子供は、お母さんをしあわせにするために
生まれてくるって話をよく聞く。
お母さんをしあわせに出来たと思ったら
今度は自分のしあわせのために生きるのだそう。
だとすると、わたしはきっと
子供のころ、お母さんをしあわせに出来たと
思えないままここまできたんじゃないかと最近思う。
お母さんに「助けて」と言いたかったし、
お母さんを「助けたかった」
というブログ のつづきです
悩みの多くは、子供の頃の
母親との関係が影響している。
これは、母親の胎内にいたときから始まっているそう。
わたしのクライアントさんは、
子育て中のママさんが多いので
よくこんなことをお話します。
「お母さんが笑顔でいることが
家族のしあわせじゃないですか?」
無理にいつも笑顔でいろってことじゃないですよ。
お母さんだって、泣いても怒ってももちろん良いのだけど、
お母さんが「子供のため」「家族のため」と
無理をして頑張って、ピリピリイライラしたり疲れきっているよりも
お母さんが「自分のため」にも楽しんで、
にこにこ楽しそうにしてるほうが、家族はうれしい。
家族みんなのしあわせに繋がると思う、という話。
子供にしてみても
「お母さんをしあわせに出来た」
と思えることになるんじゃないかな。
うちの母は、昔からホントに素直なひとで
よく笑ったし、よく泣いたし、よく怒った。
その感情表現が、とってもおおげさでした
※何度も書きますが、うちの母は良い母です
今思うと、
HSP(HSC)で、敏感で繊細なわたしは
その感情を受け取りすぎて
いつも母に極端に振り回されてしまってたのだと思う。
大きな声や、急に変わる感情がこわくて
いつも母の顔色を伺っていた。
わたしが2歳のときにバセドウ病になった母は
体調が悪いことが多くて
さらに弟がひどい喘息で入退院を繰り返して
わたしが子供の頃の母はとても大変そうだった。
わたしは母を笑顔にしたくて
なんだかいろいろ頑張っていたけれど
きっと、母をしあわせに出来たとは思えなかっただろうな。
いつも大変そうだった母を、
なんとか頑張って助けたかった。
それをやっぱり、この年になっても
ずーっと、やってる気がする
お母さんのことを、いつも助けようとしてる。
お母さんを笑顔にしたくて頑張ったりする。
でも、わたしは知っている。
母は表現がおおげさなんだYO!!
すごく怒ったり、すごく痛がったり
すごく泣いたり、すごく具合悪そうだったり
でも、
わたしが心配して、なんとかしてあげたいと必死に考えてる間に
ケロッとしてたりする
喧嘩のときも
感情を爆発させたら、ケロッとしてる。
わたしはその「感情の爆発」を
いつまでもひきずってしまってたりする。
つまり、お母さんは助けなくても大丈夫なひとなのだ。
むしろ、それに振り回されてしまうわたしを
どーにかしないといかん。
とくに「つらいのをわかってほしい」ときの母は、演技がかってるくらいにおおげさなのだ。
父が亡くなって、
父がどれだけクッションになっていたかわかった。
これまでは父が受け止めてくれていたものが、
一気にわたしにくるのを、
「お母さんを助けたい」が発動して
なんとかしようとしてしまうから、苦しい。
そして、母に対して嫌と感じるところは
わたしが捨ててきた、わたしの一部。
感情的になること
大きな声を出すこと
わたしが我慢してきたことを
やられるから、頭にくる。
苦しい、苦しい、苦しい!!
つまり
わたしが感情的になればいい。
おおげさに、感情表現すればいい。
母親みたいになりたくなくて
虫酸が走るけれどもね。
母はとっくにしあわせだ。
母は、助けなくても大丈夫。
てか、母、相当つよい。。。
わたしはもう充分親孝行してる。
わたしえらい。
わたしがんばってる。
わたしよくやってる。
そういうこと。
それを感じたくて、今こうして
一緒に働いてみたのよね、きっと。
わたしは、わたしの人生なのに
母を主役にしてしまうことがよくあったのかも。
もーやめた。