ミニバスを辞めた子どもたちの部屋には、

 

今も、

 

毎日のように使っていたリュックが、

 

ボールもバッシュも入ったまま、壁に掛かっています。

 

 

 

忘れたいような忘れたくないような、

 

手放したけど失くしたくないような、

 

 

 

物への思いよりも、

 

仲間への想いと頑張ってきた自分への想いが

 

大切で。。。

 

 

 

でも辞めたから

 

堂々とは大切って言えない。

 

 

 

辞めるとき辛かったけど、

 

辞めた自分がいて。

 

 

 

後悔とは違うけど

 

今も想っている。

 

 

 

 

辞めた原因となったコーチは、

 

別に極悪人ではないです。

 

 

 

それどころか、

 

 

 

ミニバスへの尽力は半端なく、

 

子ども、とりわけ小さな子をとても可愛がります。

 

 

 

 

なのに、

 

毎年何人もの子どもの心をだめにしてしまう。

 

 

 

 

一生懸命さが、

 

いつしか形を歪めて圧力になってゆく。

 

影響を自覚した上で圧力で動かしている。

 

 

 

 

それは

 

本当は弱い証拠だと思います。

 

おそらく私は、

 

わが子が犠牲になっていなければ

 

変わらず力になったと思います。

 

本当は、

 

色々つらいんだと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

うちの子たちは、

 

滅多にコーチを悪く言うことはせずに、

 

どちらかというと

 

いつも仲間の愚痴を聞いてあげていました。

 

 

 

辞めても未だに、

 

話を聞いてほしくて『元』仲間が、

 

コーチの話をしてくるというありさまです。

 

 

 

私自身、コーチのことは、

 

子どもの育成に向いていないと感じていました。

 

でも正直、

 

好きになった部分もたくさんありました。

 

 

 

だから、

 

あんなに一生懸命でも、

 

教え子の心がどんどん離れていく実態に

 

心が痛む思いがあったので、

 

出来る範囲で

 

力になりたい思いもありました。

 

 

 

 

うちの子たちも、

 

どんなに心無いことを言われても、されても、

 

コーチを大事にしてきたと思います。

 

 

 

 

だから、

 

辞めてただせいせいしただけなら

 

こんなに苦しくないけど、

 

 

 

 

どうしてもどこか

 

苦しいし、

 

切ないし、

 

悲しいし、

 

 

 

 

嫌な場面は

 

頭の中から消したいけど、

 

 

 

 

全部は消したくなくて、

 

 

 

 

ちゃんと温かい一場面も、

 

コーチを信じた瞬間も、

 

自分が試合でシュートを決めた瞬間も、

 

今でも大切に思っているんです。

 

 

 

 

 

そんな気持ちを子どもの口から聞いた日の夜、

 

その胸中を思い返すと涙が出ました。

 

 

 

まだ小さな心で、

 

精一杯頑張ってるなって思いました。

 

 

 

本当は、

 

そろそろミニバスの道具はしまおう

 

と思ったから

 

本人たちの今の心境を伺う意味もあって

 

少しミニバスの話に触れたのですが、

 

 

 

今はまだ、

 

そのままで。。。