人間って不思議なものですね。

自分には絶対にかなわないスゴイ人ほど褒めてくれる。

こんな自分でいいのかなと思いつつ、とてつもないオーラに包んでプラスの世界に引き上げてくれる。

 

自分はその人のためを思って善意を尽くしているつもりが空回りする。

場合によってはそれだけでなく、なぜかネガティブ思考に陥って心までも傷つけられたりする。

 

最近それとなくこのメカニズムが分かってきました。

結論からいうと、どっちも自分にとって必要な存在だし、かけがえのない意味があるのだけれども、自分自身の運気や精神状態によって間合いや関わり方を変える必要があるということ。



 

引き上げてくれる人は理由があります。

この人はいま上昇機運です。

だから誰に対してもポジティブでプラス志向。
 

この流れに乗って着いていけばどんどん引き上げてくれます。

その意味では最強の味方です。

 

でも、自分自身がこんな気運にないときもあります。

必ずしも不幸ということではなくて、人間には必ず気運があります。


これに逆らってむりやりポジティブになろうとしても辛いだけで心が病んでしまいます。

どんな努力をしたとしても、プラスばかりの人生というのはありません。







 

逆に、自分がいくらプラス志向になってその人と仲良くしようとか引き上げようとしても、ものごとには波長や時機というものがあります。

これらがあまりに遠のいているときにアクティブになっても相手には負担になるだけで迷惑かもしれません。

自分にとっては善意であったとしてもそれは得てして独りよがりだったりもするのです。

 


前者の人と仲良くなり、意気投合できれば、幸せな時間を過ごせることはいうまでもありません。

人生は誰と出会い、過ごすかで決まる、といわれる所以です。


でも、栄養や養分は常にとればとるほど成長するとは限りません。

人間には自ずからバイオリズムがあり、これが真の成長のサイクルを下支えしているからです。

 

だから、誰の人生にも負の要素はあり、これはこれで辛くても切なくても、やはり意味があるのです。

ともに泣ける時間、しばしの現実逃避をする空間、もうひとりの自分と向き合う発想。


これらを心置きなく共有できるパートナーとか心友というものは、やはり人生には欠かせない存在です。

彼(彼女)は、必ずしもプラス志向でもポジティブでもないかもしれないですが、だからこそ自分に必要な存在です。



 

後者の人とは、いまはうまくいかないように思うかもしれないけれども、もしかしたらお互いにこんな存在になれる可能性があるかもしれないのです。


少なくともそんな可能性がゼロではないと考えることによって、価値観の幅は大きく広がり自分自身のマインドもより平らに保ちやすくなると思います。


 

人生ほど難しいものはないし、人間ほど複雑なものはないですね。

すべての出会いに感謝しながら、色彩豊かな生き方をできるように歩んでいきたいものです。