【100分DE名著】
ブッダ『真理のことば』②
うらみから離れる
解説:佐々木 閑(しずか)さん(仏教学者•花園大学教授)
うらみから離れる
ブッダの親族であるシャカ族とコーリヤ族が互いを滅ぼしかねない激しい争いを繰り広げていました。
そこへブッダが現れ尋ねます。
「これは何の争いですか?」
将軍も副将軍も答えられませんでした。ようやく奴隷に問いただして、“水の利権争い”だとわかったのです。
- 仏陀「大王、水にどれほどの価値があるか」
- 大王「わずかです」
- 仏陀「部族にどれほどの価値があるか」
- 大王「はかりしれません」
- 仏陀「わずかな水のためにはかりしれない部族を滅ぼすことはふさわしくありません」
この言葉を聞き、シャカ族ととコーリヤ族の争いは鎮まっていったのです。
- 最初は小さな原因であったのに、それが次第に増幅されていって、最後には何の為に闘っているのかもわからなくなってしまう。これこそ我々が自分自身で生み出す苦しみの代表的な例である。
うらみを抱く人たちの中で
私はうらみを抱くことなく
安楽に生きよう
うらみを抱く人たちの中で
うらみを抱くことなく
暮らしていこう
(真理のことば 197)
- 人間は誰でも煩悩を持っているが、その中で「うらみ」などの煩悩を起こさない状況に自分の環境を整えていくことが大事。
サンフランシスコ講和会議(1951)
第2次世界大戦後、日本と世界の国々との間で平和条約を結ぶために行われた会議。領土や賠償に関して、日本に厳しい条件を提示する国も少なくありませんでした。
こうした中、セイロン(現在のスリランカ)の代表として出席したジャヤワルデネは、印象的な演説をします。ジャヤワルデネは、戦争中に受けた日本軍による空襲などの被害を指摘したうえで、こう語りました。
「わが国は日本に対して賠償を求めようとは思いません。
なぜなら我々はブッダの言葉を信じているからです。」
この世では
うらみがうらみによって
鎮まるということは
絶対にあり得ない
うらみは、うらみを
捨てる事によって鎮まる
これは永遠の真理である
(真理のことば 5)
人間なら誰でも持っている、うらみや執着などの煩悩。
それらの煩悩の大元は「無明(むみょう)」である。
無明(むみょう)とは?
たとえば
物惜しみは恵む者の汚れ
悪行は、過去•現在•未来の
いかなる生まれにおいても
汚れである
その汚れよりも
一層汚れた汚れの極み
それが無明(むみょう)だ
比丘(びく)たちよ
その無明という
汚れを捨て去って
汚れのない者となれ
(真理のことば 242-243)
- 比丘(びく)=僧侶
- 明(みょう)=智慧
- 無明(むみょう)=自分勝手に解釈して、この世のありさまを正しく見ることができないこと
- 例えば、ささいなケンカをした時に本来はそうでない事を勝手に考え決めつけてしまい自分自身が苦しみを生み出す=無明(むみょう)
無明を解決する手がかり
愚かな者が
自分を愚かであると自覚するなら
彼はそのことによって賢者となる
愚かな者が
自分を賢いと考えるなら
そういう者こそが
愚か者と言われる
(真理のことば 63)
- 人間は誰でも煩悩や無明を持っている
- 「愚かさ」に気づくことが大事
- ブッダ自身も悩み苦しみ間違いをおかしながら最終的に悟りを開いた
ブッダはどのようにして悟りを開いたのか
元々シャカ族の王子ゴータマ•シッダールタだったブッダ。ブッダはどのようにして悟りを開いたのでしょうか。それは修行の過程である間違いに気づいたことがきっかけでした。
インド北部にある前正覚山(ぜんしょうがくさん)。出家した後、シッダールタはこの山で6年間、断食をはじめさまざまな苦行を行ったと云われています。腹の皮は背中に接するほどにまでなり、時には生死の境をさまようこともあったと云います。
しかし煩悩は消えませんでした。どんなに過酷な苦行をしても、悟りを得ることはできない。間違いに気づいたシッダールタは苦行を放棄し、山を下ります。
衰弱していたシッダールタは、村娘スジャータから乳粥の供養を受け健康を取り戻します。その後菩提樹の下で、苦行から瞑想の修行へと切り替え悟りを開き、目覚めた人”ブッダ“となったのです。
- 体を痛めつけても煩悩は消えない
- 心を鍛錬することが必要である
「うらみ」から離れるには?
- 自分が中心だという考えを捨てる
- 客観的に物事を正しく見る訓練
- ブッダの教えは一歩一歩
- 毎日少しずつ自分の心をトレーニングする




