登山はドクターストップとなったものの、大好きな山との縁は維持したいと考え、山麓での植物観察に明け暮れていたある春、越前の雄島を訪ねる機会がありました。同島は観光名所である東尋坊のすぐ北、橋で陸地と繋がれた周囲2kmほどの無人島で大湊神社が鎮座し、島全体が鎮守の森として守られてきたことから、見事な照葉樹の海洋性原生林が残されています。最大の見物は和歌山ではもう滅多に見ることができないタブノキの巨木林なのですが、その立派なタブを見上げながら薄暗い森を歩いていて、林床にウラシマソウが幾株も花をつけているのに気付きました。

 

 ウラシマソウの花 (花の名峰・高尾山ブログ)


 ウラシマソウはサトイモ科テンナンショウ属の多年草で、紀州の山でもよく見かける同科同属のマムシグサの花から長い付属体が伸びた姿をしています。写真がそのウラシマソウで、この湾曲して伸びる付属体を浦島太郎の釣竿や釣糸に見立てたのが名の由来です。テンナンショウ属は世界に約200種、日本で約30種あり、その生態には興味深いところが多くあります。ちなみにテンナンショウは「天南星」と書きます。この球茎を生薬とした漢方薬の名前なのですが、漢字で書くとなんだか競走馬みたいでカッコいいですね。

            
 さて、まずそのテンナンショウ属の構造からですが、葉を支える茎のように見える部分は実は葉柄(葉の付け根の柄の部分)が重なって筒状になったもので「偽茎」と呼ばれます。つまりテンナンショウ属の葉は地中から直接地上に出ていて、本当の茎は葉に囲まれた中に軸のよう存在しています。マムシグサはこの偽茎の模様がマムシの皮膚の模様に似ていることから、そう呼ばれるようになったのですね。

 

 さらに興味深いのはその繁殖システムです。テンナンショウ属の殆どの種は、発生してしばらくは雌雄無性で花も付けません。毎年少しずつ大きくなってやがて雄株になり、さらに大きくなってやっと子孫を残せる雌株に性転換するのですが、風や虫害で葉が損傷したりすると再び雄株に戻ってしまいます。これは子孫を残すこと、植物でいえば種子やそれを包む実を生産することがいかに大変な、資源とエネルギーの動員を必要とする命懸けの営みであるかを示しています。

 

 さてその花についてです。サトイモ科の花といえば連想してもらいやすいのはミズバショウ。ご存知のとおりミズバショウの花に見える白い帆のような部分は実は「仏炎苞」(ぶつえんほう)といい、つぼみを包んでいた葉が変化したもので、本当の花はその仏炎苞に囲まれた中心の黄緑色の棒状の部分にたくさんついています。このような花のつき方を肉穂(にくすい)花序といいテンナンショウ属の花も同型なのですが、ミズバショウとは異なり仏炎苞が筒状に巻いているため、中の肉穂花序はこれに隠れて外からは見えません。

 

 その隠れた花をわざわざ訪れてテンナンショウ属の花粉を媒介するのは小さなハエなどの昆虫です。昆虫たちは雄花の仏炎苞の上部から筒の内部に侵入しますが、筒の内壁はツルツルになっていて一度入ったら二度と這い上がることはできず、ズルズルと底に落ちてゆくしかない仕掛けになっています。仏炎苞の底には雄花が撒き散らした花粉が敷き詰められていて、もがけばもがくほど昆虫は全身花粉まみれになるのですが、そうした悪戦苦闘の末にようやく巻スカートのようになった筒の底の一角に隙間が空いていることを発見し、昆虫たちはその小さな隙間からかろうじて脱出することができるわけです。

 

 この花粉まみれになった昆虫が次に雌花の仏炎苞上部から内部に侵入し、肉穂花序についた雌花に触れればその時点でめでたく受粉が成立します。さて、テンナンショウ属の方はそれでハッピーエンドなのですが、問題は雌花に入り受粉に貢献した昆虫のその後の運命です。一旦入り込むと仏炎苞の筒内を上に戻ることは不可能で、下へ下へと追い込まれてゆく仕掛けは雄花と同様なのですが、雄花にあったあの巻きスカートの開口部が雌花にはありません。受粉の役割を終えた用済みの昆虫を外へ出す義理はないってことでしょうか、恩をアダで返すとはこのことで、夏の終わり頃、成熟した雌花の仏炎苞の底を覗けば、哀れな昆虫たちの死骸が確認できるはずです。ん~、生物の種類を問わずというべきか、子孫を残すために手段を選ばないメスとは、かくも恐ろしいものなのです。ともあれ、こうした植物と動物の関係を知るたび、この惑星の主役はやはり植物なのだと思わされます。

 

 受粉が成立すればやがて仏炎苞は剥落して肉穂状のままで成熟した実が露出します。落葉樹の葉が落ちた明るい秋の林床で、マムシグサの赤いトウモロコシのような実の塊を目撃した方も多いことでしょう。

 

 マムシグサの実 (軽井沢ファンクラブHP)

 

 雄島でウラシマソウを撮影しょうとしゃがんでいたら、ちょうど通りかかった若いカップルが私の背後から、「食虫植物なのですか?」と尋ねてこられました。テンナンショウ属の雌花は昆虫を捉えはしますが、ウツボカズラのようにそれを栄養源にするわけではありません。だから食虫植物というのは当たらないのですが、湿った日陰に生える異様な姿が不気味な印象を与えるせいで、このような質問が出たのでしょう。くだんのカップルには「食虫植物ではない」と説明した上で、ここに書いたような興味深い生態を手短に解説し、「別の意味で当たっているかも」と答えておきました。