「気配」
昭和40年代半ば
ボクは東京は東武東上線中板橋駅界隈のアパートに一人で住んでいました
「神田川」や「赤ちょうちん」の世界ではありませんが
4畳半風呂なし共同便所 窓を開ければ隣のアパートのモルタル壁のひび割れ
挙げ句の果てには アブラゼミのような大きさのゴキブリが這い回る
劣悪極まる当時の普通の生活環境でした
たまには贅沢と称してすき焼きをやりましたが
牛肉なんてとんでもない 魚肉ソーセージ それでもうまかったなあ
週に1度は横丁の銭湯に行きました
帰りにおでんで一杯なんて贅沢はした事ありません
これはもう時効なのでお話ししますが
当時工藤パンとか山崎パンの配送車は
朝小売店の店先に木製ケースに入れたまま置いて行きました
何も食べるものがなくなった朝は お店が開く前に
ほんの2〜3個拝借した事が何度かありました
若かったのですね 罪悪感なんてまったく感じませんでした
今振り返ると何もいい事はありませんでしたが
なんだか妙に暖かいものがこみ上げてきます。
(仙台市 清水沼)
