|
|
レブンアツモリソウ
クマガイソウ
まずこの属名や種名の「アツモリ」ですが、これは横笛の名手にして美男の誉れ高かった平安時代末期の青年武将、平敦盛(たいらのあつもり)にちなんでおり、前述の袋のように膨らんだ部分を、騎馬に乗じた敦盛が合戦時に後方からの弓矢よけのため背にした母衣(ほろ)という袋状の武具に見立てた名前です。一方、よく似たクマガイソウの「クマガイ」は、一ノ谷の合戦で自分の息子と同じ17歳の敦盛の首を刎ねる巡り合わせとなった源氏の武将、熊谷直実(くまがいなおざね)の同じく母衣に由来します。直実はこの悲劇ののち出家して仏門に入り、長く敦盛の菩提を弔ったとのこと。そしていま、両人は高野山奥の院で寄り添うように墓標を並べて静かに眠っています。
レブンアツモリソウの花の模式図 (礼文観光協会HP)
話を戻して、アツモリソウ属の花はイラストで見るように、袋状の大きな花弁(唇弁)の上に前後二つの穴があって、これが受粉を媒介する昆虫の出入り口になっています。しかし入れるのは実は前の大きめの穴だけで後の小さな穴は出口としてしか使えません。なぜこういう構造になっているのかというと自花受粉を防ぐためです。前から入った昆虫はまず雌しべに触れたあと、出口を探してもがきながら奥で雄しべに触れ花粉まみれになって後の穴からようやく脱出、次の花に訪れた際にその花の雌しべに触れて他花交配が果たされるわけです。こうして種内の遺伝的多様性を計ろうとしているのですね。ちなみに、アツモリソウ属の花には蜜も匂いもありません。自然界には珍しい巨大な目立つ花で昆虫を呼び、一方通行の受粉トンネルに誘い込むのがその繁殖戦略なのです。
さて、こうして受粉し結実したアツモリソウ属の種子には胚乳がありません。これはラン科植物共通の特徴でもあるのですが、アツモリソウ属を含めラン科植物の種子はまるで粉のようです。一般的な種子で植物体になるのは小さな胚の部分、種子の大部分を占める胚乳は胚が発芽するためのエネルギー貯蔵庫であり、いわば人工衛星と使い捨ての燃料ブースターのような関係です。発芽が膨大なエネルギーを要する大事業であることがわかりますが、では胚乳を持たないアツモリソウ属の種は何をエネルギー源にして発芽するのでしょうか。実はある種の菌類を呼び寄せ、その菌から栄養を奪い取って発芽するのです。
多くの植物とその根にからみつく菌(正確には「菌根菌」)とは、植物側からはデンプンなど光合成物質を菌に与え、その代わりに菌側は植物体に土壌中の水やミネラルをかき集めて供給するという相利共生の関係が成立しています。しかし、アツモリソウ属と菌との関係はこれとは違い、食うか食われるかの緊張関係によって維持されているようなのです。
まだ分かっていないことも多いのですが、例えばレブンアツモリソウの種は自らをおとりにしてハイネズという木の根に共生する菌を呼び寄せています。菌はレブンアツモリソウの種子を食べてやろうと接近し絡みつくのですが、そこで種子の側は抗菌成分を分泌して菌が強大にならないようコントロールし、「生かさず殺さず」の微妙なバランスで飼い慣らして一方的に栄養を略奪し発芽しているようなのです。ただ、この関係は微妙で、成熟したレブンアツモリソウでも、何らかの理由で抗菌成分の分泌が衰えれば力関係が逆転し、菌に圧倒されて枯れてしまいます。このような非常に特異な発芽方法のためか、レブンアツモリソウは発芽から成熟して花をつけるまでに7年を要するということです。
レブンアツモリソウの清楚で可憐な姿とは似ても似つかぬ凄まじい生存戦略に驚かされますが、アツモリソウ属を含むラン科はこの地球上で最も後に登場、ということは最も進化した生物のグループです。それが、このように複雑な生活史を選択するからにはそれなりの理由があるはずですが、ほんと、自然の世界は、知れば知るほど驚異に満ちています。山はそして自然の世界は本当に素晴らしい。遠くの景色も感動的ですが、ミクロの世界にも感動できる素材はたくさんあるのですね。


