Side−S


一瞬、目の前で何が起こったのか、よく分からなくてオレは身動きが出来なかった。


辺りは騒然として、誰かの通報で警察と救急車が来た。


レンガ塀の周りには規制線が張られ、車の所有者であるオレは、当然聴取を受けた。



事故の詳細は『父』から聞いたところによると、車のブレーキに細工がしてあったそうだ。


斗真がオレの車を借りる約束などなく、オレにはブレーキを細工する動機はない。


斗真は軽症で済んだものの、あのまま運転していたら怪我をしたのはオレの方だ。尚更、ブレーキを細工する理由もない。


大学で起こった事故のことは、箝口令が敷かれた。政財界と繋がりのある金持ちの子息や子女が通うこの大学では、スキャンダルはご法度。


事故のことは、表立って報道もされないし、ニュースにもならない。誰しも自分の身可愛さで、SNSにすら上げない。警察も消防署も情報は外に洩らさない。此処は、そういう所だ。


雅紀には、車が故障してそっちには行けなくなったと伝えた。なるべく近いうちに行くと言ってみたものの、事故のことに胸を痛めた『父』から、運転手付きで大学に通うことを強制されてしまった。


どこかに出掛けようものなら、監視付きという有り難迷惑なおまけまでついた。オレが車にドライブレコーダーを装備していなかった罰だと言われてしまい、渋々承知せざるを得なかった。



一週間ほどすると、ブレーキに細工をした『犯人』が判明した。例の女の仕業だった。もちろん、アイツが直接手を掛けたわけではなく、金で雇われた人間がいた。


『ほんのちょっと、脅かすつもりだった』らしい。斗真が大怪我にならなくて良かったと、他人事ながらホッとした。




翌日、オレは『父』に連れられて、あるお寺を訪れた。


「あの、ここは…どういう」

「お前の『母親』が眠っている寺だ。墓もある。」


オレは手桶を持ち、供える花と線香を持つ『父』の後に続いた。


「やっと、連れて来たよ。息子の翔だ。」


墓石にそっと手を合わせ拝む『父』の後ろ姿に、オレを産んだ『母』が本当に愛されていたんだと分かった。


『父』は胸ポケットから小さな手帳を取り出すと、一枚の写真をオレに手渡してきた。そこに写っていたのは、若い日の『父』と…


「あの、この女の人は…」

「お前の『母親』だ。」


幸せそうに仲睦まじく寄り添う『恋人同士』の写真だった。


「梅の咲く季節に、有名な庭園を散策した時の写真だ。二人で撮った写真はこれ一枚きりで…。もっと、色んな場所へ連れて行きたかったが、それも叶わなくて…」


寂しそうな『父』の横顔を、オレは初めて見た。


「翔には、後悔して欲しくないんだ。本当に愛する人と幸せになってもらいたい。それが私の願いでもあるし…」


きっと、お前の『母親』も同じことを思うだろうな…


まるで、そこに『母』が居るかのように『父』が微笑んでいたこの景色を、オレは生涯忘れることはないだろう。






…つづく。