3階の部屋の中から雲や空を見ていると、台灣大學合唱團の「千の風になって」が脳内へ流れてきて、考える。
「私は墓にはいません」、「死んでなんかいません」というすごい歌詞だ。
みんな、意味も考えず聞き流しているのだろう。
死んでいない、なんて「霊」が歌っているのに、よくみんな平気なものだ。
苦境に遭うと、(お母さま、ちょっとは助けてくださいよー)などと思ってしまう。
一方、亡父に助けてくれ、と願うことはない。
しかし、先祖に頼み事などはしてはいけないのである。
最善の供養は、心配をかけないこと、と心霊科学、スピリチュアリズムではよく言われることだ。
いろいろ頼んでいたら、先祖も安心していられないだろう。
先祖は墓にはいないのだから、墓参りもまったく意味が見いだせず、私はあまり行かない。
母も父も、祖父母もどちらかというと、そばにいる気がするからだ。
もしかしたら、心の中にいるのかもしれない。
あるいは宇宙のはずれにいるのだろうか。
母が死んでから、霊界の場所に考えを巡らせることが増えた。
考えてもわかるはずはない。
そもそも霊界に「場所」はないかもしれない。
自分が死んでから、あ、そうだったのか、と思うのだろう。