2014年8月15日

朝日新聞の朝刊に帝国海軍の艦上戦闘機「零戦」の公立施設での展示に関しての記事があり、来館者への喚起用として目的は認めつつも結論は例の如しでした。兵器の位置付けは色々とありますが、長い年月を経れば歴史の記録です。近現代では色々と複雑ですが、兵器を否定的に捉える傾向は1970年代の半ば昭和50年代から始まった比較的新しい現象です。それまでは少年向けの雑誌には第二次世界大戦中の兵器の特集や、戦争に関する特集や劇画が頻繁に登場し、TV放送のアニメーションの中にも頻繁に登場しました。これは、送り手が軍隊経験者や戦争経験者故に可能であった事で、戦後の赤色教育を受けた世代が送り手になり始めてから狂い始めました。
小生が兵器に興味を持ち始めたのは1971年の事ですが、両親からも周囲からも何にも言われませんでした。但し父親からは、単に兵器を見るだけではなく、兵器を必要とした世界的な情勢や、それを生み出すに至った産業技術の分野にも目を向ける必要があると言われました。当時は様々な少年向けの兵器の本が出版されており、大手出版社で著者や監修者が確かな本は父親も読む程でしたが、某社の子供騙しの図鑑を購入した時には母親から「低水準の本は買うべからず」と説教をされました。要は質が大切との教育です。
さて、上記の兵器の扱いに関する事で小生がどうにも合点の行か無い本があります。1991年に刊行された「東京大空襲ものがたり」(早乙女勝元、金の星社)は、中間部分の東京大空襲と幼児を亡くした主人公の叔母の話は見事なのですが、冒頭と末尾で主人公の少年の兵器好きを否定し、主人公に兵器模型への興味を絶たせる描写に何とも言えない後味の悪さを感じます。読み返す度に作為と言うか、刊行の時代を考えますと戦後の一時期の日本人の間に蔓延した歴史観を象徴しており、やがて時が流れて過去の日本人の歴史観の一つの記録と言える日が来て欲しいと考えます。また、主人公の少年が「零戦」の実物を見た感想として「ものすごく小さく、オモチャみたい」と言わせていますが、大人の小生がみても小さい等とは全く思わず、1945年の大戦末期でも斯かる複雑な兵器を量産し得た日本の国力に感心する程です。
兵器は産業技術の集大成であり、正しく捉える必要がありましょう 。

音楽史研究家 郡修彦