをはせつつ深い森の中を静かに彷徨するのも悪くないと思うのです。さあ、少々の雨など気にせず、いさんで森へ出かけましょう。

