それは善光寺にかなり近い土産物屋にあり、
パッと見て、目が釘付けになった品物だった。
 
全体はピンク色のちりめんの巾着袋で、
モチのような顔の布うさぎが
巾着に縫い付けてあり、
袋の外側に紫色の縁取りが入っていた。
 
顔は白いのに耳だけフェルトのピンクで、
耳の先が飛び出すように頭にくっついていて
目鼻は刺繍でもボタンでもなく
プリントの、明らかに安物だった。
 
たしかにかわいいんだけど、
デザインはあまりに子供っぽくて、
大人の私が普段使うような物じゃない。
ねことかの、他のデザインのはまだあるけど
うさぎは残り1個。お値段は、730円。
 
 
・・・買えないものではぜんぜんないけど
買うほど欲しい?

ほんとに? 
 
  
別にいいけど、買ってどうするの?
またタンスの肥やしにするわけ?
 
 
・・・みたいな、
 
猛烈に欲しくなったけど、
それは一時の気の迷いだと思った。
そして理屈で押さえつけて、
買わないで帰ったのだった。
  
***
 
トンボ玉のブレスレットも
目が釘付けになった品で、
今回はそれを買ってたので、
いったんは満足してたはずだった。
なのになぜ…
 
 
時計を見ると、午後2時22分。
帰りの高速バスの予定は
長野駅から、午後4時発。
 
さっき善光寺行きの
巡回バスが行ってしまってたから、
次が来るまで時間がかかるかもだけど
バスに乗って戻ろうかと思った。
 
それで、道の反対側に渡ろうとしたら
車が止まってくれて、道がすぐに渡れた。
そしてバス停についてすぐ、
巡回じゃないけど、善光寺を通るバスが来た。
そのシンクロも、今思えば明らかに
『買いに戻れ』ってこと
だったんじゃないかと思う。
  
  
だけどなぜか、
私はそのバスに乗ることができなかった。
 
 
「これに乗って戻って、
高速バスに間に合わなかったら…」
(バスは4時なので、ぜんぜん間に合うのに)
 
「乗り方がよくわからない」
(聞けばいいだけなんだけど)
   
 
・・・ 
私は一人で歩いてるときに
足がすくむというか、
慣れないことができなくなることがあって、
この時もそれだった。
 
疲れてるときは特になりやすく、
知らない人に何かを聞いたり
頼んだりするのが、
すごく億劫になってしまう。
予定変更の手続きも、
よほど覚悟しないと出来ない。
 

結局、私が動けない間に
バスは去ってしまった。
 

そのあとも、後ろ髪を引かれる思いで、
ただ歩き続けた。
善光寺行きのバスにも、
長野駅行きのバスにも乗らないまま、
駅まで歩ききってしまった。
 

その間も、ずっと、
あのうさぎの巾着が頭から離れない。
 
(駅ビルで探してみよう)と思って
探したんだけど、やっぱりどこにもなかった。
  
 
・・・これが
インナーチャイルドってやつか。
 
と、もう色々と衝撃だった。
 

子どもって、その場では諦めても
帰り道に入ってから、
「あれがほしかった」と
泣き出したりすることはよくある。
  
私の場合も、まさにそれだったのだ。
 
あの巾着は今の私が欲しいものじゃなく
『インナーチャイルドが欲しがったから』
目が釘付けになったのだ。
 

そう考えてみると確かに、
小さいころの私は青よりも赤が好きだった。
もっと言えば、甘いピンクがいちばん好きで
そういう私の好みは、
母にはあまり理解してもらえなかった。

 
そして、ねこよりも
うさぎのモチーフのほうが
絶対に好きなのだ
(同じシリーズで猫の巾着もあったけど、
そっちはどうでもよかった)。
 
 
・・・あぁーそうか。
 
ごめん、ごめん……ごめん。
 

やっとわかった。
小さな自分に、すごく謝った。
私も泣きたかった。
 
 
荷物を抱えて疲れ切って、
ひとまず駅ビルの中の休憩所で座って、
対策を練った。
 
 
この時点では午後3時を回ってしまっていて
高速バスは4時に来る。
 
戻るにはタクシーを使うか、
高速バスをキャンセルして
時間をずらすぐらいしか手はないんだけど
・・・今の私のキャパ的に、
それは無理だと思った。
 
 
何もかもが不安で、こわくて、
行動に移せない。
 
やれば出来るはずのこと、
当たり前のことが、できない。
・・・本当に自分が嫌になった。
 
 
だったら、・・・東京で、探してみよう。
 
和雑貨だから、
浅草とか巣鴨あたりに行けばあるんじゃないか
少なくとも似たものはあるだろう、
と漠然と思い、気持ちを切り替えた。
そして、今すぐに行動に移せない
自分を責めるのも止めた。
 
理屈の上ではできるはずのことでも、
できないもんはできないのだ。

それはしょうがない。
少なくとも、今回は許そう。
今の自分は責めず、
次に生かしていくしかない。 
 
 
あゆみんとの話の中でも、
私の『出来ない自分が許せない』
というのが上がってたのを思い出して、
まさに、それを許すときが今だと思った。
 
今の(責められた)自分にも謝り、
食欲は全くなかったけど、
美味しそうだな、と思ってた鯛焼きをひとつ買った。
  
 
そして高速バスの乗り場へと歩き出したら、
見つからなくて買えなかった
香辛料を売ってる店が偶然見つかり、
高速バスにも無事乗れた。
(直前に携帯が行方不明になって
あやうく乗りそびれそうになったりもした)
 
 
自宅に帰ってから、
巾着袋のことを思い出していたとき、ふと、
 
『どうしてそれが欲しかったのか』
『それがあると、どんな気持ちになるのか』
ということが、意識の上に上がってきた。

それはまるで、小さな子が
内緒話をささやくように。
 
 
たぶん当時は、こういうものを
『欲しい』と言っても、
うちの親は買ってくれなかったんだと思う。
 

『買ってどうするの』
『(子どもには)無駄だし高いからダメ』
で切り捨ててたんだろうなと……
でも、それはすごく納得だった。
私がまさに思い、
買わなかったのと同じだったから。
 
 
でも、『小さな私』は
それを買ってもらうことで
「親に大事にされている」
ということを感じたかったらしい。
 
  
買ってもらうものは、高くないほうがいい。
こんなもの、と大人が思うようなものを
買ってもらうほうが、
「それでも買ってもらえた」感が強くなる
みたいな感じのことが伝わってきた。
 

刺繍もダメで、立派なものは欲しくない。
大人が持つようなのは、嫌。 
でも、あんまり小さいのも嫌。
お気に入りの宝物を入れて、
どこでも持ち歩きたい。
 
 (そういえば、私はいまだに
バッグやがま口など、入れ物の類に目がない。
見るだけでも好きだ) 
 
 
(貧乏だと思い込んでいた)
親にもなんとか買えるような、
『ふわふわのうさぎの顔がついた、
ピンクの巾着袋じゃなきゃダメ』。
 
そこに強いこだわりを感じたし、
それは子供の時の私の気持ちそのものに思えた。
  
 
・・・・・そうか、それ買ってもらえないと
 
うさぎとか、ピンクの可愛いのが好きなことを、
親にわかってもらえなかったこと、
『赤のほうがいいでしょ』って言われたり
「高い!」って怒られたり、
困った顔をされるのが辛かった。
    
私が嬉しいことが、
親には喜んでもらえないこと、
それが悲しかったんだ。
 

そして、『あんたにこれは、高い』
って言われつづけて、
『自分の価値はそれより低いんだ』と
そう思ってしまったみたいだった。
 
 
それで、
親に大事にされてると思えなかったか……
 
そりゃそうだねぇ…………そのとおりだよ、
辛かったなぁ。
そうだよねぇ……さみしかったねぇ…… 
そっか…… 
 
 
・・・・・・( ^ω^)
 
 
 
 
よし! わかった!! 
それなら買ってやろう。
 
私はもう大人なのだ。
本気出せば、なんでもできる。


『あれ』をなんとかして、
手に入れてやろうじゃないか!
代わりの何かじゃ
どうせ満足できないんだから
ダメもとでも探してみるしかない。
 
 
その話を夫にしたら、
「じゃあ長野まで買いに戻る? いつ行く?」
とほざきやがったので(どこまで本気?)
さすがにそれはしない、と返したけれども
残念ながら、通販では
見つけることができなかった。
 





豪華な夕食ナイフとフォーク大当りで大満足はぁと