2011年6月24日

TVの地上デジタル放送完全切り替えまで一ヶ月となりましたが、これが発表された時に真っ先に浮かんだのは1946年の新円切替(金融緊急措置令)で、需要創出を至上命題とする有効需要創出亡者の着眼点の見事さには悪魔に魂を売り渡した者ならではと、敵ながら天晴れと感服しました。
何しろ、全国民が何不自由無く使用しているTVが無用の長物と化し、買い替えかチューナーを増設しなくてはTV番組の視聴が継続出来ないとは、有効需要創出の亀鑑とも言うべき発想です。損をするのは国民だけで、業界人は全員が儲かるとの理想的な形態であり、無力な国民は受け入れる他に選択肢が無いのが癪です。
新円切替を説明しますと、流通紙幣の通用廃止、旧紙幣は一旦銀行に貯金して一定額のみ新円と交換との措置で、手持ちや貯金が幾ら有れども紙屑に化すとの方式でした。しかも、これを実施したのは大日本帝国政府ではなく、占領下とは言え現政府なのです。小生の祖母などは苦労して貯蓄した財産が無一文になった事を1992年に亡くなるまで怨んでおり銀行は絶対に信用しておりませんでしたし、昨今有名な岡野工業社長の自伝にも父親が新円切替で被害を受けた事が記されています。
TVの地上デジタル放送も業界側の一方的な都合の押し付けによるもので、これらは全て有効需要創出亡者が日々思考の過程から生まれてくるものです。TVとは上手い着眼点であり、この次は固定電話や携帯電話、電気製品が対象になるかも知れません。
歴史を批判的に分析していると、有効需要創出亡者の発想など手に取る様に看破出来るのです。

音楽史研究家 郡修彦