同級生の岩田さんの日記(抜粋)である。(了解済)(当時18歳。自分は16歳。烏城高校1年)
当時の社会状況・生活状況・物価・昼の職場やそこでの仕事・夜の学校生活などが具体的に伝わってくる。
自分の不確かな記憶より、正確な事実が記述されているので、お願いして活用させてもらうことにした。
1955年(昭和30年)
1月2日(土)
昨日来たよっちゃんらで朝は賑やかだった。9時ごろ起床。10時50分発のバスで岡山へ。S君らと行き、大福座で「ゴジラ」等を見た。ものすごい人であった。帰りの5時50分発のバスは、S君の車掌であった。
1月4日(火)
今日も10時過ぎまで朝寝坊してしまった。11時頃よりSさん宅でトランプやカルタなどして、2時頃まで遊んだ。
今日は松映で「君の名は」大会があるのだが、どうしよう。
午後3時過ぎ松映館へ「君の名は」を見に行った。延々6時間、9時過ぎに帰った。まあ近頃にしてはいい映画であった。
1月6日(木)
仕事も今頃はひまだ。相変わらず社長さんも仕事に出ておられる。帰りにT君と総映に映画を見に行くことにした。T君宅へ行く途中、東中の旧友TTさんに会った。両方とも会釈しただけであるが、やはり懐かしいものだ。
映画より帰ったら10時過ぎだった。近頃はよく映画に行く。今晩、今年になって初めての風呂へ入った。
◎当時の娯楽の主体は「映画」だった。自分も3本立て55円の映画館によく行った。「ゴジラ」や「君の名は」が、この頃だったということを再認識した。(地方ということで、少し遅れては居たが)
(「君の名は」は、佐田啓二・岸恵子共演のものである。)
風呂は、当時、薪で沸かしていた。ガスや電気で簡単に沸く現在に比べて、そんなに頻繁には沸かさなかった。(特に冬場は)
自分の子供の頃は、家に風呂が無く、親戚や近所でもらい風呂をしていた。
もらい風呂は、楽しかった。親戚の本家(父の兄・父の父=おじいさん)に行っても、山口のバアバア(父の姉)方に行っても、「フミよ」「フミよ」と言って、姉と共に可愛がってくれる。近所の山田さん、難波さん、上の森さんにしてもそうだった。そのコミュニケーションが楽しかった。
父がおんぶしてくれて、虫明湾の海沿いの道を夕方行ったときなどは、海中の夜光虫が、キラキラ、まことに綺麗だった。(その頃は電気の光も少なく、暗闇の度合いが強かったから、綺麗さの度合いも大きかった。)暖かい父の背中と夜光虫のキラキラを、今でも思い出すことがある。
だからどうした。それがどうした。