心配することが愛情だと信じてました。
でも最近、ちょっと違うのかもと思い始めていたら
今日こちらのブログをたまたま見て
なるほどなぁと思いました。
心屋認定カウンセラーの
永井あゆみです
←心肺
男は信頼、女は心配。
納得~~(((o(*゚∀゚*)o)))
心配することが愛情だと信じていたので
大切な相手のことはいつも心配してました。
心配してかける言葉は、
気遣いと思いやり。
そう思ってたんだけど……
彼がね
「それ、いらないよ」って言う人なんです。
運転きをつけてねー、とか
仕事頑張ってねー、とか
風邪ひかないでねー、とか
明日寝坊しないでねー、とか
電話切るときなんかに、
何気なく出るこういう言葉に
「それ、いらないよ」って。
明日の朝が早いと聞いて
早く寝なくて大丈夫?とか
昨日寝不足だと聞いて
今日はゆっくり休んでね、とか言うと
「それ俺が決めるから」
最初の頃は、
え~かわいくな~い
と思ってました。
だってさー
自然と出る言葉なんだから
ふつうに「はいよー」で済むとこなのに
わざわざ断ることもないでしょ。
でも、そのうちそれに慣れて
そういう言葉を言わなくなって
だんだん、心配自体をしなくなったら
そして、心配されずにいたら
すごく楽なの。
で、あれ?って。
考えてみたら、その“心配”は
起きてないことなんだよね。
起きてもいないことを先回りして
「きっとこうだろう」と想像して
そんなふうにならないでほしいと思うことって
余計なお世話だ( ゚д゚)
わたしは親から、しょっちゅう
「転ぶなよ」って言われるんです。
(39歳になりました
)
それはもう、わたしがこれまで
いい大人になってからも何度も何度も
転びまくってきたからなんだけど。
だから言われても仕方ないなって
心配ばっかかけて悪いなって
思ってきたんだけど。
それ、言われて
嬉しいと思ったことなんて
いちどもないなと気づいたのです。
むしろ、うるさいなーと思うけど
仕方なく「はーい」と答えるし
言われたからって
「よし、転ばないぞ!」とは思わないし
それ言われたから転ばない、どころか
それ言われ続けてるのに転んだ日には
「あれだけ言われてるのにまた転んだ…」
って絶望的な気分にしかならないし
全力で隠すよね!!
転んで、痛くて、
へこんでるのはわたしなのに
そこへさらに「あれほど言われて」
っていう罪悪感がプラスされて
これ以上心配かけちゃいけないと思って
また転んだわたしのバカヤロウと責めて
なんにもいいことないじゃないですか。
それどころか、その言葉はもはや
呪いだと思うの。
オマエは転ぶ人間だ~
きっとまた転ぶに違いない
転ぶ、転ぶ、また転ぶんだ
こ~ろ~ぶ~ぞ~






まさに否定命令ってやつですよ。
(ダメだダメだと思うとやっちゃうことね)
だって、転ばないと信じてくれてたら
出てこない“心配”なんだもの。
信じてくれてないんだ。
わたしは転ぶと思われてるんだ。
毎日言われたら、毎日思い続ける。
それってけっこうしんどいことだよ。
起きたことを起きたときに
心配するならまだしもだ。
起きてもいないことを
悪い想像しちゃうのを
こんなふうに日常的にしてたんだと
気づいたのです。
どんなに気をつけてたって
転ぶこともあるし
事故ることもあるし
風邪もひくし
大きな病気になることもある。
起きてないことを心配するんじゃなく
まず、起きないことを信じる。
大切な人に、悪いことは
起きないんだと、信じる。
この人は悪いことを
起こさないと、信じる。
でも、起きちゃったときには
そんなこともあるよねって受け止める。
なんなら一緒に笑いとばす。
そっちのほうが、よっぽど
大きな愛情だよねぇ。

庭に、春がきていました。
「あ~早く春こないかなぁ」とは
この時期、毎日のように思うけど
「もしかして今年は春はこないんじゃないだろうか……」
って本気で心配したことなんてないよね。
春がくるの、信じてるから。
春がくるの、ちゃんと知ってるから。
うん。
信じてるよ。
大丈夫なの、知ってるよ。
でも最近、ちょっと違うのかもと思い始めていたら
今日こちらのブログをたまたま見て
なるほどなぁと思いました。
心屋認定カウンセラーの
永井あゆみです
男は信頼、女は心配。
納得~~(((o(*゚∀゚*)o)))
心配することが愛情だと信じていたので
大切な相手のことはいつも心配してました。
心配してかける言葉は、
気遣いと思いやり。
そう思ってたんだけど……
彼がね
「それ、いらないよ」って言う人なんです。
運転きをつけてねー、とか
仕事頑張ってねー、とか
風邪ひかないでねー、とか
明日寝坊しないでねー、とか
電話切るときなんかに、
何気なく出るこういう言葉に
「それ、いらないよ」って。
明日の朝が早いと聞いて
早く寝なくて大丈夫?とか
昨日寝不足だと聞いて
今日はゆっくり休んでね、とか言うと
「それ俺が決めるから」
最初の頃は、
え~かわいくな~い
と思ってました。
だってさー
自然と出る言葉なんだから
ふつうに「はいよー」で済むとこなのに
わざわざ断ることもないでしょ。
でも、そのうちそれに慣れて
そういう言葉を言わなくなって
だんだん、心配自体をしなくなったら
そして、心配されずにいたら
すごく楽なの。
で、あれ?って。
考えてみたら、その“心配”は
起きてないことなんだよね。
起きてもいないことを先回りして
「きっとこうだろう」と想像して
そんなふうにならないでほしいと思うことって
余計なお世話だ( ゚д゚)
わたしは親から、しょっちゅう
「転ぶなよ」って言われるんです。
(39歳になりました
それはもう、わたしがこれまで
いい大人になってからも何度も何度も
転びまくってきたからなんだけど。
だから言われても仕方ないなって
心配ばっかかけて悪いなって
思ってきたんだけど。
それ、言われて
嬉しいと思ったことなんて
いちどもないなと気づいたのです。
むしろ、うるさいなーと思うけど
仕方なく「はーい」と答えるし
言われたからって
「よし、転ばないぞ!」とは思わないし
それ言われたから転ばない、どころか
それ言われ続けてるのに転んだ日には
「あれだけ言われてるのにまた転んだ…」
って絶望的な気分にしかならないし
全力で隠すよね!!
転んで、痛くて、
へこんでるのはわたしなのに
そこへさらに「あれほど言われて」
っていう罪悪感がプラスされて
これ以上心配かけちゃいけないと思って
また転んだわたしのバカヤロウと責めて
なんにもいいことないじゃないですか。
それどころか、その言葉はもはや
呪いだと思うの。
オマエは転ぶ人間だ~
きっとまた転ぶに違いない
転ぶ、転ぶ、また転ぶんだ
こ~ろ~ぶ~ぞ~
まさに否定命令ってやつですよ。
(ダメだダメだと思うとやっちゃうことね)
だって、転ばないと信じてくれてたら
出てこない“心配”なんだもの。
信じてくれてないんだ。
わたしは転ぶと思われてるんだ。
毎日言われたら、毎日思い続ける。
それってけっこうしんどいことだよ。
起きたことを起きたときに
心配するならまだしもだ。
起きてもいないことを
悪い想像しちゃうのを
こんなふうに日常的にしてたんだと
気づいたのです。
どんなに気をつけてたって
転ぶこともあるし
事故ることもあるし
風邪もひくし
大きな病気になることもある。
起きてないことを心配するんじゃなく
まず、起きないことを信じる。
大切な人に、悪いことは
起きないんだと、信じる。
この人は悪いことを
起こさないと、信じる。
でも、起きちゃったときには
そんなこともあるよねって受け止める。
なんなら一緒に笑いとばす。
そっちのほうが、よっぽど
大きな愛情だよねぇ。

庭に、春がきていました。
「あ~早く春こないかなぁ」とは
この時期、毎日のように思うけど
「もしかして今年は春はこないんじゃないだろうか……」
って本気で心配したことなんてないよね。
春がくるの、信じてるから。
春がくるの、ちゃんと知ってるから。
うん。
信じてるよ。
大丈夫なの、知ってるよ。
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