男の客が多いオレの店に 珍しく女がひとりで入ってきた
「いらっしゃいませ」と言って品数の多くないメニューを出した
女は何も言わずメニューを眺めていた
数種類しかない品数なのにいつまでも見ている いや 眺めていた
「お待ち合わせですか?」
女はオレの方に顔を向け小首をかしげただけだった
変な女だ 店に来てからしばらく経つが まだ一言も発していない
オレは仕込み中のビーフシチューの仕上げに集中することにした
どれくらい経ったろうか 女が言葉を発した 「ワイン下さい 赤を」
「グラスワインしかありませんが」「それでいいです」
そしてまた沈黙が続いた
「あの〜 タバコはいいのでしょうか」
オレは何も言わずに小さな白い灰皿を女の前に置いた
女は細身の煙草を口にくわえ 百円ライターで火を付けた
灰皿に置かれたタバコから紫の煙が揺れながら上っていく
煙草をやめてから20年にもなるが こういう時は無性に吸いたくなるものだ
「今作っているビーフシチューいかがですか」
「はい 頂きます それとワインをもう一杯ください」
そしてまた店は沈黙に沈んでしまった
オレは買って来たばかりのイベット ジローのCDを低く流し
ウイスキーのロックをちびりジローを聴きながら
自分のこの先について妄想に入り込んでいた
「おいしく頂きました お勘定お願いします」
女はにっこり微笑んで席を立った
ビーフシチューはほとんど手がつけられていなかった
灰皿の中に1枚の紙切れが捨てられていた
そこには固定電話の番号が記されていた
捨てようかとも思ったがカウンターの壁にピンで留めておいた
今夜の客はあの女ひとりか と呟いてロックを一気に煽った
なぜかオレの頭の片隅にタバコを挟んだ女の細い指先がこびりついて離れなかった。
(仙台市 いろは横丁)
