何年入社ですか、と聞かれることが増えた(1996年)。
リバティータワーがないころ、ものすごく汚い校舎で、2部(夜間部)の授業を担当させられたのは懐かしく、今の50歳以下の教員には想像もつかないだろう。
たしか三時限は10:00に終わるのではなかったか。
当時、ふと授業中、窓から外を見ると、向かい側で、東大の物理学科を出た先生が熱心に講義をしているのが見え、感動したことがある。
偉い先生は2部、夜間部だからといって手を抜いたりしないのだ。
それはともかく、英語科でも年齢が下の方だったときは、恐怖のスポーツ推薦だけを集めたクラスを持たされ、ストレスが大きかった。
アルファベットの dと、b の区別ができない子もいるのだ。
10年ぐらい担当してるいたと思うが、われながらよく耐えたものだ。
それはともかく、山田学長という、たしか、人事院から来た人が偉かった。
明大出身ではないから、しがらみが少なくて、いろいろ改革、断行できたのかもしれない。
リバティタワーが立ち、清潔になり、女子学生が増え、評価も上がっていった気がする。
リバティーの建設が分岐点であった。
当時、タワーが明大の墓碑になる、などと言って反対していた教員もいたのだ。