濁る子音、濁らない子音 | 中村教授の愉快な毎日

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「知道」 zhīdào  「知っている」の「道」は、「タオ」と聞こえるが、「有道理」「もっともだ」 「yǒudàolǐ」の「道」は、「ダオ」と聞こえる。


英語でも d は、cooked と、had では、前者が t、後者が  d と聞こえるのだから、華語でもそう教えればよいと思う。


しかし、どの台湾人の先生も、「道」は、dào で、ほかの「d」と同じ音だと言い張るのは不思議である。


明らかに、環境(声調、語頭か語末か語中か)によって、同じ d (や、その他の子音)が、清音、濁音に分かれて聞こえる。が、華人にはその区別がどうもないらしい。だから、「ありがどう」とかいうのだろう。