2015年 11月
血便が出て以降この思考が頭から離れませんでした。
症状を調べると、大腸ガンにヒット。
21歳で死ぬんかって本気で思いました。
その時のショックが大きすぎたのか、気づけばぐるぐるそのことを考えていました。
内視鏡検査をすることになり、病名さえ分かれば、"原因さえ分かれば"この思考から解放されるに違いないと思っていました。
しかし、そんなことはありませんでした。
難病 潰瘍性大腸炎と診断されて以降も、"なんで生きてるんやろう"この思考が止まらない。
寝ても覚めても。
夢の中の自分でさえ、そのことを考えていました。
もちろん、眠ることなんてできない。
現実か夢なのか、ふわふわしていました。
訳の分からないタイミングで、泣き出したくなる。情緒が保てない。制御できない。見える景色は、灰色でした。どんよりとくらい。
毎日毎日、生きるのが辛い。
自分が自分じゃないみたいでした。
そんな時、母親があるチラシを持ってきてくれました。そこにはお寺の案内が書いてありました。
以前、ビルの片隅にある診療所のようなところにも相談に行ったことがありました。
#認知行動療法ってやつをした気がする
結局、そこは一回しか行きませんでした。なんか怪しいような雰囲気を醸し出していたのか、もしくは当時の僕は、全てそういう風に見えていたのか。物事に対して不信になっていたのか。
なんせ、一回しか行きませんでした。
そんなことを経験したことがあったので、今回の、お寺さんもどうしようかなぁと思いましたが、意を決して行くことにしました。
住職さんが出迎えてくれ、応接間へ案内してくれました。
そこで、自分の話をじっと聞いてくれました。
"その歳でそういうことを考えるなんて偉い"
と言われたことが、今でも覚えていますし、そのことで、ほんの少しだけ心が救われたような気がしました。
話を聞いてもらうだけで、心が軽くなるんだということに気付きました。
、、、
とまぁ。
その時のことを振り返って記しましたが、その住職さんには本当に感謝しています。
今年のはじめに、数年ぶりにお礼を言いにそのお寺さんにお伺いしたのですが、住職さんもいいお歳になられていて、当時のことはあまり覚えていませんでした。耳も遠くなっていました。少し寂しい思いもありましたが、それが、
"自然の摂理"
"どうせ死ぬのに"
そう。
どうせ、死ぬんだけど、だからこそ、今生きている時間を大切に瞬間瞬間を生き切ろうと、今は思います。
そして、あの時話を聞いてくださった住職さんのような存在になれるように、このAmebaブログで発信したり、TikTokでのLive配信でお悩み相談をしています。
解決できるかはわかりませんが、自分が経験してきたことを織り交ぜお話しすることならできるし、"聞くこと"もできます。
就職活動直前に、難病指定というあのタイミングにも絶対意味があると思っています。
自分の経験が誰かの何かになれればなという思いで、今後も発信していきます。
以上が、"自分を見失い、お寺に駆け込んだ"時のお話でした。
最後までお読みいただきありがとうございました☺︎
次回は、"電車に乗る練習〜パニック発作〜"について記そうと思います。
▼その記事はこちら
https://ameblo.jp/kohezo21/entry-12773271658.html
では、また!
こへ蔵