“感覚(感情)を感じられない”
感じることがつらすぎて、
感覚を麻痺させてしまうひとがいる。
敏感なHSPさんに多いのもわかる。
敏感過ぎて、日常を送るだけで
つらいことがたくさんある上に
まわりにもわかってもらえなかったりしたら
そりゃ感覚を閉じるしかないよね。
きっと最初は、普通になりたくて
「平気なふり」をするところから。
いつの間にか、ホントに平気になったような
気がしたときには感覚を閉じていたのかも。
でも、感覚を閉じてしまうということは
つらいこと、嫌なことも
感じにくくなる代わりに
楽しいこと、嬉しいことも
感じにくくなる。
だから“自分を生きていない”かんじになる。
やりたいことって何?
私の望みって何?
アタマで考えて、正解を探す。
わたしは、強度のHSP(HSE)で
子供の頃、つらすぎて感覚を閉じた記憶がある。
授業のなかで、こわくて出来ないことが多すぎた!
歴史の授業で残酷な話を聞けば具合が悪くなるし
体育は苦手な上に、跳び箱とか平均台とか
ハードルとか怖くてたまらなかった。
先生にあてられることがこわい。
答えられないことはさらにこわい。
みんなに注目されることがこわい。
先生に怒られてる人を見るだけでこわい。
強い子に、強い口調で言われるのがこわい。
いじめがあると聞いただけでこわい。
暴力を受けたことはないのに、
暴力があると思うだけでこわい。
でもそれじゃ学校生活が送れないから
平気なふりをして、感覚を閉じて
見ないように、考えないように、
本当の自分を否定して生きていた。
たぶんクラスでは明るいほうだった。
勉強は出来なかったので優等生じゃなかったけど
部長とか委員長とかやるタイプ。
オンとオフがすごかった。
高校生のとき、
自分が何なのかわからなくなったんだろうなぁ。
苦しくて寂しくてグレて荒れて、
自◯未遂を繰り返して、精神科に入院させられたこともあった。鍵付きのところ。
安定剤はすごいよ。
感覚を麻痺させる薬だから。
ラクにはなる。
けれどそれは対処療法でしかないから
心の奥の私の本当の感情が暴れて
そのたびに薬が増えていって
薬をやめようとすれば激しい離脱症状に苦しむ。
わたしが薬から抜けられた頃、
わたしが過去に飲んでいた薬が
“十代の子に投与すると自◯願望が強くなる”
とわかって中止になった。
大人になって、やりたくないことから
逃げることが出来てだいぶ楽になった。
だけど、人の目を気にして
正解を生きようとするところは変わらないから
やっぱり苦しい。
頑張って頑張って、強制終了のくり返し。
外で頑張って、家でスイッチが切れる。
二重人格なんじゃないかと思うほど。
感覚を完全には麻痺させていなかったぶん、
激情型で、波乱万丈!
本当にしんどかったときは、
空も花もきれいだと感じることがなかったから
あの時は感覚を麻痺させてたのかもしれないな。
よくやってきたなぁって
ひたすらにいとおしい。