Mr | 中村教授の愉快な毎日

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ブログの内容は筆者の個人的な見解であり、明治大学とは無関係です。

Mr の複数形を知っている人はあまりいないだろう。

学校で習った覚えもない。

実は、私もいま、英国の雑誌「エコノミスト」を読んでいて、これはなんだ?と調べて知った。

なんと、Messrs と、なぜかフランス語を「代用複数形」として使うのである。

これは、Messieurs の略で、単数形はMonsieur (ムッシュ)である。こちらは日本でも知られている。

それはともかく、Mr の複数形がないのは、s をつけると、Mrs になってしまうからだと言われている。

それに、名前のそれぞれに Mr をつければ、複数形は要らないわけである。

Mr Smith and Mr Jones のように。

しかし、これを、Messrs Smith and Jones としてもよいわけである。

いつまでも知らないことは多い。もう還暦を過ぎたのだが。

しかし、還暦を過ぎたら全知全能になるわけではない。

また転生を繰り返し、過去生へ知識を蓄えていくのだろうか。

しかし、過去生の知識はあまりはっきりとはしないのが残念だ。

しかし、知り合いにもいるが、経験がなくても、なぜかうまくできてしまう人がいる。

それは過去生の経験なのではないか。

しかし、技術は日進月歩だから、このデジタル社会の経験は過去にはないはずだ。

霊界の方でも進歩に追いつくのに大変なのではないだろうか。

それはともかく、Mr  の複数形の話だった。

大学はいま、かきいれ時の入試で、大きな収入源だから、授業などは 1月に終わらせている。

上智の時の、アメリカ人で、ハーヴァード大言語学博士の先生が、大学はビジネスだ、と言ったので、われわれから笑い声が起こった。

すると、ほおづえをつきながら、


Yeah it’s a business


とあきれるようにダメ押しした。

確かにハーヴァードの授業料は、日本の5、6倍だろう。留学した人は富裕層に違いない。

また話がそれた。

授業がないから、いま、このように脱線する喜びがないのだ。

脱線し、融通無碍に話が行ったりするのが、ストレス発散の一つなっていることが最近になってわかってきた。

学生の方は迷惑かも知れないが、制限のもと、決まったことを、体系的に話すのはものすごいストレスだ。

それなら、本を買って自分で勉強すればよいのではないか。

形式に縛られないライヴ感がおもしろいと思うのだが。

人の思考は、元来、あちこちさまようようにできていると思う。

また話がそれた。

Mr  の複数形だ。

本当に、日本人(華人もだが)は単数・複数がないので、これをもつ言語には苦労する。つい複数形にするのを忘れる(「セブンスター」とか)。

アラビア語にいたっては、単数、複数以外に、2つを表す双数、両数まである。

名詞、代名詞だけでなく、動詞も2人が主語の時は語尾を双数形に変える必要があるとは大変なことだ。