かなり古い本ですが、友人の勧めで陳舜臣の「中国畸人伝」を読みました。昭和62年初版ですから、37年前の出版ということになります。さて畸人伝という題名ですが、畸人(奇人)と変人はどう違うのでしょうか。辞書では同義語として扱われていますが、この両者には多少のニュアンスの違いがあるように思われます。変人はどちらかというと、生まれつき性格が変わっている人、奇人は行動様式が世間の常識から外れている人で、必ずしも生まれつきではないものも含まれるような気がします。この本に登場する8人には変人も含まれていますが、その題名が示すように奇人が多いように思われます。いわゆる奇を衒う人たちです。なぜ彼らはあえて奇を衒ったのか。それにはその時代背景が影響しているようです。一体どんな時代だったのか、中国の歴史を復習してみましょう。
奇人8人が生きた時代は、3世紀から9世紀にわたっています。長く続いた漢王朝が滅びて三国時代、六朝時代となり、その後ようやく隋が統一王朝を作り、続いて唐が成立した時代です。この時代は各地に王国が林立し覇権を争っていましたし、その王国内でも権力争いと後継者争いが絶えず、地域によっては、一生の間に何度も王朝が代わってしまうという事もしばしばありました。このような時代に宮仕をするのは危険を伴います。王朝内の主導権争いで粛清される事もありますし、王朝が倒れれば当然のことながらかつての敵に仕えた人間ですから身に危険が及びます。なんの取り柄もなければ良いのですが、下手に学があると分かれば、政権に登用される可能性があります。しかしどうしても学を身につけようと思う人間はいるわけで、出版文化などない当時、彼らは書籍に触れるためには、それを持っている政権中央に近づく以外に方法はありませんでした。ではその矛盾をどう解決すれば良いのか。その時に選ばれたのが奇人になるという手段だったようです。いくら学があっても、あいつは使い物にならないと思われれば、放っておかれる可能性があります。どうもこの当時の知識人の中には、こうしてあえて奇を衒った人間もいたように思われます。それ以外の方法として、熱病に罹った後に知的障害者になったと偽装した者も登場し、政治の荒波にもまれ続けた中国人はまことにしたたかです。この本にはいわゆる竹林の七賢の二人阮籍と王戎も主人公になっています。竹林の七賢というと、乱れた世を儚み山奥に隠遁して政治談義に耽るというイメージが強いのですが、どちらかというと政治の世界に巻き込まれないように、奇人を装って俗世間から距離を置いていたというほうが当たっているように思われます。
ではこの8人の中に本当の生まれつきの変人がいるのかと問われれば、6人目の万宝常を挙げなければなりません。彼の父は南北朝の梁の武帝に支えていましたが、梁が滅亡した時のごたごたにより、謀反人として誅殺されてしまいます。謀反人の遺族は奴隷となるのが掟で、万宝常は奴隷として楽戸に配属されました。音楽を職業とするのは賎業であったのです。彼は実技だけではなく、漢代の音楽書を深く探究して音楽学者としても比肩できる者がない存在になります。そして漢代の古典音楽の復活に挑みました。当時の中国には西域からの胡人が多く在住しており、中国の音楽は彼らの音楽の影響を強く受けたものだったのです。しかしすでに西域の音楽に慣れてしまった人達の耳には、彼の音楽はあまりに典雅であっさりし過ぎているように響き、彼の主張は受け入れられませんでした。彼の妻も彼の元を去り、彼は憤死するのですが、亡くなる直前に自分の音楽関係の著作に火をつけます。しかし幸いな事に大部分が焼け残り、のちに彼は音楽の神と称えられるようになります。
古代中国における知識人の生き残り戦略、とても面白いです。