“やりたいことをやる”
“これまでと逆をやってみる”
ということなら
人を殺してもいいんですか?
という質問、ときどきもらいます。
今日もこんなご質問をいただいたので
ブログでお答えしてみますねー!
今まで自分が正しいと思ってきた事をやって、
結果、今の状態に不満で変えたいと思うなら、
世間の常識や他人の評価など気にせず、
今までとは逆のこともやってみよう
というのが心屋ですよね。
今ここに、人を殺すことでしか
幸福感を得られない人がいます。
今までは、人殺しは悪という
世間の常識や殺人は罰せられるという
他人の評価に縛られて
人殺しを我慢してきました。
ところが心屋に出会って、
あっ!我慢しなくていいんだ、
世間の常識や他人の評価など気にせず
今と真逆のことをやっていいんだ、
と思いました。
この時、心屋ではどうやってこの人を止めますか?
突飛な質問ですみません。
心屋では、というか
わたし個人の考えでしかありませんが
それがどうしてもしたいことなら
すれば良いのではないかと思います。
ただし
本当にしたいのならね。
本当にそれが幸福ならね。
です。
わたしには、人を殺すことで
幸福感を感じる人の気持ちは
カケラもわかりません。
もしかしたら世の中には
そういう人もいるのかもしれませんが
出会ったこともありません。
出会ったこともないから
想像でしかないのだけれど。
でもきっと、おそらく、
ものごごろついた頃から
人を殺したいと思っていたひとなんて
いないんじゃないかと
・・・信じたい。
おそらくそういう精神状態にいきつくまでに
何かがあったはずだと思うんです。
本当に
本当に
それがしたいのなら
止めようがありません。
ただし、日本に生きているなら
日本の法律のうえで
やったことの責任をとるのは自分です。
「心屋が我慢しなくていいと言ったから」
は、当然通用しないですよね。
わたしは、いま
良い悪いでジャッジするということが
ほとんどなくなりました。
わたし自身が好きか嫌いか
やりたいかやりたくないかは
どんどんはっきりしていくけどね。
誰かがやることが
良いとか悪いとは思いません。
ただ、内容によっては
「誰かを傷つける可能性がある」
とは思うけれど。
良いとか悪いとか
正解、不正解では見ていません。
やりたいこと、
やりたくないこと、
それは人それぞれだから
自分で、自分の心を見つめるしかないし
自分で選び、自分で行動し、
自分で責任をとるしかないと思います。


