島牧村での暮らし・1 8月13日 | 苔生した北の森を歩く

苔生した北の森を歩く

タイトルの森もコケもほぼあげてません。ぴえん。

 

妹のスバルチャンから「田舎で農的なの興味ねえ?」という話を聞いて、

「ど田舎=大自然 わーおーラブ」と誘いを受け、なんときょうだい3人で行ってきました。

 

そもそもは札幌で行われた農業フェスタが始まり。「農業」ではなく「農(食べるものは自給自足しながら、わずかにかかるお金は別に稼ぐむらびと的生活)」がしたい、と熱望していたスバルチャンが、真っ先に紹介されたのがこの島牧村。

そこで1日3000円、なんやかんやで最高6万を頭金(?)として、島牧村の村おこしの一環として行っているのが、「農業研修」。大抵は終わった時点でほれ、住め!、畑やってけ!となりますが、島牧村を選択肢の1つとしてもらうため、すぐに定住する必要はありません。(研修期間などによる)

そして、あんたこれ作れ、あんたこれやれ、と好きな野菜を作れないのはJAの圧力があるから。しかしここにJAはないので個々で好きな野菜を作っています。そこも決め手になったそうな。

 

8月13日、予定時刻から30分ずつ遅れる、遅れると連絡が来ながら、1時間10分遅れて札幌から、現地の地域おこし協力隊・平岡譲氏とスバルチャン、もう1人、近々結婚するというななえさんの3人が、最寄り駅に到着。小樽からお盆の渋滞にハマりながら3時間強で、島牧村に到着しました。

島牧村の人口は1700人。買い物が出来るところは道の駅1つとセコマ1個だけ。

この「農業研修」の企画者は波多野信夫氏。元海上自衛隊。農的生活の発案者で、目指すは物々交換で生活が成り立った「縄文の暮らし」。

右側が役場!

 

ここでの住まいは点在する空き家。歩いてすぐ海に行ける場所にあります。元高島商店は、何があったのか10年ほど前に空き家になり、少し前から農業研修の先輩・林さん(39歳・男)が居住地としています。

←スイーツ先生。このポストは未だ回収に来る

 

まさに着の身着のままだった??というほど、商店には商品が置きっぱなし、居住スペースには家具、服、調度品などが置きっぱなし。今でも、旅館もしていたきょうだいが時々様子を見に来るそうです。

賞味期限は2005年。飲みたくねえ。家の中にはたくさんの食器と、バーボンやスコッチといった高級酒、年代物の着物まで。

 

最初の夜は、平岡氏、林さん、農業研修で住み着いた中野夫妻、代々ユースホテルを営む吉澤の子息(なぜか妻子は参加せず)、ななえさんと村の若者が集まって、カレーを振る舞っていただきました。

お皿、テーブル、なんもかも手作り。陶器のお皿はユースのご主人で自然の生き字引・吉澤のお父様、木のものは木工職人でもある子息が作ったもの。

麦茶も畑から。カレーの野菜もお米も、水なしのスパイス(さすがに買った)カレー。スイーツ先生曰く「ビーガン(重度のベジタリアン)カレー」

棚も、窓枠も、電気まで!一度3.11で流されたものをまた建て直したそうです。

 

巨大なスイカもありました。林さんが「5kgだ」といきなり断言したので、重さ当て開始。各々持ち上げてみて、測量。

10㎏の米袋と同じくらいかな?と思った私は11㎏と予想。各々紙に書いて、遠かった人は皿洗い、近かった人は何か景品。

正解はキラキラ10㎏キラキラ。遠かったのは中野さんの奥さんとななえさん(及び

平岡譲)だったので、皿洗い。

近かったのは私ニヤリ。表のアップルミントをもらいました。主婦に勝った!

 

そのあと、高島商店に林さんが住み始めたことで「誰か住んでんか?ここ?」とお化け屋敷になり始めているとお化け本人(林)が言うので、高島商店の肝試し。8時半を過ぎたのに・・・眠くてそれどころでない。

住処に対してあまりモラルのない行為だし、お化けは肝試しに同行してるし。