「ラッキーカラーはピンクですよ」
鎌倉の海岸で
初めて出会った
Tさんに言った言葉
その時Tさんは
自分が「ピンクス」と言う番組も
「コピンクス」と言う番組も
そして
それに関わる多くの人を巻き込んで
先日行った「ピンクス&コピンクスラストライブ」まで繋がるとは
Tさんも
そして
その時の僕も考えもつかなかった
ゲッターズ飯田を世間が全く知らないころ
TV出演を完全に断って
「絶対にTVには出ません!」
そう言っていた
まさか
「顔を隠す」と言う考えが出てくるとも
思ってもいなかった
出版やら放送作家の仕事やら
完全に裏方の仕事に専念しているときに
静岡朝日放送で「ピンク」にまつわる番組が始まった
「ピンクだけを扱う番組をやったらスポンサーが喜んで」
「ピンクだけの縛りの番組面白いですね」
「飯田君がラッキーカラーピンクって言ったから」
そう話しているのは
鎌倉海岸で占ったTさんだった
後に聞くと
その時は仕事へのやる気が起きない時期で
僕の占いでもパッとしない時期だった
「数年後に運気の流れが良くなりますよ。ラッキーカラーはピンクです」
この言葉が始まりだった
その後Tさんは
「ピンクにまつわる番組を作った」
さわやか五郎をMCに
その後
いろいろなアイドルが出演し
そして
juicejuiceの
宮本佳林
スパガの
浅川梨奈
わーすたの
廣川奈々聖
を
番組のキャラクターとして出演
昨夜のライブ会場を一杯にできるほどの番組を
Tさんは作った
TVに関わって
僕も14年になる
常に思うのは
若手へチャンスを作りたい
まだ世に出ていない人を出してあげたい
常にそう思っている
実際はTVはとても臆病で
特にキー局になると
まだ名が売れていない新人はなかなか使わない
よほど自信がある時や
お試し枠がない限り
名のない人がTVに出るということはなかなかない
その中で
誰も知らないような
極一部の人しか知らない僕たちを使って
ピンクスは始まった
年に数回のピンクスから
定期的にやっているコピンクス
そこで生み出したキャラや楽曲を使って
静岡でライブをやり
昨夜はラストライブ
「ピンクス&コピンクス」がなければアイドルを続けていなかったかもしれない
そう言う
宮本、浅川、廣川
その言葉は本当だと思う
「芸能界は、目を閉じたまま、暗闇を全力で走る競技」そう言う人もいる
「ゴールも光も見えない真っ暗な闇を走り切れる人がわずかなチャンスを掴む」
あらゆる仕事をやってきた人が
「芸能界ほど怖い世界はない」
「こんなに何を努力して、何をすればいいのか見えない世界はない」
そんなことを言う
その中で
ピンクス&コピンクスと言う番組を作って
希望の光をあてたTさん
いろいろな人が
網の目のように繋がって
あのライブができた
何より凄いのは
Tさんは番組制作ではなく
営業の人
営業の人が自分の好きなことで番組を作るなど
それまで考えもつかなかった方法で
人もお金も集めて番組もライブも作った
たった一人の男が
始まりで
そこに集まる人の力を集めれば
己の夢も
いろいろな人の夢をかなえることができる
人生はどこでどうなるか分からない
常に僕はそう思っている
占いができても僕も所詮人
いろいろな人の中に巻き込まれて生きている
その中で
己がどう生きるのか
何を求められて
どう求められるように生きるのか
大切なことは
己がやりたいことを
自分の目標や夢を叶えるために
何を努力して
何を頑張って
時には己を消してでも
目標や夢を達成するためなら
打消しもするしプライドも捨てて
時間も使って
汗を流して一生懸命に頑張ることが
どれほど凄いことなのか
そこに関わる人をどれだけ巻き込んで
協力してもらえるような生き方をできているのか
本当にいいライブだった
Tさんの夢や
アイドル達の夢や
お客さんの力や
いろいろな人との繋がりを感じられた
最高のライブでした
一人の男に言った一言が
「ラッキーカラーはピンク」そこから
大きな物語が始まって
そして終えた
そしてまたそれは始まりかもしれない
夢を実現することの素晴らしさを
若手へチャンスを作ることのできる
Tさんの凄さを
そして
一生懸命やれば夢はかなうことを知れたいいライブでした
また
あのライブができるように自分も頑張らないといけないと
ただ
そう思っただけ
鎌倉の海岸で
初めて出会った
Tさんに言った言葉
その時Tさんは
自分が「ピンクス」と言う番組も
「コピンクス」と言う番組も
そして
それに関わる多くの人を巻き込んで
先日行った「ピンクス&コピンクスラストライブ」まで繋がるとは
Tさんも
そして
その時の僕も考えもつかなかった
ゲッターズ飯田を世間が全く知らないころ
TV出演を完全に断って
「絶対にTVには出ません!」
そう言っていた
まさか
「顔を隠す」と言う考えが出てくるとも
思ってもいなかった
出版やら放送作家の仕事やら
完全に裏方の仕事に専念しているときに
静岡朝日放送で「ピンク」にまつわる番組が始まった
「ピンクだけを扱う番組をやったらスポンサーが喜んで」
「ピンクだけの縛りの番組面白いですね」
「飯田君がラッキーカラーピンクって言ったから」
そう話しているのは
鎌倉海岸で占ったTさんだった
後に聞くと
その時は仕事へのやる気が起きない時期で
僕の占いでもパッとしない時期だった
「数年後に運気の流れが良くなりますよ。ラッキーカラーはピンクです」
この言葉が始まりだった
その後Tさんは
「ピンクにまつわる番組を作った」
さわやか五郎をMCに
その後
いろいろなアイドルが出演し
そして
juicejuiceの
宮本佳林
スパガの
浅川梨奈
わーすたの
廣川奈々聖
を
番組のキャラクターとして出演
昨夜のライブ会場を一杯にできるほどの番組を
Tさんは作った
TVに関わって
僕も14年になる
常に思うのは
若手へチャンスを作りたい
まだ世に出ていない人を出してあげたい
常にそう思っている
実際はTVはとても臆病で
特にキー局になると
まだ名が売れていない新人はなかなか使わない
よほど自信がある時や
お試し枠がない限り
名のない人がTVに出るということはなかなかない
その中で
誰も知らないような
極一部の人しか知らない僕たちを使って
ピンクスは始まった
年に数回のピンクスから
定期的にやっているコピンクス
そこで生み出したキャラや楽曲を使って
静岡でライブをやり
昨夜はラストライブ
「ピンクス&コピンクス」がなければアイドルを続けていなかったかもしれない
そう言う
宮本、浅川、廣川
その言葉は本当だと思う
「芸能界は、目を閉じたまま、暗闇を全力で走る競技」そう言う人もいる
「ゴールも光も見えない真っ暗な闇を走り切れる人がわずかなチャンスを掴む」
あらゆる仕事をやってきた人が
「芸能界ほど怖い世界はない」
「こんなに何を努力して、何をすればいいのか見えない世界はない」
そんなことを言う
その中で
ピンクス&コピンクスと言う番組を作って
希望の光をあてたTさん
いろいろな人が
網の目のように繋がって
あのライブができた
何より凄いのは
Tさんは番組制作ではなく
営業の人
営業の人が自分の好きなことで番組を作るなど
それまで考えもつかなかった方法で
人もお金も集めて番組もライブも作った
たった一人の男が
始まりで
そこに集まる人の力を集めれば
己の夢も
いろいろな人の夢をかなえることができる
人生はどこでどうなるか分からない
常に僕はそう思っている
占いができても僕も所詮人
いろいろな人の中に巻き込まれて生きている
その中で
己がどう生きるのか
何を求められて
どう求められるように生きるのか
大切なことは
己がやりたいことを
自分の目標や夢を叶えるために
何を努力して
何を頑張って
時には己を消してでも
目標や夢を達成するためなら
打消しもするしプライドも捨てて
時間も使って
汗を流して一生懸命に頑張ることが
どれほど凄いことなのか
そこに関わる人をどれだけ巻き込んで
協力してもらえるような生き方をできているのか
本当にいいライブだった
Tさんの夢や
アイドル達の夢や
お客さんの力や
いろいろな人との繋がりを感じられた
最高のライブでした
一人の男に言った一言が
「ラッキーカラーはピンク」そこから
大きな物語が始まって
そして終えた
そしてまたそれは始まりかもしれない
夢を実現することの素晴らしさを
若手へチャンスを作ることのできる
Tさんの凄さを
そして
一生懸命やれば夢はかなうことを知れたいいライブでした
また
あのライブができるように自分も頑張らないといけないと
ただ
そう思っただけ