あの世 | 中村教授の愉快な毎日

中村教授の愉快な毎日

ブログの内容は筆者の個人的な見解であり、明治大学とは無関係です。

母が死んで4ヶ月になる。

3階の部屋の中から雲や空を見ていると、台灣大學合唱團の「千の風になって」が脳内へ流れてきて、考える。

「私は墓にはいません」、「死んでなんかいません」というすごい歌詞だ。

みんな、意味も考えず聞き流しているのだろう。

死んでいない、なんて「霊」が歌っているのに、よくみんな平気なものだ。

苦境に遭うと、(お母さま、ちょっとは助けてくださいよー)などと思ってしまう。

一方、亡父に助けてくれ、と願うことはない。

しかし、先祖に頼み事などはしてはいけないのである。

最善の供養は、心配をかけないこと、と心霊科学、スピリチュアリズムではよく言われることだ。

いろいろ頼んでいたら、先祖も安心していられないだろう。

先祖は墓にはいないのだから、墓参りもまったく意味が見いだせず、私はあまり行かない。

母も父も、祖父母もどちらかというと、そばにいる気がするからだ。

もしかしたら、心の中にいるのかもしれない。

あるいは宇宙のはずれにいるのだろうか。

母が死んでから、霊界の場所に考えを巡らせることが増えた。

考えてもわかるはずはない。

そもそも霊界に「場所」はないかもしれない。

自分が死んでから、あ、そうだったのか、と思うのだろう。