ブログやTwttierでは書ききれない事がたくさんある。
これらは、宣伝要素がどうしても強くなる傾向がある。
曲にしても、ライブにしても、しゃべるということにしても、
もっと突っ込んだ話が書きたいという事で
『小島嵩弘パウダールーム』という有料メルマガを始めました。
パウダールームとは、『女性用化粧室』いう意味であるが、
ここでの意味は、小島嵩弘本人の誰にも見せたくない心の一辺を、
鏡に写った等身大の心模様を、垣問見せていく部屋とする。
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2019.6/5
童門冬二(どうもんふゆじ)さんの小説『上杉鷹山(ようざん)』の上下巻をやっと読み終えた。
2ヶ月はかかったかもな。
恥ずかしながら上杉鷹山がかつて治憲(はるのり)という名だったという事もこの小説で初めて知った。
上杉鷹山という名前は知っていた。
認識としては大困窮した米沢藩を立て直し、さらに天明の大飢饉なんかも乗り切った人、くらいだった。
ピンチに強いイメージの上杉鷹山という人には元々興味があった。
身分制度の厳しい時代に、藩士や庶民をまとめ上げ改革を成し遂げた人。
有名な言葉に、「なせば成る。なさねば成らぬ何事も。成らぬは人の成さぬなりけり」と言ったという。
これは母欣子がガキの頃、「なせば成るんだよ!」ってよく言っていたから何となく知っていた。
ちょっと想像すれば鷹山が生きていた頃の困窮は食べ物が豊富ってわけではなかっただろうから、
きっとハンパではなかっただろうし、今とは全然違っただろうと思う。
しかも米沢藩(現在の山形県置賜地方あたりらしい)の冬は厳しいだろう。
そんな中で改革を成し遂げ、民衆や藩士を愛したというんだから。
この時代にそんな考え方ができて、それを民衆や部下が知った時には、
ある意味の「変わり者」と映っただろうと思う。
だって藩主なら踏ん反り返っていったって誰も何も言わない時代だし、
すぐにそんな考え方を実践し始めるって超人だと思う。
オレが藩主だったらなかなか身分の壁など、取っ払えないのではないかと思う。
それなのに彼はさらにそんな時代の中で「民衆を富ませる」という『改革』を成し遂げたのだ。
単純に関心してしまう。
で、何となく気になっていたので、何年か前に米沢へ出かけて米沢藩上杉家の祖、
上杉謙信公を祀っている上杉神社へ行ったこともあった。
歴史的認識も何もなく出かけたので、ただ行っただけになったのが今となっては悔やまれる。
やっぱりある程度の勉強をして行った方が感動の深みが違った。
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