1992年1月21日の僕 | KOI blog

KOI blog

 名古屋で活動中のバンド「まりも」のボーカルKOIのブログ

今思えば、
英語をさっぱり喋れないのに一人でアメリカへよく行ったものだ。
25年前の今日(92年1月21日)シカゴにいました。

たまたまその当時の日記(大学ノートに40ページ)を発見したのも何かのメッセージかと疑っちゃう。
 
2週間のFIXチケットが激安だったのは、この寒い時季でオフシーズンだったこと。
円高も助かった。
バイト生活激貧家賃1.3万円の僕に岐阜信用金庫さんがクレジット機能付きのキャッシュカードを作ってくれたことに感謝。
 
日記には
・「May I Smoke?」→ Milkをもってきた
・おしっこがもれそうでトイレにかけこむ僕を清掃中の店員が「NO!!」との静止の声を振り払って「I am デンジャー」と叫んで用を足した。
・朝7時頃、Morningをeat
・ベットの横のライトがBroke
・とてもexcitingでだれでもfineこの土地はniceだ!!
 
、、、とルー大柴風でありミスター長島みたいな熱さに赤面しつつ自分に爆笑。ちょっぴり修三。

この旅の目的は大好きなハーピスト、シュガーブルーのステージを見に行くことでした。
89年に初来日。名古屋のELLでの彼のプレイにノックアウトされて、ステージ後「また来てね!」の返答が「シカゴに来いよ」だったので。
当時、彼はシカゴのどこかで毎日演奏していました。

ところが偶然にも僕がシカゴに滞在してた2週間、彼はまるっとカナダに遠征。
僕が到着した時に彼はカナダへ、僕が日本へ帰った翌日からまた毎日シカゴ。
なんなんでしょ?
 
残念だったけれども「またシカゴに来いよっ!」って彼からのメッセージと受け止め今日に至ります。(カナダからの手紙 love letter from CANADA)

今年に入ってインスタを始めました。
「通勤中に一枚CDを聴く」をテーマにジャケを記録しています。
「あの日あの時あの音楽と一緒にいました」を記憶でフラッシュバックする実験です。
明日はシュガーブルーで決まりだな!!

25年前の日記は乱文乱筆だけれども、明確な未来像を語っていました。
こんな風になりたいと。

25年後のキミの調子はどうだい? って問われている感じがしてドキッとしてます。