試合全体 | 大場浩平

大場浩平

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一人ごとみたいなもんです。





先ずは減量から。



人生初の、最初で最後のフェザー級。



フェザーとはいえ、昔からのリバウンドを繰り返し、年齢を重ねた俺には決して楽には感じられなかった。




贅肉が削ぎ難い。なかなか落ちない。



試合前の最後の我が家。



時間になり、妻が意を決したように「行ってらっしゃい」と言って送りだしてくれた。






前日計量は一里山・今井病院。名古屋大橋ジム陣営として行った。




年間のボクサー検診の時に一度来たのを思い出した。




計量やPCR検査は13時キッカリに行われた。







対戦相手の中村龍明選手と。
   



好青年でフェアな選手の印象だった。



計量後はPCR検査結果を待つ為炎天下の中、病院付近で数時間待つことに。



その間食事をとりながら元教え子の能島選手と雑談したり、同僚となった加藤頼選手と話したりして時間を潰した。




プロボクシングも随分厳重になったんだな、と思った。



異常無しと判断され計量後移動し、ホテルの一室で隔離状態のまま一日を過ごすのは初めてじゃない。




突然の食事と水分に胃が凭れ下痢になる。こんなのとっくに経験済み。



「明日、試合だな…」



そう思うのも、慣れてる。



そう思うのも、最後になる。



俺の減量はこれで終わった。もうアスリートとして、身体を絞ることは無いだろう。





そしてプロ選手としての、最後の練習。



未だに自分自身がわからない所がある。



正直、今年に入っても移籍が決まるまでどんどん弱くなってく自分を感じていた。



スパーリングでは誰がパートナーでも、毎回のように一方的に打ち込まれた。大橋会長がダメージを心配しだした。




でも「家族との約束の一年」という期限まで心は折れなかった。「あと一試合」なんとかできないか、と粘った。




約束の期限が来た時、遂に折れた。



期限切れの次の日、移籍と試合が決まって「折れた心」は即、再生した。



○○トレーナーとの練習が途端に充実していった。



「全てやり切った」



と断言できるほど良い練習ができた。



練習充実していった理由が、モチベーション一つで片づく問題なのかわからない。



恐らく、最後まで自分自身の心のコントロールができなかったということだろう。





試合会場は愛知県刈谷市あいおいホール



今は中部の試合はここが多い。俺は初めてだった。そして最後の会場がここになった。



名古屋大橋ジムに所属してから、同僚となった二人の選手が先に出てる最中



「彼等はこれからの選手だ。まだまだ闘えるし、もっと強くなれる。俺は今日で終わりなんだな」



そう思った。でも羨ましいとか、そういうふうには思わなかった。



俺にも選手として若い頃があった。時間はどんな人間も平等だ。




7年前に引退した時とはまた随分違った精神状態の控室だった。




一人で自分の出番を待ってた時、去年の試合と同じく良くも悪くも勝負への執着心が昔と比べ弱くなっていたのを自分で感じていた。



勝ちたい



だから怖かった。



復帰してからの俺がどこまでも執着したのは、去年と同じく「自分のボクシングで最後まで闘えるか」



「俺の正解を最後まで貫けるか」

 



 
そればっかりだった。



CHAGE and ASKAの「LOVE SONG」が流れてきて



「もう終わりなんだな」と思いながら入場した。リングに上がって自分のお客さんのいる位置を確認した。




「終わりなんだな」と思いながら名前を呼ばれた。




試合終了のゴングを聞いた時も「これで終わりなんだ」と思った。




テンカウントゴングを聞いた時は7年前に聞いた時より、変な言い方かもしれないけど凄く聞く気になれた。





多分、色んな意味で本能が、もうボクシングができないということがわかってたからだ。





リングを降りた後だが、痛烈に腰を痛めたことに気づいた。試合には全く影響無かった。



腰を痛めたことは嘗ての選手時代に一度も無かった。



なんとなく「これが年齢なんだろうか」と思った。




コロナ対策で間接的にだが、我が子達からは花束を受け取った。



他にも、色々な気持ちの花束を受け取った。






会場を出てからは家族と外食をした。家族といると気が抜けて我慢していたモノが一気に吹き出したのか、腰の痛みが一気に増した。



椅子から立ち上がるのも一苦労だった。



子供達はモリモリ食べる。妻はダイエット中であまり食べない。俺も腰ばかり気になりあまり食べれない。




昔なら「ちょっと腰痛めたぐらいで」とぐらいしか思わなかっただろうし



昔なら試合後は勝っても負けても、周囲の眼ばかりが気になった。




「いつ見捨てられるのか」とそればかり恐れていた。




だから昔は何も聞こえてこない一人で菓子食ってた時間が最高の現実逃避だった。



時間が流れて、今は周囲の眼を気にしなくなった。




見捨てられることを恐れなくなった。




しかし自分の体調の変化や、コンディションの悪化には神経過敏になってきた。



多分、心は成長していったがそれと似たようなタイミングで



「老い」



を意識し始めたんだろう。





試合結果に関しては、もし対戦相手が勝ちになってたとしても普通に納得できた。



俺はそれよりなにより、セコンドとのチームワーク、勝ちにいった試合内容に満足できた。



そして、これまでのどの試合よりも妻が誇らしげにしてくれた。





でも






アレが今の俺の限界だ。
   





漸く「ボクサー」が全部納得してくれた。



 

自分自身との約束を守れた。



前回の文章どおり



これで俺の頭の中の「ボクサー」が去って



今だけの居場所も消え去って



大きな水彩画に眼を入れることができた。



もう動かない身体を無理に動かす必要は無くなったし



これ以上無理はしたくない。


























去年の一年弱、俺が一人になろうとしたことが間違ってたことを



改めて家族に詫びた。



長女には



「パパまたボクシングやりたくなるんじゃないの〜?(笑)」



と言われたが



俺は





「もうやらんよ(笑)」





と答えた。












※またボクシングトレーナー始めます。インスタグラムも是非見てみて下さい。

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