けさ、NHK-R1 ラジオ深夜便を聞いていたら

橋幸夫の「子連れ狼」がかかった。

橋さん今日誕生日 1943年生まれ 79歳

 

子連れ狼といえば 大五郎、西川和孝さんである。現在服役中のようだ。

 

wikiで調べたら西川さんと 誕生日が 一緒だった。

 

大五郎が乗る乳母車、機関銃装備だった記憶がある。

 

今は乳母車とは言わず ベビーカー というらしい。

 

以前、都電荒川線がかなり混雑して幼稚園児2人と手をつなぎ、赤ちゃんを抱っこ、

折りたたんだベビーカーを支えて大変そうだった。

「あっ、乳母車持ちますよ」と声を掛けると

近くにいた別の子供が『ママ 乳母車って何?』と質問。「ベビーカーのことだよ」のやり取り。

周囲に笑いの渦が起こった。ちょっと恥ずかしかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

先日書いた 松本孤児院について 長野県立図書館に レファレンスサービス依頼し 調査報告が届いた。

 

 

 

 

松本孤児院について(回答)  

 

令和4年4月2日付けメールにて照会のありましたこのことについて、調査しました結 果は下記のとおりです

(【  】内は当館請求記号)。

 

 

松本孤児院設立を計画していた小口喜代太氏については、『信濃毎日新聞』明治35年3月4 日朝刊2面 「松本孤児院設立の計画」に 松本町大字源池の小口喜代太氏と云へる美以(みい)教会の信者は、(-後略-) とある記事を確認できたのみです。

 

その他、多くの資料を調べていただいたのだが、

「小口喜代太」および「松本孤児院」は見られませんでした。ということであった。

 

 

松本孤児院設立を計画していた小口喜代太氏については、『信濃毎日新聞』明治35年3月4 日朝刊2面 

「松本孤児院設立の計画」に 松本町大字源池の小口喜代太氏と云へる美以(みい)教会の信者は、(-後略-) 

とある記事を確認できたのみです。  

 

大正期の資料になりますが、『長野県社会事業要覧』(DVD-R)

長野県社会課 1923 【N369/626】 のp.3(9コマ)に、県の社会事業団体補助を受けた相手方があります。

こ こに、小口氏にかかわる団体は確認できませんでした。

 

  『松本市社会福祉協議会創立五十年のあゆみ』 五十年のあゆみ編纂委員会編 松本市社 会福祉協議会 2004 【N369/318】  p.4 に、孤貧児を収容したのは松本女子求道会(明 治四十一年開設)である、という記述があります。

また、巻末p.308の社会福祉年表を確 認しましたが、小口氏による孤児院と思われる施設はみあたりませんでした。  

 

この時代の社会福祉分野の情報はもともとそれほど多くはないため、

実際に孤児院が作 られたか否かまでは確認ができませんでした。

 

当館で調査した史誌類、キリスト教関係資 料には、「小口喜代太」および「松本孤児院」は見られませんでした。

 

 <調査資料> ・『長野県歴史人物大事典』 赤羽篤ほか著 郷土出版社 1989 【N283/13】 ・

『東筑摩郡・松本市・塩尻市誌 別編 人名』 東筑摩郡・松本市・塩尻市誌郷土資料編 纂会編・刊 1982 【N233/10/別2】 ・『長野県の社会福祉』 長野県社会部編・刊 1968 【N369/40】

 p.77 明治初期からの児童福祉に関する概略が書かれており、明治4年「棄児養育米給 与方」、

同6年「3子出産の貧困者への養育料給与方」、7年には恤救規則の制定により貧 困児、虎児に対する恤救が行われている。

明治16年、長野市に大勧進養育院が設置され、 廃疾、老人とともに孤児の救済事業が始まった、旨の記述があります。

松本孤児院につい ての記述は確認できません。 

・『長野県史 通史編 第7巻 近代1』 長野県編 長野県史刊行会 1988 【215./ナガ/5-7】 

p.805-807 明治16年の善光寺大勧進内に設立された大勧進養育院が、県か唯一の施設として 存在するだけで、

その後34年に、ようやく50人収容をめざした建物として新築された記述 があります。 

 

・『長野県史 通史編 第8巻 近代2』 長野県編 長野県史刊行会 1991 【215./ナガ/5-8】

 p.252-255 救護施設、養育施設の記述があります。ここでは、大正2年度の長野県予算の 「救育予算」が、

前述の大勧進養育院のほか、

松本女子求道会(寺田五三子主催 南信禅 道会)養育部による養育事業に支出されている旨の記述があります。

 

『長野県史通史編』 の7巻、8巻どちらの巻にも松本孤児院についての記述は確認できません。 

 

・『日本社会事業名鑑』 中央慈善協会編・刊 1920(大正9)

インターネット公開 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/950533  長野県(195コマ)に

松本女 子求道会の活動についての概略があり、明治42年設立、

扶養義務者なき幼児及扶養義務者 あるも養育力なき者の用事を保育する事業を行っていることがわかる。

松本孤児院の項目 はありません。 

 

・『長野県社会事業年表 近代の歩み』 矢上克己編 清泉女学院短期大学矢上研究室 1982 【N369/120】 年表中には、松本孤児院についての記述は確認できません。 

 

・『松本市史 第2巻 下巻』 松本市役所編・刊 1933 【N233/17/2】 p.577- 明治年間の社会事業については、

特に挙げるものはないと記されています。 

 

 

・『松本市史 第2巻 歴史編3近代 』 松本市編・刊 1995 【N233/106/2-3】 p.291-292 

松本市におけるキリスト教布教の流れが書かれています。 

明治9年7月 メソジスト教会の長澤弥左衛門による布教 

松本美以協会の始まり 明治10年 松本美以教会 宣教師コルレを招く。11年川村天授が初代牧師となる       

明治20-30年代 大名町 聖十字協会  

     地蔵清水 カトリック教会(天主教会)  

     田町(東町) 日本基督教会による巡回宣教  

     安原町 バプテスト教会 

明治23年7月 小柳町 美以教会の会堂と牧師館建築 

明治31年3月 カナダ日本人メソヂスト教会 三上操吉牧師による伝道 田町に教会建築 

明治41年5月 メソヂスト三派合同の結果、「日本メソヂスト松本教 会」と称し、小柳町の教会を教会堂とする 

 

・『東海教区史』 改訂版 東海教区史編纂小委員会編 日本基督教団東海教区 2003 【N198/6】 

上記松本での布教の流れは、こちらの資料に詳しく書かれています。

 

どちらの資 料にも松本孤児院についての記述は確認できません。 

 

・『長野県社会福祉協議会50年のあゆみ』 長野県社会福祉協議会50年のあゆみ編纂委員会編 

  長野県社会福祉協議会 2003 【N369/305】 

 

・『松本日本基督教会七〇年史』 及川信編 松本日本基督教会 2001 【N198/15】

 

 

 

 

 

 

  

2012-10-06 19:54:57 に

オキシヘーラーという本について書いた。

http://ameblo.jp/koi-no-dial-6700/entry-11375517494.html

こんな本があった オキシへーラー

『オキシヘーラー 第14版  附治病新実験例』(大正9年6月1日第14版)
オキシヘーラーという健康増進機器の本(小冊子)である。※大正9年は 1920年

癩(ハンセン病)のことが書かれてあったので

日本の古本屋で検索していたら この大正9年6月1日第14版があったので購入する。

癩病に実験
  東京府下下目黒 慰廃園 大塚院長夫人

の項目が載っているのはこの版だけのようだ。

 

最近 ヤフオクでこの治療器が出品されていたので落札する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

改めて調べて このオキシヘーラーを推奨していた 慰廃園 院長夫人は 大塚かね とわかった。

日本の古本屋で

松本孤児院設立趣意書 賛成員名簿(手書き)」という書類を購入。

  • 著者院主 小口喜代太 序
  • 刊行年明治35年3月
  • ページ数16丁(後は白紙丁)
  • サイズ23.5x16cm
  • 解説「松本孤児院規則」1枚付き
    シミあり
松本孤児院で検索すると
現在ある松本市の養護施設とは関連がないようだし
小口喜代太 なる人物についても
情報がつかめない
 
 
 
 
 

 


 
 
 

 



 
 

日本の古本屋で

松本孤児院設立趣意書 賛成員名簿(手書き)」という書類を購入。

  • 著者院主 小口喜代太 序
  • 刊行年明治35年3月
  • ページ数16丁(後は白紙丁)
  • サイズ23.5x16cm
  • 解説「松本孤児院規則」1枚付き
    シミあり
松本孤児院で検索すると
現在ある松本市の養護施設とは関連がないようだし
小口喜代太 なる人物についても
情報がつかめない