『ロバート・ジョンソンより前にブルース・ギターを物にした9人のギタリスト』という素晴らしい名著があることに気づいたのですが、タイトルからして不満!

 ロバート・ジョンソン、なんも関係ない。英語の原題『Early Blues: The First Stars of Blues Guitar』も見てもまったく関係ない。

 カントリー・ブルースの本なんて、日本だとロバート・ジョンソンの名前がついてなきゃ売れない、という悲しい意図が見えてしまいますね。

 とはいえカントリー・ブルースそのものがマイナー。アメリカだろうがどこだろうがマイナーですね。

 原題を和訳すると『初期のブルース ブルース・ギターの最初のスターたち』ですか、ブルースの録音が始まった1920年代前半から売れたギタリスト、ブルースのミュージシャンが紹介されています。

 

  • シルヴェスター・ウィーバー Sylvester Weaver
 ブルース・ギターを最初に録音した(1923年)。インストで端正な演奏という感じ。スライドギター。運転手の職についてからギターをやめる。
 
  • パパ・チャーリー・ブラウン Papa Charlie Jackson
 ギター・バンジョーで弾き語る。初期のブルースで商業的成功を収めた先駆者的存在らしいです。ホーカムと呼ばれるブルース(下ネタのひょうきんな歌詞と踊れる音楽の融合)の流行のきっかけになった
 
  • ブラインド・レモン・ジェファーソン Blind Lemon Jefferson

 盲目のブルース・ミュージシャンで当時めちゃくちゃ売れた人。投げ銭で1セントが入ると放り投げたり(盲目なので音で安いコインを聞きわけた)、妻へのDVがあったり、柄が悪い。

 同業者からの音楽の評価が高い。レッド・ベリーとの交友関係もあった。カントリー・ブルースを代表するミュージシャン

 成功者で裕福だったようだが、謎の死を遂げる。(1930年)

 

  • ブラインド・ブレイク Blind Blake
 盲目のギタリスト。音楽の才能が高く、ラグタイム風のテクニカルでテンポの早い演奏をした。ギターの名手のタンパ・レッドやロニー・ジョンソンもついていくのが大変そうだったとか。
 酒癖が悪かったり、かなりな女性蔑視の歌詞で歌ったり、柄が悪い。亡くなる原因もアル中で体調を崩していたのが大きい。
 
  • ブラインド・ウィリー・マクテル Blind Willie McTell
 イメージとして純粋なギター少年という感じ。12弦ギターの弾き語りで、声も少年のよう。彼も音楽的才能にあふれていて多くの優れた音源を残しています。しかしあまり売れなかったらしいですね。ホーカムをやらなかったから? とはいえ世界恐慌発生後も録音できているので、腕は認められていたんではないでしょうか。
 妻が亡くなったあと、彼も衰弱して短期間でなくなってしまいました(1959年没)。盲目で妻との絆が強く、心身ともに支えだったのでしょう。
 
  • ブラインド・ウィリー・ジョンソン "Blind" Willie Johnson
 スライドギターの名手。盲目になった理由が怖い。
 ギター・エヴァンジェリストと名乗るゴスペル系のミュージシャンで、レコードの売り上げもトップクラスに良かったのですが、大恐慌で売り上げが激減。
 1977年のボイジャー計画で彼の曲『 Dark Was the Night, Cold Was the Ground 』がゴールデンレコードに収録(まじで宇宙人に向けたメッセージとして探査機に搭載された)。最高のスライド・ギターが録音された素晴らしい曲。
 
  • ロニー・ジョンソン  Lonnie Johnson
 この本は彼のために書かれたのではないでしょうか。ページ数が圧倒的に多い。
 とにかくロニー・ジョンソンはギターの天才で、さまざまなテクニックを最初に始め、広めました。例えばチョーキングはBBキングが始めたという話がときどきされますが、実はロニー・ジョンソンの影響。
 1927年にはルイ・アームストロングと共演・録音、1928年にはジャズ・ギターの創始者だとされるエディ・ラングと共演・録音ともう腕の確かさでは文句のつけようがないですね。チャーリー・クリスチャンより10年以上早い。
 大恐慌で下り坂になりますが、腕があるのでスタジオ・ミュージシャン的な仕事も含め乗り切ります。しかし演奏技術の高さでは大衆受けしないんですね。フェードアウト。
 1960年ごろからのブルースブームでも、こてこてのブルースではない、夭折したわけでない、というのであまり人気にはならず。技術や功績に見合う評価をいまだに受けてないのでは。ミュージシャンからの評価は抜群ですが。
 
  • ミシシッピ・ジョン・ハート Mississippi John Smith Hurt
 たまたま35歳のころ、1928年に録音の機会を得たのですが、当時はさして話題にならず。
 1960年ごろからのブルース・ブームで再発見、1963年(本人は70歳!)からの三年間が最盛期。
 カントリー風の穏やかな音楽、人柄のよさで人気に。
 しかしビジネス的ないさかいに嫌気がさし、引退。
 
  • タンパ・レッド Tampa Red
 ギターの魔術師とよばれた、スライドギターの名手。
 1928年にジョージア・トムと組んだ『It's Tight Like That』が大ヒットするも、1929年の大恐慌からのブルース・ブームの終焉で相棒とコンビ解消。
 都会的で華やかな作風。泥くさいブルースを洗練させ、大衆受けする音楽にした。当時のスター。