潰瘍性大腸炎と診断されてから、一年近くに渡りどん底期を経験しました。
今回は、"電車に乗る練習"をしていたときに、"よぎったこと"について記そうと思います。
まずは、血便が出て以降、精神的にも崩れてしまい、精神科、心療内科にも受診することになります。
適応障害と診断されましたが、今思えば、鬱状態、パニック障害、不安障害のような症状がありました。
その時のことを思い出して考察してみると、やっぱり排便問題があります。
一日に何回もトイレに行きましたし、いつ急に腹痛が襲ってくるかわからないので、なかなか外にも出られない。
"もし、外出中にお腹が痛くなったらどうしよう"
"もし、トイレがなかったらどうしよう"
そんな、
"もし〇〇したらどうしよう"
という思考が優先してしまいました。
一番ひどい時は、家にいる時でさえも、"もし、今発作が起きてしんどくなったらどうしよう"とまで。
両親、弟と4人家族なのですが、父は仕事の都合でよく転勤をしていました。
#あんまり一緒に住んだことはなかったな
弟が大阪の大学に進学するタイミングと父親が島根から大阪に転勤になるタイミングが重なり、2人は大阪で住み、母親と僕は和歌山の実家で住むことになりました。
なので、母親が9時〜17時までのパートに行っている間は、僕は家にひとり。
不安で仕方がありませんでした。
"もし、誰いもいないこの1人の状況で、発作が出てしまったどうしよう"
そんなことを毎日考えながら生きていると、外にも出られなくなり、もちろん電車にも満足に乗ることができなくなりました。
ただ、心のどこかで、"これじゃいかんやろう"と、まだ小さな心の火を燃やしている僕がいました。
そこで、意を決して電車に乗る練習を始めます。
最寄り駅まで歩いて行き、2分ほどの区間を一駅だけ乗る。そして、2時間ほどかけて歩いて家に帰る。
そんなことをしていました。
包み隠さずリアルをお届けすると、このブログを始める時に決めたので、お話すると
帰りの道中、踏切に飛び込んでしまおうかなってよぎったこともあります。
正直、もう一日一日がしんどすぎて、長すぎて。生きるのが本当に辛かった。
家にいるだけでも発作が出てくるし、
"なんで生きてるんやろう“
っていう意味のわからない思考も止まらず、毎日が苦痛で仕方がなかった。
踏切の音がして、
飛び込んだら楽になれるかもなってよぎりました。
けど、心のどっかにいた小さなこへ蔵が、それを止めました。
まだ、死ねないだろ。
、、、
結果的に、"電車に乗る練習"は、成功とは言えませんでした。
ちょっとだけ感情的になってしまいましたが、当時のことを思うと、少しだけ苦しくなります。
家族、友達に支えられて、なんとか復活することができ、今こうして皆さんに言葉を届けることができています。本当に感謝です。
#克服した時のこともまた記します
生きててよかった。
ほんまにありがとう。
この、生かされた命を大切に、日々を生き切ろうと思います。
では、今回はこの辺で。
ほなまた!
こへ蔵