Side−A


お盆を過ぎて、俺はある人に電話を掛けていた。『会って、少しだけ話がしたい』とだけ伝えた。



旅館街のある地元の喫茶店で、その人が来るのを待った。






「久しぶりね?雅紀くん…元気だった?」

「…貴子ね…貴子さんも、元気そうで良かったです。」


「貴子姉ちゃんでいいわよ、昔みたいに。それに敬語なんて、雅紀くんらしくないって。」

俺は何だかほっとして、少し拍子抜けしていた。


「アイスコーヒーで、いい?」


それは、いつも子供の頃に聞いてた貴子姉ちゃんの優しい声だった。


その声は「アイスコーヒーを2つ」と、頼んでくれた。


気がつけば、俺も貴子姉ちゃんも、離れていた十数年という長い年月を忘れたみたいに、話し始めていた。


「潤に、貴子姉ちゃんが入院したって聞いた時は、凄く心配したんだ。」

「…ありがとう。退院してからは女将の仕事も少しずつだけど、どうにかやってる。」


「…うん…それで…あの…」

「うん?もしかして、充希さんのこと?」


「……話せなかったら、それでもいいから…」

「でも、知りたいんでしょ?」


「……うん……ごめん」

「充希さんなら、ウチの旅館で働いてもらってる。でも、潤とは結婚しないわよ?」


「……あ…あの?」

「同情で結婚したって、上手くいくはずないからって、潤には釘を刺しといた。充希さんも『辛くなるからそれだけは嫌だ』って言ってた。」


貴子姉ちゃんに諭されて、納得しているであろう潤の顔が目に浮かんだ。


「充希さんところの旅館て、ね?経営状態があまり良くなかったの。前々から道隆さんが『別館を建てたい』って言っててね。折角なら、ウチの旅館がその旅館を吸収合併して、そっちを別館にするってことで、話がついたの。母さんも、渋々だけど承知してくれた。」

「……そう」


「道隆さんには弟が二人いてね?別館は上の弟夫婦が経営することにして、女将さんは充希さんの兄嫁さんが務めることになったの。本館は…あ、ウチの旅館のことね?本館は…道隆さんの下の弟のお嫁さんに女将候補として来てもらうことになった。」


「じゃあ、貴子姉ちゃんは引き継ぎとかで、今忙しいんじゃ…。」

「いいのよ。充希さんが言ってた。女将がいつかは世襲で継がなくなる時代になるんじゃないかって…。だから、これもいい機会なんじゃないかなって、そう思ってるの。」


「それなら…良かった。」

「それより、潤のことだけど…」


「あ…ハイ」

「あの子も雅紀くんも、なかなか踏ん切りが付かないのは百も承知よ。『まぁが着拒したり、メールも読んでくれてない、何でだ』って、潤はその度に文句を言っては、私に当たり散らしてくる。」


貴子姉ちゃんは、半分笑って、半分呆れたような顔をしてた。


「……なんか、すみません。」

「こっちこそ、ごめんね?雅紀くんを責めてるんじゃないの。文句を言うくらいなら潤が連絡先を削除するなり、諦めるなりすればいいだけのことだもの。いっそこのまま、フェードアウトするのも、選択肢のひとつだし…。それを決めるのは潤なんだけど、ね…。」


貴子姉ちゃんはアイスコーヒーを飲み、ひと息ついた。


「それに…潤のことを心配して、こんな遠くまで訪ねて来る子もいるくらいだし…。」

「……えっ?訪ねて来たって、なに…?誰…?」


「心当たり、ないの?」

「…うん」


「潤がこっちに戻って来る前にいた、男子校の生徒だって言ってたけど…。雅紀くんは今、その高校の先生なんだよね?」


俺の背中を冷たい汗が流れた。


「…黙ってて、ごめん。でも、訪ねて来たって、誰だろう…」

「4、5日前だったけど。えっ…とね、確か『さくらい』って…言ってた。」


「櫻井くん…?」

「うん、知ってるの?」


「僕の…受け持ってるクラスの生徒。」

「……そうなんだ?でもね?その日は生憎潤は別館に居て。呼び戻そうとしたんだけど、その『さくらいくん』は、様子を聞くだけでいいから、それだけ教えて下さいって言って。」


「それで…貴子姉ちゃんは、櫻井くんに何を話したの?」

「今、雅紀くんに話したのと同じ。結婚はしないって話したわよ。わざわざ遠くから来てくれたんだし、潤のことを凄く心配してくれてたから。別館の住所を教えておいたんだけど、後で潤に『さくらいくん』のことを話したら、別館には来なかったみたいでね?潤が言うには、多分電車の時間に間に合わなくなるとでも思って、そのまま帰ったんじゃないかって。」


「………そう、だったんだ。」


潤の様子を聞くため…?でも、潤には会わないで帰ったなんて…一体どういうことなんだろう。


櫻井くんが何の目的で此処に来たのか、知りたいと思った。







…つづく。