「ここはどこだろう。」

 

乾いた土の上に、

俺は横たわっていた。

暖かい日差しが、凍えた身体を温めてくれている。

そばには母さんがたたずんで、心配そうにのぞき込んでいた。

 

おや?

 

俺は、ふと、違和感を覚えた。

なぜ、母さんだと分かったのだろう?

名前は?

・ ・ ・ 、 ・ ・ ・ 分からない。

でも、ここに居るのが母親だと、心は告げている。

でも、こんなに顔が赤かったかなあ。

 

頭がぼぅっとしている。

 

いやいやいや、違和感はそんなことじゃ無かった。

母さん、丸裸じゃないか。

気が付くと、自分も裸だし。

ど、どうなってるんだ。

まさか、こんなことはあり得ないぞ。

 

 

 

「博士、どうも、アーサーの様子がおかしいです。

 やっぱり、この実験は飛躍が過ぎたんじゃないですか。」

 

秘書の視線の先には、

怯えたようにうずくまっている猿がいた。

昨日まで、町の動物園で飼われていた親子猿の子供だ。

ここに来て精神感応用のヘッドギアを付け、檻に戻したのだが、

母猿が抱えようとするのを必死に拒んでいる。

 

「うーん、勇者の記憶が転送されたかな?」

 

ヘッドギアはコンピューターとつながれている。

中世アーサー王の3Dゲームを

昨日、コンプリートしたばかりだった。

あのデータはどこに保存されているのか、未確認だった。

 

「システムが、自我を獲得していたのかもしれませんね。

 経験値を積ませすぎると、自分勝手な行動を起こすことは、

 人工知能工学では定説になっています。

 所詮、アワアワした蛭子(ひるこ)みたいなものですけど。」

 

それを黙って聞いていた博士がセクレタリースイッチを切ると、

助手の声と姿が消えた。

 

「それはお前のことかな?

 ちょっと知識が増えると、すぐに生意気な口をきくなあ。

 もう少し従順なAI秘書は作れないのかねぇ。」

 

博士は人工知能プロジェクト宛の改善点をレポートにまとめると、

天に指を突き出し、腕を2回転させた。

すると、書類は雲散霧消し、クライアントに転送された。

 

「エア転送ボタンか。

面白い時代になったもんじゃのお。」

 

その言葉が終わるやいなや、

博士の居る空間そのものがフリーズした。

まるで、コンピューターゲームをリセットする時のように・・・

 

 

書斎にて

 

ふむ。なんかしっくりこないな。

こんなのありきたりの展開だし、落ちが落ちてないし、

ショートショート小説としちゃあ、

落第だな。

どのパラメータを変えればいいかなあ。

 

作者はパソコンのキーを打つ手を止めると、

一人、頭をかきむしっていた。

 

 

後書き

 

さて、

この文字を読み終えたとき、

次にリセットされるのは、

 

あなたかも・、しれない ・ よ ・

 

 

 

 

ホントの後書き

これはホントのほんとの後書きです。

もう、絶対、たぶん、どんでん返しの繰り込みはしません。www

 

最近、突然睡眠に落ちる時がありましてねぇ。

眠いなぁ、と思って座り、両腕を組んで、

ふっと目を閉じた瞬間に落ちてる。

あまりに急に落ちるから、目が覚めた時自分がどこで何をしていたのか、

すぐには思い出せなくて、ほんの0.2秒くらい、ドキッとするのね。

5年前は、

やべぇ、職場に遅刻する?、いや、会議か?

と、仕事の途中じゃないかと焦ってたんですが、

最近は、

うわ、このまま落ちたら死んでたもしれない

と、別の恐怖を味わっております。

 

ここは、とある病院。

病院と言っても看板も出ていないし、

こんな辺鄙(へんぴ)な島の港町に病院があるなんて

誰も想像できないだろう。

それなのに、対岸から船に乗って、

患者はボチボチやってくる。

 

「どうしましたかな?」

どうかしたから病院に来る訳だが、

髭の院長は、挨拶代わりに聞くことにしている。

医者に髭は似合わないと彼は思うのだが、

髭があると、ここに来る患者はなんとなく安心するらしい。

 

「先生、どうも体調が悪くてねぇ。

だるくて仕方ないんです。

何もやる気が起きない。

でも、検査をしてもどこも悪くないって言われてまして。」

「痛いとか、苦しいとかは無いですか?」

「はい。」

院長は聴診器を胸にあて、目や口の中も一通り観察する。

特に異常はないようだ。

「精神科とかは行かれたんですか?」

「はい。精神安定剤だか何かもらいましたが、

でも、やっぱり原因が分からなくて」

「ご自身で何か悩みとか、

家庭内や人間関係で困ったこととか無いですか?」

「いえ、別に」

「では、特段の心当たりは無くて、原因不明の体調不良ということでいいですかね?」

「はい、あえて言えば、生きる活力というか、

そういう気概が欠けているとは思うんですが。」

「なるほど。

それなら、うちの処方箋が効くかもしれませんね。」

患者はちょっと嬉しそうな顔をする。

院長が机の上にある端末をいじくると、プリンタから印刷された紙が出てきた。

「これに書いてあるとおりに実行して下さい。

すぐによくなると思いますよ。」

患者は大事そうにカバンにしまい込むと、軽い足取りで帰っていった。

 

「今回は何を処方したのですか?」

イスや器具を片付けながら、黙って見ていた看護師が院長に聞く。

「うん、彼はまだ元気そうだったからね、

町の美化作業局で仕事をしてもらうことにしたよ。」

「じゃ、あれは、」

「そう、履歴書とエントリーシート(申込書)だよ。」

「前の人は結婚斡旋所、その前はスポーツクラブの入会届でしたよね。」

「今日はバラエティだけどね、この機械の診断は確かだよ。」

機械の正式名称は「人生活力提案システム」、通称DSSという。

医療費削減のために、国が開発した代物である。

 

「意欲を持つって大切なんですね。」

「病は気から、気力は生きる力だからね。

目標を持つことが大切なんだろうね。」

「でも、そしたら患者さんが来なくなっちゃうじゃないですか?」

「大丈夫さ。僕は医者だから、患者が全然来ないのが理想なんだよ。」

「素晴らしいですね。」

そんなにうまくいく訳でもないんだが、と院長は思った。

医療技術が進んだだけ、寿命は延びた。

その分、病気にかかる機会が増えたし、

身体より前に精神が疲れてしまう人も増えた。

そこでDSSが作られたのだが、医師会の反対でお蔵入りした。

患者の減少は、医者の死活問題だからだ。

開発に絡んでいた彼は、密かにここを開いた。

 

医院の名前は「ドゥム スピーロ スペーロ」

ラテン語で「生きてる間は希望を持つ」という意味だ。

 

ここは、とある山奥の村。

一人の老婆が、若い娘を前にして、話をしている。

明日は、この娘の嫁入りなのだ。

「いいかい、お前。

 結婚というのは子どもを残すためなのだ。

 子種をもらう術(すべ)はさっきの通りじゃが、
 子どもができたら、もう旦那はいらない。」
「殺しちゃうんですか?」
「ワシの曾婆さんの頃はの、
 寝入った隙(すき)に鉈(なた)で首をかっ切ったそうじゃ。
 寝首をかくと言うんじゃが、
 現代はそんな野蛮をすると、世間が黙っちゃいない。」
「では、殺さないのですね。」
「うむ。
 じゃが、無駄に長生きされても面倒を見させられるだけじゃからの。
 いい塩梅に死んでもらいたいのよ。」
「やっぱり殺すのですね?」
「人生を楽しんでもらってからの。
 これが、その秘密の葉っぱじゃ。
 これはの、丸めて火をつけて煙を吸うんじゃ。」
「なぜ、そんなことを。」
「意味はない。
 意味はないが、男はこれが癖になる。
 ま、これで早ければ子供が生まれた頃、
 大抵は、働き盛りを過ぎた頃に、
 弱って死んじまう。」
「でも、警戒されるんじゃないですか?」
「それがこの葉っぱの凄いところよ。
 たとえ早死にすると分かっても、やめられないように出来とる。」
「恐ろしい葉っぱですね。」
「それから、これが馬のように働くという麦粉、

 こっちがキビを煮詰めた甘薬。」
「これも毒なのですか?」
「いやいや、これは実に旨い。
 粉に薬を1割くらい混ぜて、たき火にかざして焼くだけ。
 実に簡単じゃろ。
 ほら、食べてみんしゃい。」
「え、凄く美味しい。
 いくらでも食べられちゃいます。
 これで死ぬんですか。」
「そう、毎日たらふく食わしてやるといい。

 食った分だけは、働してもらう。
 そのうちに、お父のように、腹がたっぽんたっぽんになる。
 あれくらいになるとの、ある日コロっと死んじまう。
 ちょっと苦しいみたいじゃが、
 長患いするより、よっぽど有り難いってな、
 近所では言ってくれることになっとる。
 代わりに、魚とか野菜とかは食べないからの、
 ワシらは長生きするという訳じゃ。」
「戦略なんですね。」
「それから、これが塩という調味薬での、
 これがまた年寄りにはきくんじゃ・・・」

 

秘薬の説明は、延々と続くのであった。

 

「おい、我が息子よ、
明日の準備はできたか?」
「はい。
 私もいよいよ竈(かまど)持ちになれるかと思うと、
 感激しています。」
「うむ。
 さて、今夜はお前に
 我がヤマト家に伝わる家訓を伝授する。」
「そんな物があったんですか?」
「もちろんだ。
 家を守り継ぐのは男の使命だからな。」
「はい。
 で、その家訓とは?」
「うむ。
 と言っても実にシンプルじゃ。
 ワシもこれで十分に責任は果たせたからの。」
「はい。
 で、その内容とは。」
「ははは、
 老いては子に従え、じゃ。」
「嫁じゃないんですか?」
「家訓に理由はない。
 長生きしたければ、子につけと、
 婆様から教わったんじゃ。
 じゃからの、歳を取ったら
 よろしくな。」
親父様は、息子の背中をぽんぽんと叩くのであった。

 

 

竈持ち

「アイヌの人は、結婚して独り立ちをすることをこう言う」と、アイヌ部落に嫁に行った友人が言ってました。いい言葉だなぁ、って思いました。

 

 

昨日は久しぶりに家族サービス、

ということで、少し早起きをして

車で1時間ほどの場所にあるイチゴ狩りにやってきました。

 

9時くらいに、ナビで目標にしていた農園に着いたのですが、

人影が無い。

???で、電話してみたら、

なんと今日はやってないという。

 

仕方なく隣の農園に電話すると、ここもだめ。

埼玉で芦ヶ久保と言えば、そこそこイチゴ狩りをなど

フルーツの観光農園が有名なんですが、

案内する観光センターに電話しても、

やっているところが見つけられない始末。

2月って、イチゴ狩りはそこそこオンシーズンだと思うんだけど、

端境期でイチゴが少ないとか言い訳してました。

 

仕方なく、電話でやっているところを探して、

10キロほど離れた横瀬町のイチゴ園に移動します。

駐車場にはすでに4台ほど車が停まっています。

開園が10時なんです。

 

10分ほど待機して、いよいよハウスに入ります。

 

 

あっという間に40人ほどが入ってきました。

イチゴはとちおとめに紅ほっぺなど。

群馬県渋川市のイチゴ園にはよく行ってたのですが、

ここのは粒が大きいです。

 

しかも、甘い。

紅ほっぺが一番美味しかったかな。

一口で食べられないイチゴを食べたのは、

久しぶりです。

40-50個くらい食べたかな。

 

入園料は\1700と、かなり高いのですが、

品質には大満足でした。

 

ただ、やはり超大きいのはすぐ無くなってしまうし、

1日に開放できるイチゴが少ないらしくて、

10時30分には、入場終了でした。

自分たちが食べてるとなりで、

「今日はもう赤いのが無くなってしまって、終わりなんです」と

説明されて帰って行く家族連れは、ちょっと可哀想でした。

団体客が来ることもあるので、

事前にその園の予定をよく調べるのと、

開園ダッシュで入場するのが、イチゴ狩りの大原則ですね。

 

イチゴはすぐお腹いっぱいになるんだけど、

水分が多いので、すぐお腹が減ります。

 

回転寿司で再びお腹を一杯にして、帰りましたとさ。

 

「これはこれは、お久しぶりですね。

  元気そうで何よりです。」

 

医者はそう言って、男爵にイスを勧めた。
穏やかな表情だが、いぶかしげな、不審そうな気配が読み取れる。
いや、男爵がそう思うに違いないとふんでいたから、
そう見えたのかもしれない。

 

「ええ、ありがとうございます。
  おかげさまで症状も治まり、
  日課の散歩だけは楽めるようになりました。」
「そうですが、それは素晴らしい。」


医者は満面の作り笑いをしながら、
脈を取り、聴診器をあてた。
本人が言うように、これといって異常は無いようだ。
まさか1年前に余命1ヶ月と言われた患者だとは、
とうてい信じられない。


「いや、もう本当に先生のおかげです。
  今日は、そのお礼に参りました。」


差し出されたのは、
舶来のお酒に上物の生地、そして金色に輝く延べ棒だ。


「表に乗ってきた馬車は、このまま置いていきます。
  先生がお出かけの時にお使い下さい。」


医者は慌てて、その贈り物は断った。
もらうだけならいいかもしれないが、
馬車を置くスペースも維持費もまかなえないと思ったのだ。


「それは失礼致しました。
それでは、別の物を後日お届け致しましょう。」
「それで、
  何か他に気になることでもあるのですかな?」


こんなに元気なのだから何もないに決まっている。
そうは思ったが、職業柄、決まり文句のように尋ねてみる。


「はあ、じつはちょっとご相談がありまして・・・。」
「おや、それはまた何でしょうな。」
「1年前に、先生には貴重なご意見をいただきまして、
  一心に治療に専念していたのですが・・・、」
「はあはあ、そうでしたな。」
「でも、余命を考えるとどうしても不安でして・・・、」
「うんうん、よくあることです。」
「で、方々の知り合いや仕事のツテをたよりに
  治療法やら薬やらがないかと、探し回ったのです。」
「ほうほう」
「それで、可能性があるからには試さないと気がすまない質でして、
  やってみたんですよ、全部。」
「なるほど。
  で、こんなにも元気になったですね。
  医者の私も教えてもらいたいくらいだ。」
「それが、分からないんですよ。」
「わからない?」
「はい。
  集めた民間療法は27種類で、
  毎日8時間ほどかけて治療してます。
  薬草やら漢方薬が106種類で、
  3食ごとにほぼ300グラム、
  プラス、食間にも550グラム飲んでるんです。」
「あらぁ、よくそれで何ともないですね。」
「そうなんです。
  おかげで病気は良くなったんですが、
  何が効いたのかが分からない。
  だから、どれもやめられないのです。
  これでは普通の生活ができません。
  先生、どれを止めたらいいか、教えて下さい。」


男爵は、その薬の見本と民間療法が書かれた説明書の束を差し出した。
厚い。
これを読むだけでも大変な作業だ。
医者はパラパラとめくって流し読みをした後、
ちょっと考え込んで、こう口を切った。


「まあ、そのまま頑張りましょうよ。
  もしかしたら、絶妙な組み合わせがあって、
  どれを欠いても健康を維持できなくなる可能性がありますしね。」
「そんな」
「ちゃんと動いている物は現状維持。
  それが一番の健康方法なんですよ。」


医者は、いつだったか奥地の原住民の長老の言っていた民間療法を
男爵のノートに書き加えたのだった。

 

番外編  「そうだ、高野山に行こう!!!」

 

9月に一応の結願を達成したものの、高野山に行かなければ終わらないと知って、これは年内に行かねばならないと、その声が命題のように日々心に響いていました。こういうところがA型のこだわりというか、完璧主義なんでしょうかね。心臓の血管が詰まったりするのはストレスも関係しているらしいですが、ならば尚更のこと、行った方がいい。
せわしい年末になる前にということで、仕事の空いていた12月3日(土)に決定した。4日でもよかったが、当日の成り行きで宿泊もありという算段だ。ナビしてみると、埼玉の自宅から和歌山の高野山まで、約580km。四国とそう変わらないけれど、同じ本州ということもあり、なんか近い感じがしてしまう。

 

 ▲再びの同行二人

 

 その安心感から、心臓にも負担をかけないように徹夜運転は避けるために、1度寝て早起きし、朝の3時に出発した。和歌山まで車で行くのは初めて走る道なので、家を出てすぐに高速に乗り、8時過ぎには名古屋の先の、EXPASA御在所というサービスエリアに着いた。朝の渋滞時間なのか、この先が少し込んでいたようなので1時間ほど仮眠して、再出発。前回は京都方面に分岐した亀山JCTは直進し、一昨年伊勢神宮に向かった亀山ICで分岐して大阪方面に向かう(予定だった)。

▲朝の伊勢湾岸道路

 

 出かける前にパソコンで経路検索をしていて、どうもここから先は一般国道らしいことは確認していたので、「←国道」の看板に従って高速から出たのだが、これは失敗で道を間違えた。この先は、国道25号線(名阪国道)だが、普通の国道とちょっと違う。ほとんど信号も交差点もない作りで、基本的な構造は高速道路とほぼ変わらない。そのため高速道路と直結していたのである。下道に降りてしまったので、妙な田舎道を細々と右往左往して、次の関ICに向かう羽目になった。が、コレはむしろ運が良かった。というのも、ガソリンが残り少ないところで、下道のスタンドに巡り会うことができたのである。しかも、店員さんが親切で、無料の会員カードを出してくれて、安く給油することができた。帰りもここで補充することにしよう。

ほぼ高速の名阪国道は、一部で70kmの区間もあるが、一般道なので最高速度は60kmである。そうはいっても、高速道路からそのまま走ってきているので、ドライバーのスピード感も鈍っている。当然のようにスピード超過の車がほとんどであり、事故率が高いので有名なのだと、後で知った。


 かつて壬申の乱の時に高野山から大海人皇子が名古屋方面に逃避した経路でもあり、昔から使われてきた重要なルートではある。だが、側道とかICとか様々な仕様が不足しているので、有料化はできない中途半端な道なのだとか。一説には、この先の天理教の総本山に行き易くするために信徒だった当時の大臣が無料化したなどとも噂されているらしい。罰金で維持費を回収するためではないだろうが、しっかり覆面パトカーが取り締まりをしている。しかも、1台取り締まっている数km先でまた別の覆面が捕まえていたりして、なかなか罰金の取れ高が高いエリアのようだ。こういう場合は全体の流れに乗って走ることにする。

 

 無料高速道の恩恵で高野山まであと100kmを切ったが、時刻は11時を過ぎていた。ナビの指示で針ICから宇陀市、桜井市、橿原市と進んだ。これはこれで古道めぐりのようで楽しい。桜井市の手前から奈良盆地の上に霞がかかっているのが見えた。場所は違うかもだが、ヤマトタケルの和歌、「大和(やまと)は 国(くに)の真秀(まほ)ろば 畳(たた)なづく 青垣(あをかき) 山籠(やまご)もれる 大和(やまと)し美(うるは)し」を思い浮かべる。

 

       ▲良い感じの棚田が広がる     奈良盆地上空に霞がかかる

 

 だが、細い区間もある山の中の道なので、もう一度行くなら名阪道をそのまま走った方が早いだろう。ナビが到着予定時刻を午後1時過ぎを示していて、ちょっと焦り始める。いつものように全然下調べがなってないのだが、今年の目標としていた西国33ヶ所観音霊場の第8番長谷寺のそばを通り、橿原考古学研究所附属博物館の看板を見つけ、こんなことならもう少し早く出かけた方が良かったかねぃ?、などと後悔しながら走る。


 それはともかく、そろそろお昼ご飯の時間だ。テレビで「おいしい名物がない」と喧伝されている奈良県だが、そう言えば心惹かれる看板が見つけられない。今さらいちいち調べるのも手間だし時間もなさそうなので、通りすがりの牛丼(なか卯)で済ませる。なんか寂しい。
お腹の給油を済ませると、いよいよ高野山を目指したのだが、ルート検索にはちょっと失敗したようだ。毎度のことながら古いナビの地図データで距離優先で検索したために、橿原市から五條市へ抜ける道は、細い旧道を走らされる。昔の風情を感じることもできたが、ほんとに田舎の実家のそばの生活道という道幅のところもあって、どう考えても選択ミスだった。


 ▲奈良の昼飯


                  ▲完璧なタイミングで撮影できた 県道120号線と和歌山線                                    

 

  橋本市のあたりで紀の川を渡り、NHKの大河ドラマで注目を浴びているはずの九度山エリアに入るが、ちらほら旗が並んでいる程度で、あまり賑やかな感じはしなかったなぁ。時間があれば博物館とか行きたかったんだが、とにかく高野山に行かなければならない。ここら辺は柿の名産地だそうで、露店に並んでいた、和歌山と言えばミカンだろうに、と通りすがりの旗に突っ込みを入れてみる。

 

 

 

九度山町を抜けると、非常に狭い山道を登っていく。四国では細く長い登り道にさんざん苦しめられたが、ここもなかなかである。途中まで鉄道が併走していたのにちょっと新鮮な驚きがあったが、昭和の観光地として開発されていたんだろうな、と想像される。いずれにしても、10kmほどの山道を600mほど登るのだが、ここを徒歩で登っていっただろう昔の人は凄いなと思う。

さて、いよいよ高野山エリアに入る。周りに何もない山道を登っていくと、いきなり大きな山門が出迎える。車でなければ祭文の正面にある山道を登ってくるのだろうが、ここまでの長閑さに比べ、この門は大き過ぎる。突然というか、突拍子もなく、ここまでの10kmの山道の雰囲気とがらっと変わるインパクトがすごい。しかも、山門を過ぎるといきなり観光地の町並みが続いている。

 


高野山は、高野町である。人口が多いのだ。こんな山の中と言い過ぎるのは失礼かもしれないが、何もない山の中に、いきなり町を瞬間移動したような違和感、驚きを感じた。車を進めると観光客が右往左往して駐車場もそこそこ埋まっている。高野山というと、山奥の神秘的幽玄の地というイメージだったが、意外に観光地として垢抜けている。天空の宗教都市が高野山なのだ。

ちょっと高貴な宗教心には不似合いな風景を抜けて、目的の奥の院を目指す。入り口の一の橋付近の駐車場がいっぱいでちょっとうろうろしていたが、そのうち中の橋付近に無料の駐車エリアを見つけた。時刻は午後1時過ぎ。ちょっと予定より遅れてしまった。
休む間もなく、久しぶりに編み笠をかぶり、輪袈裟をして、中の橋から参道に入る。初めての場所なのでどこへ行けばいいのか不案内だが、とにかく奥の院の方向に向かう。坂道や階段が長いと嫌だなとか思ってたのだが、意外に平坦だ。

 

 

しかし、参道のまわりは驚きのお墓だらけ。しかも、徳川家、豊臣家、島津家などそうそうたる戦国武将の墓所があり、その最たるは織田信長のお墓だろう。なんで?という素朴な疑問には、団体客を先達していた案内人が答えてくれた。高野山は全国の総菩提寺なんだとか。だから、誰でも?墓所を構えることができるらしい。

 

▲織田信長墓所        ▲暗くなると灯籠に灯がともる      ▲鳥居のある墓も多い

 

それにしても、墓石がでかい。こんな山中まで細く急な山道を大石を運び上げるのは、相当に大事業だったろう。これだけでも昔の人の人力には驚嘆すべきで、それを依頼できる経済力の持ち主だけが、ここに墓を構えられるということなんだろう。

 

  奥の院の手前のお堂を横目に、いよいよ奥の院だ。御廟の橋というのがあり、ここが結界との境界らしい。一礼し、傘をとって参道を進む。階段を登り、奥の院、燈籠堂に到着。やっとここまで来たか、とちょっとだけ感慨深い。少し暗いお堂に入り、順番を待って、お遍路と同じように開経偈から回向文までを読経する。久々だと、なんかしっくりこない。

 

  燈籠堂から出て、周りを渡す。もう用は無いのでさっさと帰る所なんだが、10時間もかかってきたのだからと、ちょっと後ろ髪を引かれたのだ。空を見上げた。

 

 

いい天気だ。奥の院は撮影禁止だが、この空はかまわないだろう。右手にお堂が在り、一切経蔵なんだぁとか見学していたら、燈籠堂の地下への入口を発見した。下調べをしていないと、こういう所を見逃すんだよなぁ、とか思いながら入っていく。

  地下には、奉納された「燈籠」と「身代わり大師」が並んでおり、拝所もある。ここが一番お大師様に近い場所なんだそうだ。それは知らなかったが、そこでもきちんと読経してきたのは良かった。身代わり大師に見送られて外に出て燈籠堂に沿って進み、ふと堂の裏側を覗くと、そこでも多くの人が参拝していた。

 

  実は、燈籠堂の裏手にあるのが「弘法大師御廟」で、お大師様はここで今でも修行しているのである。結願の報告やら最後の納札もここの箱に入れるのが良いらしい。順路が逆らしいので、燈籠堂を一回りして、御廟の前にたたずみ、読経をする。これで本当にお遍路が終わったのである。

階段を下りると、右手の小さな小屋の前に人が集まっている。ここには「みろく石」というのが入っていて、小さな戸口から手を入れて持ち上げられると願いが叶うのだとか。現在のオラの願いはただ一つ、自分の健康だ。片手しか入らないので、大きめのちょっと重い石は、一瞬しか持ち上げることができなかった。が、持ち上がったのだから、きっと願いは叶えられることだろう。佐渡の金山の博物館の、金塊を持ち上げる箱を思い出した。

 

 御廟の橋でもう一度一礼する。お大師様が見送ってくれているのだとか。左手には水掛地蔵があり手を合わせ、護摩堂にもお賽銭をして参拝する。隣の御供所と呼ばれる納経所で、何か記念になるお守りでもと思ったが、特に惹かれるものも見つけられなかった。

 

▲ここからは聖域 御廟橋           ▲護摩堂              ▲御供所(納経所)

  窓口には山積みの御朱印帳を持ち込むガイドさんが陣取って、何事か係の人ともめている。御朱印は省略している自分はここで無駄な時間を費やすことはないが、なんか違和感があるのは否めない。ま、どんな形で信心するのも各人の自由なのだから、そこは無用の突っ込みだということでスルーする。

 

 帰り道は、来た参道ではなく、中の橋駐車場へと続く、裏参道を歩いてみた。こちらは最近整備された道らしく、石畳も新しいし、コーヒーカップの石碑のあるUCCとかロケットを置く新明和工業とかの企業の墓所が在り、妙に浮き世離れしてして、生々しい。予想していたのとは違い、高野山はずいぶんと俗っぽい施設という印象であるな。戦国武将の墓所の集まる表参道とは趣が違う。途中に、親鸞聖人のお墓があるというので、ちょっと登ってみたが、ちと荒れている。高野山は真言宗、親鸞は浄土真宗のはずだ。なぜここにあるのか分からないが、親鸞聖人の知名度と企業のお墓との落差に少しばかり同情してしまう。

 

▲荒れた親鸞聖人御廟           ▲新明和工業墓所                ▲UCC墓所  

 

 1度車の所に戻ったのだが、せっかくなので中の橋から一の橋まで参道を行ってみることにした。表参道には延々とお墓が続く。そのうち、並ぶ灯籠に明かりが点いた。電球の明かりだが、何百とある灯籠に明かりがともるのはたいしたものだと思う。後で調べると、奥の院のナイトツアーもあるそうで、そのための施設らしい。一人で行くようなことは無いのだろうが、なかなか勇気の要るツアーだ。

 

  車に戻ると3時過ぎだ。最低限のイベントはこなしたので、明るいうちはこのあたりを巡ることにする。やはり最初に見るべきは、金剛峯寺だろう。5分ほどで着いた駐車場から道路を横切り、手水で清めて正面の山門に進む。一礼し、本堂前に進み巡礼中と同じように読経をする。他にも読経している人も居るが、普通の観光客も半々くらいかなぁ。

 


  境内をうろついていると、内部が拝観できるようなので、これもせっかくなので入ることにした。すると衝撃的だったのは、大広間の隣の柳の間。なんと文禄4年(1595年)に二代目関白の豊臣秀次がここで自害したのだとか。ちょうど大河ドラマ「真田丸」で佳境を迎えている歴史上の重要施設に巡り会えるとは。

 

▲新別殿のおもてなし(無料)

 

  内部の撮影は、庭など以外は禁止だが、HPで綺麗な写真が見られる。新別殿は来館者用のお茶の間である。お茶とお菓子がいただける。このお菓子は軽いせんべいのようなもので、ほのかに甘い。

 

▲日本最大の広さの庭園「蟠龍庭 (ばんりゅうてい)」

 

  その隣にある庭はなかなかの規模で綺麗に整備されている。弘法大師ゆかりの四国の石をわざわざ運んできてあるという。花崗岩や緑泥岩という、変成帯によく見られる石だ。

 

▲中央は蟠龍庭とは別の中庭 真ん中に池があり、かつてはもっと植栽があったらしいが現在はちと寂しい雰囲気

 

庭園を後にすると、売店がある。さっきのお菓子もここで買えるが、高野くんのブックバンド、缶バッチ、高野豆腐を購入。

 

▲明かり取り&煙出しかな?                ▲懐かしい板葺きの廊下

 

 最後に驚いたのは、台所である。お寺の中を見学することは初めてではないが、台所を公開しているのは珍しい、しかも、昔ながらの釜が並び、煙出しのある高い天井の広間である。現在、ここで日常的に調理はしていないようだが、昔の雰囲気が伝わってきた。

 

神棚は寺なのに三宝荒神。紙は吉祥宝来という、高野山特有の縁起物▲

 

  まだまだ見どころはあるはずだが、車に戻り、そろそろ帰路が気になり始める。ナビで家までの経路を選択して動き出したが、すぐに大きなお堂の裏手に駐車スペースを見いだした。ここは壇上伽藍の裏側であった。よく分からなかったが、まだ明るいので寄れるところは寄っておこうという魂胆で車を降りた。

 

▲愛染堂           ▲とにかく大きな大塔          ▲金

 

 しかし、これは良い判断だったようだ。入るとすぐに大塔があり、隣は金堂である。どちらも高野山に行ったら見ておくべき建物である。それにしても大塔は大きい。昭和12年に完成、平成の大修理で綺麗に塗り替えられた建物は、内部もちょっと綺麗すぎて幽玄さには欠けるけれど、迫力は相当なものだ。

 

 

▲中門 アブラゼミが妙にリアル

 

 金堂は金堂という名に似合わず、渋い木造のお堂である。かつては金閣寺のような感じだったのかなぁ。かなり大きいが、内部は大塔と同じような感じで薬師如来像が安置されている。表の中門を見学して、車に戻る。金剛力士?の胸に蜻蛉や蝉が付いてるのが可愛い。

さ、そろそろ本当に帰ることにしよう。

 

 

 

ひたすら走った帰り道(笑)

 

  帰り道は、九度山に戻る山道を回避して、直線的に麓に出る国道480号線を選択した。高野山に行く時にこの道を通るなら、すごい山の中に登るいう印象は薄れるかもしれませんね。ナビを見ていると、国道24号線が直線的に整備されているようなので、きっと早かろうと期待していたのだが、事実、高速道路が無料で開放されていて、予想外に早く橿原まで戻ることができた。

 

▲国道26号バイパスから九度山付近の夕暮れの眺望

 

  途中、何か美味しいご飯でもと思ったのだが、やはり飛び込みたいようなお店が見つからないし、早めに帰りたい気分だったので、セブンイレブンのサラダとおにぎりですませてしまった。

▲奈良の夕食

  立ち寄り湯があったので、一瞬入ろうと思ったんだけど、それも気乗りせずスルー。全然、奈良県に来た甲斐が無いのだが、それは今年の西国33カ所巡礼の時に取っておこう。
  だが、「日本一の鯛焼き」という看板を見つけたので、ここには寄ってお土産を買い込んだ。普通のが\160か\180だったと思うが、調べてもHPに価格が無い???。どうも、店によって価格を変えているらしい。高いので、味はそれなりに美味しいです。

 

▲神奈川にもあった日本一たい焼き 一匹\180位?

 

 奈良市内から名阪国道に乗って帰ろうとしたのだが、無料区間が終わってしまい、少し有料区間に入ってしまった。ま、仕方が無い。

名阪国道に入ったら、もう運転に専念するよりすることがないですね。関ICを降りて、来た時に寄ったスタンドで再度ガソリンを補給し、亀山SAに寄る。ここに来たのは3年前に伊勢神宮に来た時以来だが、少し変わったかなぁ。

  その後、帰り道は雨も降ってなくて、順調。前々回と同じように午後10時過ぎには浜名湖SAに寄って、特に急ぐ必要も無いので少し仮眠する。長距離ドライブの安全確保のためでもあるが、午前0時を過ぎると、ここの豚汁定食のサービスタイムになるのだ。

 

▲今回唯一の贅沢? 豚汁定食 \600

 

  お腹も膨れて、浜松ICで一般道に下りる。そのまま国道1号線をひた走り、沼津まで移動。普段はここらで東名高速に戻るか、御殿場から厚木に抜ける国道246号線で行くのだが、いたずら心を起こして、三島から箱根に登ることにした。後ろに付いてきたトラックがあおってくるので、ちょっと本気モードでコーナーを攻める。タイヤは履き替えたばかりの新品のスタッドレスなので、コーナーリングは頼もしい。ファミリーカーとはいえ、トラックに負けるはずも無く、夜中の山道を駆け上がりました。

 

    ▲伊勢湾岸道路 刈谷PAの観覧車が見える ▲霧の箱根関所付近

 

  と、登り切ったところでおまわりさんのお出迎えです。なるほどねぇ、土曜の夜に、こんなワインディング道路が野放しになっている訳は無いのでした。しかし、ファミリーカーだったからなのか、60km程度では取り締まるほどでもないのか、呼び止められることも切符を切られることもなく、無事に通過できました。ちょっとほっとして、芦の湖畔を走り抜けます。霧が出てきたなと思っていると、急に濃霧になってしまい、どうしたものかと慌てましたが、少し標高が下がるとすぐに晴れてきました。強羅のあたりまで下りていくと、過去に何回か走ったことのある見覚えのある道です。

 

  湯元温泉、小田原市内、無料になった西湘バイパスを通り、大磯町を抜けたところで海岸とはお別れです。厚木から相模原に抜け国道16号線にのったら、もう川越に着いたようなもの。帰ってきたのは、朝の6時でした。浜松から下道で280kmをノンストップ5時間ほどで走破できました。

 

往復1165.8km、27時間の高野山参りはこうして終了しました。

      ▲お疲れ様でした           

 

翌日、金剛峯寺で買ってきた高野豆腐を調理して食べた▲

 

重要 【後日談】

 これを書いていた1月に、SNSの友人、モグ友から連絡がきた。 手術後は順調で、医者からも再発はほぼ無いだろうと言われたんだって。良かった良かった。四国までお礼参りには行けないけれど、ちゃんとお礼は言っておこう。

観音様、ありがとう ワーイ ヽ(゚∀゚)メ(゚∀゚)メ(゚∀゚)ノ メデタイ

 

新年であるな。( ̄▽ ̄)

まずはめでたい。

 

 

今年も初日の出を眺めてきた。

こうして1年1年を過ごしてきた訳だが、

昨年は心臓病が発覚して、

「いよいよ自分の死ぬる番が来たか」と、

ちぃーとばかり神妙になったりした。

 

だが、もう少し、それは先伸ばにしてしてもらい、

もう少し、人生を謳歌しなくてはならない。

そのためには、健康第一、家族と友達を大切に、

時間を有効にし、充実し、それでいて伸びやかに過ごしたい。

それを自然体でできるといいんだけどね、

なかなか難しい。

 

肩肘張ると、それも心臓に悪いようだから、

生きてるだけで丸儲け。

まあ、のんびりと、諦めず、ポジティブに、いこうと思う。

病気と上手につきあうコツをつかみ、

目指せ、平均年齢+α

 

モグ友のみんな、リアルな友達、そして家族に感謝の1年を、

今年もよろしくお願いします。

 

 

クリスマスイブである。

なぜか名古屋に居るのだが、もちろん、仕事である。

衆生も艶やかなイベント待ちピーポーばかりだとは思わないが、

それでも世間は夜を輝かせて、

盛り上げようとしている。

三越のデパ地下に行ってみたら、

一口サイズ?かという小さいショートケーキが

消費税込み540円でびっくりさせてくれた上に、

長蛇の列ができてて、

とても購買意欲を減衰してくれる。

 

頑張ってほしい地元企業である丸栄百貨店のデパ地下は混んでなかったが、

そもそも客足を期待していないのか、

商品ぞろえが今一で、しかし価格は三越と同じで買う気になれない。

隣のパン屋でクリスマスとは関係のない

鳴門金時芋のフランスパンがうまそうだったので、

これを買う始末。

 

地上に出ると、郵便局員?が寒空に年賀はがきを売らされている。

ミキモト真珠の専門店にも2人の店員さんがいたが、

完璧なる閑古鳥だった。

同じように犠牲となってる代表格はセブンイレブンのアルバイトで、

店頭に4人もケーキ売りを立たせている。

店内には大きなホールケーキが何個も積まれていて、

本部から押し付けられてんだろーなー、

と容易に想像がつく。

クリスマス用の雪だるまムースケーキは可愛いけど

食べればスポンジだけだよなあと思うと、

貧相な商品に思えてくる。

やっぱりケーキにイチゴは絶大なんだな。

ローソンのクリスマス用ショートケーキはイチゴがあるけど

2個540円の割には肝心のイチゴがしょぼい。

たまたまなのかもしれないけど、主役が輝いてないとねえぇ。

ファミリーマートのも540円で同じだったけど、

パウダーシュガーがのってて、見栄えは最高だった。

だけど、心臓の弱い自分にはケーキ2個は重たいので、

プリンと玉ねぎサラダを買ってホテルに戻った。www

 

せっかくなので、ロンリークリスマス風の写真を撮ってみた。

 

何はともあれ、メリークリスマス!!!

*<(。⊃≧∀≦)⊃⌒由< プレゼント!!!ッ☆