こんにちは!
こじんです。
このブログでは、私の対人恐怖症からの回復の過程を綴っています。
今回は、自分の正体について自分で受け入れてしまおうというものです。
要するに、自分は変態だと認めてしまうのです。
私は変態です。
そして、あなたも変態です。
ただ言っているだけですが。
自分は変態だということを否認するより認めて受け入れてしまった方が楽になり、生きるのが楽になるのです。
自分の正体を自分で受け入れてしまうと、きっとほっとするに違いありません。
ここでいう変態は厳密な意味の定義はありません。
人と比べて変わっていると言う程度でもいいです。
でも、あえて変態であると認めるから質的な変化が起こる可能性を孕んでいるのです。
ここで、自分のちょっとしたエピソード紹介します。
もう6, 7年前の話です。
自分って、もしかしたらオタク文化との親和性があるのでは?という気づきが生まれたのです。
当時、AKB48が全盛(?)でした。
また、マンガやアニメに一番触れている時期でしたので。
ただし、オタク=変態というわけでなく、ここでのコンセプトとしては、自分の中の変態性・意外性を認めるということです。
大した話でもないのですが、その後、熱は続かず、自分って全然オタクじゃないじゃん!ということに至りました。
オタクになるというのは、本当にエネルギーが必要なことですし、好きで熱中し続けられないとなれません。
23歳の頃、脳腫瘍手術後に退院してから、そんなに元気がないころ、対象が何であっても何かに夢中になれるということは本当に生きてるってことだなあとしみじみとして思ったことがあります。
そう、変態はそんなに気軽になれるものでないのです。
なるというより、それが好きで自然と夢中になってしまうものが対象でないとなかなか変態にはなれないのかもしれません。
ただし、ここで言いたいことは変態はハードルが高いということではありません。
まず、一旦自分の中の変態性の萌芽に気づいたら、見て見ないふりをする、否定するのでなく、思い切って認めてしまうのです。
まず、実験として認めてしまってください。
認めた上で、自分がどこまで変態なのか、おのずとわかってくるのです。
先の自分はオタクなのでは?の話では一旦認めた上で、経過を見ると全然オタクじゃないじゃないという結果になりました。
それでいいのです。
変態だと認めた上で、蓋を開けたら、変態バロメータが100の内、0-10で全然ふつうだったということも大いにあるのです。
まず変態だと認められないで、ずっと否認し続けると、ずっと心の中で引っかかった状態となりもやもやするのです。
そのもやもやが複数溜まってくると、自分という人間がわからなくなってくる元となってしまうのでしょうか。(推測)
というよりも、変態性に気付くたびにそれを認めたほうが、バロメータが80-100の本物の変態性との出会いがあるかもしれないのです。
変態性はその人らしさを表すものだと思うのです。
そこに「好き」やエネルギー、もしくは才能がないと変態になれないと思うのです。
私は、オタクなのかと思いましたが、残念ながらそこにそんなに情熱がなかったのです。
その分野では変態というにはほど遠すぎました。
でも、それ以外の分野で自分の変態性を自覚している部分があるので、それでいいのです。
大事なのは、外れていてもいいから、自分の中の下変態性の萌芽に敏感になり気づいていくことどと思います。
対人恐怖症の方の中には、以上のような変態性を持っている方も多いのでははないかと勝手に思っています。
ぜひ、自分の内面をじっくりと眺めて、自分を再発見してください。
今回はここまでします。
ちなみに、エッチ(性に関する言動が露骨なさま)という言葉は変態のローマ字綴りhentaiの頭文字が由来だそうです。(広辞苑より)
それでは。
ありがとうございました!