これを「行動力のあるなし」で片づけてしまうのはちょっと違うなと最近、つくづく思う。
やりたいやりたいと言って何ヶ月も進んでいないものは、本当はたいしてやりたくないのだ。
やる気というのは無理やり「出す」ものでもなければ、「あげる」ものでもない。
やりたいことへの情熱は、自然と内側から湧き出てくるもので、やりたいことならほっといたって勝手にやっている。
やるなと言われても衝動を抑えられない、
そういうもんでしょ?
そもそも、やらなくちゃやらなくちゃって思って、何ヶ月もたっている時点で、たいして好きでもないし、情熱もないってことなの。本当はあなたはそれをやりたくないわけ。
心が嘘をついているの。
それって、ホントはやりたくないんだってことにそろそろ気づいたほうがいいんじゃないかな。
本当にやりたいことは、時間がどんなになくたって、やるじゃない?
お金がなくたって、なんとかしようとするじゃない?
もし心の底から情熱が湧いてこないなら、魂が求めているものではなくて、「頭で考え出した理想の自分」を追いかけようとしているだけかも。
●たとえば恋愛。
大好きで今すぐ会いたくて会いたくてたまらなくなったら、どんなに疲れていても会いに行くし、せめて電話くらいするでしょ。
「彼に会いたいけれど、気持ちがあがらないんです」
「彼に会いたいけれど、がんばれないんです」
って、超遠距離恋愛でもないのに、そんな人いる?
聞いたことがないよね。
●ヒトには、「偽りの欲望」と「真の欲望」ってのがあるんです。
ヒトが「やりたい」と勘違いしているものは、本当にやりたいものではなくて「そういう風に見られたい」という単なる願望が理想化したものか、「こうでなければ」という思い込みから来ているものが多い。
【がんばれないことは、向いてない】
自分はそれを、ただ「やれたらいいな」と思っているのか、それとも、「本当にやりたい」のか?
もう一回、自分の胸に問いただしてみてください。
自分の魂に聞いてみると、やりたいことは本当は別のところにあったって気づくことがあるかもしれません。
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