ミズナラやコナラ、シイやカシ類など、日本の森林の主役であるブナ科の大木がいま、東北以南の全国で大量に枯れていることをご存じでしょうか。「ナラ枯れ」と呼ばれる現象で夏に発生し、枯れた大木の葉が赤褐色に変色するため早い紅葉と間違われるほど。原因はナラ菌と呼ばれるカビが樹木に侵入してこれに感染した部分の細胞が破壊され、壊れた細胞で樹木の導管(根から吸収した水などの通路)が詰まって樹体に水が行き渡らなくなるためですが、このメカニズムをつかさどる陰の主役というか狂言回しが別にいます。

 


 カシノナガキクイムシ略して「カシナガ」と呼ばれる全長5ミリ未満のこげ茶色の地味な昆虫(上図、左オス4.5㎜、右メス4.7mm)がその狂言回し。ナラ菌に移動する力はないのですが、このゴマ粒のように小さな虫がナラ菌を運び「感染」を広げ、寒冷地のブナやミズナラ、暖帯林ではカシ類やシイなどいずれも天を突くような巨木を次々に枯れ死させ、打ち倒しているのです。といった次第で、森を愛する登山者には親の仇(かたき)のように憎らしい奴なのですが、この虫の生活史には興味深いところがいくつかあります。


 ブナ科の大木の幹に縦横に掘られたトンネルで生まれ育ったカシナガは6月のある晴れた日、夜明け前に羽化して日の出から数時間の間に、光り輝く広い世界に一斉に飛び立ちます。その生涯の大半を幹の中の暗黒で過ごすカシナガは、ほんのわずかしか与えられない日の当たる世界で過ごす貴重な時間のほとんどすべてを、ただ子孫を残すため雌雄が出会い繁殖する営みにのみ費やすのです。休暇の大半を山登りなどという愚にもつかない道楽に費やして浮かれてるどこかのゴクつぶしには、なんとも健気なカシナガの爪の垢(・・があればの話ですけれど)でも煎じて呑んでもらいたいものです。

 

 カシナガの繁殖活動のスタートはまずオスたち共同の「愛の巣」探しから。オスたちは初夏の林内を飛び回り、手分けして多くの子どもを育てられる太い幹の木を探します。そして一匹がこれぞという適当な大木を見つけると、集合フェロモン(下注)を発して周囲で活動しているオスのカシナガを呼び集め、一斉にその幹の地上から1mまでの部分に集中して強力なあごで穴を掘り始めます。専門用語でこの集中攻撃を「マスアタック」というのですが、このように一本の木に多くのオスが集中するのは樹木側の反撃、例えば殺虫力のある樹液を出すなどの抵抗の威力を分散し、巣作りを確実にするためと考えられています。ある調査によれば、一本の木の幹に3000にのぼるカシナガの穿孔穴が確認されたといいます。樹木側の迎撃など間に合わない、まさに息もつかせぬ猛攻ではありませんか。(注:フェロモン=生物が他に一定の行動や変化を促すため分泌する生理活性物質)


 かくして樹木の幹に橋頭保の穴を掘ったオスたちは、翅の裏側と腹にあるギロ(ラテン音楽の楽器、ヒョウタンに入れた刻みを棒でこすって音を出す)のような波板をこすり合わせて音を出し、「用意できたよ」と呼びかけてメスたちを待ちます。一斉にラブコールするムコ3000匹を相手に品定めするメスも目移りしてさぞ大変だろうと思いますが、ともあれメスはそれぞれのオスが穿孔した穴の中に入って出来具合を評価し、その穴が気に入れば婚姻成立で交尾を許すのです。

 

 さて、面白いのはここから。図でも描かれているようにメスの背には「マイカンギア」と呼ばれる10個の穴があって、実はここにあのナラ菌の胞子が詰まっています。狭い幹のトンネルで成長する間に、周囲にたっぷりまん延しているナラ菌の胞子がメスの背中のマイカンギアに溜まってゆくのでしょう。夫婦となったカシナガは協力して樹木の外側から芯に向かってトンネルを掘り進めてゆくのですが、その過程でメスの背中が穴の壁に触れることでトンネルの壁にナラ菌の胞子が植えつけられます。やがてメスは一定程度掘り進んだ所で産卵、その卵が孵化する頃にはこのナラ菌が幼虫の餌になるのです。つまり、カシナガは自ら食料とする菌類を栽培しているのです。実はキクイムシの仲間には同様に食料を栽培するものがあり、このグループはまとめて「養菌性キクイムシ」と呼ばれています。

 

 この「養菌性キクイムシ」の驚異の生態が初めて知られたのは19世紀中頃のこと。当時これを発見した科学者はよほど驚いたのでしょう、この不思議な餌をギリシャ神話の神々が口にする不老不死の食べ物にちなみ「アンブロシア」と名付けたのでした。 ・・というような事情を知って、もう少し調べてみようと「アンブロシア」でインターネットを検索してみたら、なんと岩出市内の洋菓子屋が一発でヒットしました。数年前、ある原生林を歩いてカシナガの被害木を見た際にこのエピソードを紹介したら、女性メンバーの一人がよく知っている店だと話してくれました。そこそこ美味しい店とのことでしたので、興味のある方は同店で「神の食べ物」を賞味してみてはいかがでしょうか。

 

 さて、次に面白いのがカシナガの家族関係。昆虫のペアは通常、交尾が終われば解消しますがカシナガは終生夫婦で子育てをします。それだけでなく、どういうわけか100個ほど産んだ卵のうち1個だけが先に孵化成熟し、この長男だか長女だかがトンネル途中に置かれた卵を、新たに両親が掘り進めた奥の穴に移すなど、両親の作業をかいがいしく手伝うのです。アリやハチなど膜翅目(まくしもく)と呼ばれる昆虫のグループでは、たとえば働き蜂と女王蜂といった風に役割を分担し、群全体として社会生活を営むものが多いのですが、その他の昆虫グループでは珍しい。まして群れではなく家族単位で生活を営む例は昆虫で他にはまずなく、非常に興味深いところです。

 

 長男(または長女)以外の卵はこのように家族の手厚い保護を受けて越冬し翌春に孵化します。父母はすでに寿命を終えていますが、親たちが栽培して残したナラ菌を食料として成長、トンネル内で数度の脱皮を繰り返して6月のある晴れた朝、暗黒のトンネルをたどって羽化、父親が最初に掘った穴から初夏の光り輝く希望の世界へ一斉に羽ばたくのです。ある観察によれば、一本の木から1万頭のカシナガが羽化したといいます。

 

 とまあ、カシナガの立場から思い入れたっぷりに書いてきましたが、食い荒らされる木の側はたまったものではありません。冒頭にも書きましたようにナラ枯れの被害は深刻なのですが、カシナガは外来種ではありません。つまり昔からブナ科の老成木の一部がカシナガに食害される例はあったのですが、ほんの20年ほど前から爆発的な枯死被害が広がるようになってきたのです。どうしてこんな激甚被害となってしまったのでしょうか。

 

 主な原因は1960年代の燃料革命にあるというのが最近の定説です。かつてブナ科の樹木、ミズナラやコナラ、カシ類やシイ類は炭や薪など家庭の燃料として盛んに利用されていました。しかし60年代以降、エネルギーの主役は石油や電気に取って代わられ、里山は燃料の供給源としての価値を失います。その結果、以前は20年生程度で伐られ再生を繰り返していたこれらブナ科の樹木が放置され、それから30年ほどを経てカシナガが好む大木にそろって成長し、大発生できる環境を整えてしまったのではないかというわけです。さらに昨今の地球温暖化がブナ科の大木の抵抗力を弱め、カシナガの侵入を許す副次的な要因になっていると指摘する研究例もあります。

 

 カシナガは自然が通常の状態であれば、樹勢の衰えた老成木を倒し分解することで若い後継樹の成長を促し、全体として森林の若返りと新陳代謝を進める役割を果たしていたと考えられます。つまり、今のナラ枯れの惨状は、自分の必要から自然に手を加え、そして自分の都合で勝手に手を引いた人間に非があるのであって、カシナガを親のカタキのように攻撃するのは筋違いということかもしれません。生態系は実に複雑にして玄妙な支え合いのネットワークで成立しており、それを構成するすべての生き物に担うべき役割があって、カシナガのようによほど注意しなければ目に止まることもない小さな生命にも、人智では計り知れない価値が潜んでいるのです。

 

 幸い、ナラ枯れ被害は2010年に全国レベルでのピークを記録したあとやや沈静化する方向にあります。対策が功を奏した面もあるでしょうし、カシナガの標的となる衰弱した老成樹がほぼ枯れてしまった面もあるかもしれません。ともあれ、次に立ち枯れたブナ科の大木を見たら、その根元にカシナガが幹にトンネルを掘って排出した「フラス」と呼ばれるおが粉状の排泄物を探してみてください。そして、もしそのフラスを確認したら、その森とカシナガと人間を巡る半世紀の物語に、謙虚に思いをはせてほしいと思うのです。